第7話 まどろみ卒業

 リュドヴィックは頭を抱えていた。昨日の今日なので、自分の振る舞いをどうするのが正しいのか判断がつかない。

 部屋に控える側近に、「俺は『まどろみ王子』を卒業したのかな?」と聞いてみる。

 急に話を振られた二つ年上のライムントは呆れた顔を見せ、「卒業? 勝手に自分で終わらせたんだろう?」とぶっきらぼうに答えた。

 リュドヴィックは「だよなぁ」とため息をつくと、身体を伸ばし立ち上がる。

「猫背の『まどろみ王子』が気に入っていたのか?」

 王子と側近というよりは友達としての関係を優先させているため、二人の時はお互いにくだけた口調での会話になる。


「人の視線を集めないって、本当に楽なんだよ」

 ライムントはブハッと笑い出し、「お前は本当に嫌味な奴だな」とリュドヴィックの肩を叩いた。

 リュドヴィックは整った顔を顰めて、自分の顔を指差した。

「そうは言うが、俺はこれで随分と苦労したんだ。ココの兄ならそれくらい察しろ」

「お前は本当に、コハリィとそれ以外の態度が違いすぎる。コハリィはお前の目を『夜明け前の空のように澄んでいる』とか言っているが、俺は一度もお前の目が澄んでいるなんて思ったことないぞ。淀んでしかいないだろう」

「ココだけは特別なんだよ、お前だって知っているだろう。ココは俺の生きる理由だ」

 恥ずかしげもなく言い切るリュドヴィックを見て、ライムントは苦笑いしかできない。




 五年前にライムントが側近として仕えることになった風変わりな王子は、とにかくコハリィに執着している。

 ポワティエ家の面々はコハリィが世界一だと思っているが、その家族だって容姿は世間一般から見れば標準だと理解している。

 コハリィの何がリュドヴィックの琴線に触れたのかは分からない。

 だが、未来の王太子が世間から疎んじられることもお構いなしに、コハリィのために全てを捨てたのだ。そのあまりの潔さに、リュドヴィックを応援しないという選択肢は、ライムントには考えられなかった。


 そのリュドヴィックの五年の集大成が、今から始まる。いや、終わるのか?

「ほら、そろそろ行くぞ。正念場だ」

 リュドヴィックは、ライムントを急き立てるように歩き出した。




 リュドヴィックが久しぶりに背筋を伸ばして歩いていると、行きかう侍女やメイドが振り返り頬を赤らめている。ライムントが「大変だなぁ」とからかってくるのを、リュドヴィックは無視して歩く。


 中庭の渡り廊下に出ると、静かな王城には似つかわしくない騒がしく甲高い声が漏れ聞こえてくる。コハリィ以外に興味のないリュドヴィックは全く気にも留めていなかったが、ライムントが顔を顰めて飛び出したので何気なく騒ぎの方に目を向けた。


 中庭の薔薇園に続く小径には色とりどりの花が植えられている、春らしいピンクや白や黄色といったパステルカラーの花が咲き乱れる中に令嬢が二人立っていた。

 明らかに一人の令嬢が相手を責め立てている構図で、聞いていて不愉快になるような言葉しか聞こえてこない。

 リュドヴィックはあっという間にライムントを追い抜き、令嬢達の下へ向かう。

 コハリィにしか興味のないリュドヴィックが向かうのは、もちろんコハリィの下だ。

 リュドヴィックの婚約者の座が『お世話係』から『王太子妃(仮)』に変貌を遂げたことで、コハリィの存在は嫉妬の対象になってしまった。


「だから、何度も言わせないで。貴方みたいな身分だけで平凡な女が、リュドヴィック様の婚約者だなんて相応しくないと言っているの!」

 そう叫んでいるのは、フェリクスの従妹でタシュ家の次女であるマルタだ。従兄であるフェリクスの立ち位置が危うくなるなり、リュドヴィックに鞍替えするなんて、さすが権力に執着する家だけある。


 大柄なマルタがコハリィを見下ろして蔑みの目を向けているが、コハリィは視線の意味など気にしていない。

 コハリィの緑の瞳は、知りたい気持ちを抑えられないと言わんばかりに真ん丸に見開かれている。


「マルタ様なら相応しいのですか? ちなみに、どんなところが? 参考にしますので、教えてください」

 何に対しても探究心が強いコハリィが、真剣に教えを乞う。

 大好きなリュドヴィックの隣に並ぶために自分に足りないものがあるのなら、それを必ず身に付けるだけだ。コハリィは大事な研究を後回しにしても、そのための努力を惜しまない。


