第3話 茶番の始まり②

 エドメは左頬を押さえながらフラフラと立ち上がると、フェリクスではなくニコラに視線を向ける。思いがけず自分に視線を向けられたニコラは、小さな体をフェリクスの後ろに隠した。

 小柄で庇護欲を掻き立てる小動物のように可愛らしいニコラと、フェリクスより大柄な気の強い美女の対比。力関係は一目瞭然だ。


「ニコラさん、わたくしは貴方を取って食べたりしないから、質問に答えていただきたいの」

 普段の傲慢なエドメからは考えられない優しい口調に、周囲がどよめく。そのせいか、ニコラもおずおずとフェリクスの後ろから顔を出す。


「先程フェリクス様が仰っていた、わたくしが貴方に対して行った悪事だけど、わたくしは全く身に覚えがないの。貴方の口から事実を聞かせて欲しいわ」

「ふざけるな! ニコが嘘をついていると言うのか? そもそも身分を振りかざし相手を虐げるお前に、男爵家のニコが刃向かえるはずがなかろう! お前はどこまでも汚い女だな!」

 フェリクスがニコラを再び背中に隠し、エドメに吠えた。

 普段のエドメは侯爵令嬢と第二王子の婚約者という身分を盾に傍若無人の限りを尽くしているだけあって、生徒達はフェリクスの意見に納得だ。


「ですが本当にわたくしには身に覚えがないのです。わたくしが聞いてはならないのであれば、殿下がニコラさんに確認してください」

「もう既に俺がニコより聞いた話だ。お前と違って慎み深いニコをこのような人前に晒して、再度話をさせる必要はない!」

 断言するフェリクスにエドメが食い下がる。

「わたくしは、このような人前で犯罪者呼ばわりされております。フェリクス様は公平な方ですから、わたくしに弁明の機会を与えて下さいますね?」


 ここまでエドメに言われたのに突っぱねれば、周囲の自分に対する評価が下がることはフェリクスにも分かる。仕方なしにニコラを自分の脇に立たせ、エドメの視線から守りながら優しい口調で声をかける。

「私はニコを疑ったりしていない。さっきニコが言っていた通りに、本当のことを話してくれ」

 ニコラは水色の大きな瞳に涙を浮かべて、フェリクスを上目遣いに見る。

「本当の、こと、ですか?」

 ニコラに見上げられたフェリクスは、抱きしめたい気持ちをグッと堪えた。

「ああ、真実を教えてくれ。ニコが言ったことを、誰も咎めたりしない。それは王子である、この俺が保証する」


 ニコラは口元に手を置き、うつむきがちに何かを迷っている様子だ。暫く悩んでいたが、急にパッと顔を上げた。その水色の瞳には、心を決めた力が込められていた。

 ニコラはフェリクスから一歩距離を取ると、真っ直ぐにエドメの目を見て相対する。


 周りを囲む生徒達はざわついた。今までのニコラとは、明らかに様子が違うからだ。

 昨日までのニコラは、エドメや他の令嬢達に苦言や小言を言われれば、目を潤ませてフェリクスや彼の側近の後ろに逃げ込んだまま出てこなかった。それが真正面から勝負をしようというのだから、野次馬達の気持ちも昂る。


「エドメ様にわたくし自身の未熟さについて指摘を受けたことはありますが、いじめられた事実はありません!」


 その言葉で、ホールは気の抜けた静寂に包まれた。

 エドメに立ち向かうニコラを応援する気満々で見守っていたフェリクスは、目も鼻も口も開きっぱなしで息をするのも忘れて驚いている。


 周囲の生徒達も、驚きで顔を見合わせ、開いた口が塞がらない。

 それもそのはずだ、エドメと言えば、いじめっ子の代名詞と言っても過言ではない。ニコラに限らず多くの令嬢をいじめている現場を、学園の生徒なら誰もが毎日目にしている。

 自分より美しかったり、成績が良かったり、教師に褒められたり、自分より高価な物を身に付けている者に対して容赦ない攻撃をするのがエドメの日常だ。

 令嬢達はみんなエドメの前に出ないように、気を付ける毎日を送っているのが当たり前になっているほどだ。


 フェリクスがようやく意識を取り戻し、「……先程と言っていることが違うが、あの女を恐れる必要はないのだぞ?」とかすれる声を絞り出した。

 そんなフェリクスの言葉を、頭を振って否定したニコラ。

「フェリクス様が何度も何度も何度も何度も何度も『エドメの仕業だろ』と恐ろしい顔で迫って来るので、ついうなずいてしまったのですぅ」

 遂にそう言って泣き出してしまった……。


 ニコラの様子を見て唖然と立ち尽くすフェリクスに対し、エドメはニコラに「使いなさい」とハンカチを渡すと笑顔を向けた。

 ハンカチを受け取ったニコラは「ありがとうございますぅ。嘘をついて、申し訳ありませんでしたぁ」と涙を押さえる。




「なっ、とんだ茶番だろ?」

 リュドヴィックが苦り切った顔で吐き捨てる。

「泥沼ですね」

 コハリィも顔を顰めている。

「これでフェリクスは、うっとおしい婚約者を殴るだけでは飽き足らず、犯罪者に仕立て上げようとした王子となったわけだ。これから慈悲深いエドメがフェリクスを許し、婚約者としてずっと支えていくという茶番の第二幕が上がるのだろうな」

「第二幕も長そうですね。わたくしは既に消化不良を起こしていますよ」

 コハリィは晴れない顔をリュドヴィックに向ける。

「こんなにも見え透いたことでさえ、恥ずかしげもなくできるのだからな。権力を欲する者とは、本当に浅ましい」

 自分の辛い過去を思い出して遠い目をしたリュドヴィックは、遣り切れない思いを露わにした。

 コハリィはリュドヴィックの手をギュッと握り、「それも今日でお別れですよ」と穏やかな微笑みを向けた。

 リュドヴィックは愛おしそうにコハリィを見つめると「ココの言う通りだ。餞別代りに我慢するか」と言って、コハリィの小さく温かい手を握り返した。

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