第6話 夜の闇

 今日の卒業パーティーでの出来事が嘘だったかのような風一つない穏やかな夜空に、大きな満月が輝いている。

 宰相の執務室では部屋の主である宰相と背筋のピンと伸びた背の高い老人が、向かい合ってソファに座っている。

 テーブルの上にはティーカップではなく、赤い液体の入ったワイングラスが置かれている。

 老人はワイングラスを取ると、「当初の予定通り、祝杯とはいかないようだね?」と苦笑いをした。宰相も老人と同じように苦笑いをしてグラスを取る。


 二人は乾杯をするわけでもなく、ゆっくりワインを飲み始めた。


 宰相は赤ワインを一口飲むと、グラスが割れるのではと心配する音をたててテーブルに置いた。

「今日の件は想定外で仕方のない事でしたが、リュドヴィック様はうかつでしたね。自分がどれだけ人を惹きつける存在なのか分かっていないとは!」

 と言って渋い顔をする宰相は、リュドヴィックの婚約者であるコハリィの父親だ。今日の出来事に相当不満を感じているのが、普段と違う荒々しい口調から分かる。


 苛立つ宰相に対し、老人は落ち着いたものだ。

「そう言ってやるな、あの場であの事件の真実を暴露されてみろ。事態の収拾などできなくなる」

 と言って宰相を宥める。


 宰相は今日一日で凝り固まった眉間を指で揉むと、深くため息をついた。

「分かっているのです。あれが最善策だったことは。分かっているのですが……」

「君の心配は分かる。愚かなことにリュドヴィックを王太子にと推す声が、もう既に広がっているからな」

「『まどろみ王子』と馬鹿にしていた連中が、手のひらを返して擦り寄っていますよ。恥ずべき行為です!」

 露骨な貴族連中が勝ち馬に乗ろうと、リュドヴィックの下へ押しかけたのだ。いつも冷静な宰相が珍しく怒りを露わにした。


「どこにでも節操のない者達はいる。特に貴族にはな……」

 老人はグラスを持ったまま、優雅な足取りで満月が見える窓辺に立つ。

 老人の酷く残忍な顔が闇夜に浮かぶ窓ガラスに映ったが、宰相からは見えない。


「公爵、私はね、実は当初のプランでは満足していなかったんだよ。リュドヴィックやコハリィの気持ちを尊重して我慢していたに過ぎない。君には悪いが、あの馬鹿二人や裏で糸を引く家族達に、感謝の気持ちで一杯だよ」

 老人はそう言うと、満月に向かって嬉しそうにグラスを揺らした。


「あの間抜け共が、リュドヴィックを怒らせてくれたことにね……」


 老人がグラスを傾けると、どこからか湧いてきた雲が満月を隠した。月明かりが消え、潜めていた闇が辺りを支配する。

 窓の外と同じ老人の青黒い夜の色をした瞳には、後悔と怒りと憎しみがはっきりと渦巻いていた。その感情を隠すために老人は瞳を閉じると、深紅のワインが入ったグラスを高々と持ち上げた。

「明日から始まるアルトワ国の破滅を祝って、乾杯しようじゃないか」 






♦♦♦♦♦♦


読んでいただきありがとうございました。

短かいので、もう一話投稿します。

本日は三話投稿になります。

よろしくお願いします。




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