 予想外の態度にマルタは一瞬怯んだが、すぐに立て直して胸を張る。

「まず学園での成績です、わたくしは貴方より優秀です。容姿に関しても貴方みたいな平凡な上に童顔で小柄では、リュドヴィック様と並ぶと大人と子供のようで不釣り合いです」


 コハリィは考え込み「なるほど。成績は色々あるので置いときますが、身長や容貌に関しては遺伝が関係しますので、わたくしの努力ではどうにもなりませんね」と頭を捻る。

「そういう会話が続かないところも、リュドヴィック様に相応しくないのです。王太子になる方ですよ? 貴方の意味不明な話術では、とても社交などできるはずがありません。王太子妃が社交で王太子をお助け出来ないなんて、話になりませんよ!」


 コハリィは納得した顔で「社交に関しては、同意いたします」と素直にうなずく。

「わたくしは最初から王太子妃なんて望んでおりません。わたくしが望むのはリュド様の妻になることだけですから」

「貴方、昨日の卒業パーティーにいたんでしょう? 昨日の一件でこの国の流れは変わりました。リュドヴィック様の妻になるのと王太子妃になるのが同義だと分からないの?」


 マルタのこの言葉を、コハリィは一番危惧していた。分かっていたことだが、他人に言われると真実味が増して胸に響く。

 コハリィはリュドヴィックの妻にはなりたいが、王太子妃には絶対になりたくないからだ……。


 出口のない迷路を一人でやみくもに歩くのに似た不安を抱えるコハリィの背中がふわりと温かくなり、頭上から聞き慣れた優しい声が降ってくる。それだけで胸がポカポカと温かくなり、安心してしまうのだから不思議だ。

「そんなことにはさせないから、安心してね、ココ」


 リュドヴィックが後ろからコハリィを抱きしめるのを見て、マルタは顔を青くしながらも、今まで見せたことのない笑顔で媚びる。

「……リュドヴィックさ……」

「名前で呼ぶことを許した覚えはない」

 コハリィに向けるのとは全く別の、冷たく突き放した態度だ。そして、濁った藍色の目で、突き刺すようにマルタを睨みつけた。


 マルタは「ヒッ」と息をのむも、タシュ家の娘のプライドとして逃げ出さずに踏みとどまる。さっさと逃げ帰って欲しいと思っていたリュドヴィックは、そんなマルタを見て苛立ち露わに舌打ちをした。


「私の妻になるのはココだけだ。何を勘違いしているのかは知らないが不愉快だ。さっさと失せろ。そして二度と私とココの前にに姿を見せるな!」

 地響きでも起こしそうな低く響く声は、不機嫌そのものだ。マルタが恐怖で動けないのは一目瞭然なのに、一秒でも早く視界から消し去りたいリュドヴィックは待つこともできない。


 護衛の腰にある剣に手を掛けると「ココに不安を植え付けるなど許される行為ではない。自身で消えないのなら、私が消すだけだ」と言って、剣を抜いた。

 ギラリと光る剣と殺意のこもった瞳を向けられ、やっと身の危険に気が付いたマルタは虫のように這いつくばって逃げていった。


 コハリィはマルタがシャカシャカと猛スピードで這っていくのを、複雑な表情で見送っていた。

「……やり過ぎだと思います」

「同感だ」

 ポワティエ兄妹の非難はリュドヴィックの耳には入らないし、ライムントに至っては視界から消し去られている。


 リュドヴィックにとって今一番大事なのは、コハリィを逃がさない事だ。

 もしコハリィがリュドヴィックが王太子になると勘違いして、自分から離れていってしまったら崩壊するだろう。その崩壊には、もれなくアルトワ国の滅亡というおまけもついてくる。

 大事なコハリィを抱き締めて「絶対に王太子にならないと約束する」と、五年前と同じ言葉を誓った。







♦♦♦♦♦♦


読んでいただき、ありがとうございました。

本日三話目の投稿です。ちょうど半分です。

引き続きよろしくお願いいたします。

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