第4話 茶番の始まり③

 エドメは慈悲深い仮面を貼り付けて、フェリクスに尋ねる。

「さて、フェリクス様。わたくしが王太子妃に相応しくない理由が、冤罪だと証明されましたが、いかがいたしましょうか?」 

 フェリクスは怒りで震えながら、真っ白になるまで下唇を噛んだ。


 エドメとニコラに騙されたのは明らかだが、それを証明する証拠がない。証拠がないのに騒げばフェリクスの評価がこれ以上ないほど下がり、ますますエドメ達の思う壷だ。

 貴族とは自分の利益のために、相手を貶めることに何の罪悪感も湧かない連中の集まりだ。だから真実など当人以外は誰も望んでいない、偽りでも何でもいかにそれらしく見せるかが重要だ。フェリクスだってそうやって生きてきたのだ。


 フェリクスは焦った。このままでは、貴族からも国民からも「能力がなくエドメに頼り切ったダメ王子」「自分を支える婚約者を裏切った浮気者」「犯罪者だと無実の者に冤罪を被せる王子」と後ろ指を指される。そうなれば、自分の影響力など無いに等しい。この先は、エドメの言いなりだ。


 エドメは初めて出会った時から、見た目も能力も身長も自分より劣るフェリクスを見下していた。そしてフェリクスを蔑み劣等感を与え続けることで、自分が主導権を握ろうとしてきたのだ。

 フェリクスはエドメと出会ったその日に婚約を破棄したかったが、それが叶わなかったのは大人の事情だ。


 当時王太子になると思われていたのは、第一王子であるリュドヴィックだった。

 リュドヴィックの婚約者であるコハリィは、ポワティエ公爵家令嬢で父親は宰相だ。モンフォール侯爵家令嬢であるエドメより家格も国への貢献度も高い。


 そのため、フェリクスが王太子になることは叶わないと思われた。しかしフェリクスの母の実家であるタシュ侯爵家と、その親戚関係にあるモンフォール侯爵家の両家は、権力への執着が異様に強い家だった。

 タシュ家はフェリクスを王太子に、モンフォール家はエドメを王太子妃にと強く望んでいた。同じ目的を持つ両家が、リュドヴィックを追い落としフェリクスを王太子にする為に協力し合うのは自然な流れだった。


 しかし、当時は協力関係だった両家も、四年前のリュドヴィックの失脚によって流れが変わった。

 念願の王太子と王太子妃が回ってきた為、どちらが優位に立つかで主導権争いが勃発し、次第に顔を背け合う仲になっていった。ここ最近は王太子になるフェリクスを擁するタシュ家が優勢に見えていたが、モンフォール家は息を潜めてずっと起死回生を狙っていたのだ。

 エドメは勝ち誇った顔をフェリクスに向ける。


 その顔を見た瞬間に、フェリクスの中に僅かに残っていた理性が弾け飛んだ。


「犯罪者では、ない、と言うのか?」

「たった今、フェリクス様が愛するニコラ様が証明してくれたではありませんか?」

 完全に自分の筋書き通りに物語は進んでいるのに、悪足搔きを続けるフェリクスの愚かさがエドメには可笑しくて仕方がない。エドメは紫の瞳を細め、明らかな嘲笑をフェリクスに向けた。

 理性が消え去ったフェリクスは、薄茶色の目で傲慢なエドメを捕えると口の両端を吊り上げる。ニタァと笑うその様子は、狂気の一言だ。

 フェリクスの狂気に当てられ、さすがのエドメも気後れしている。後ろ暗い所があるニコラに至っては、あまりの恐怖で床にへたり込んでしまった。




 リュドヴィックにとっては、フェリクスの狂気の表情を見るのは初めてではない。初めてではない分、過去の記憶と共に、言いようのない不快感が足元からせり上がってくる。

 リュドヴィックは無意識のうちに、左の二の腕の辺りに痛みを感じて押さえた。

 フェリクスは五年前にも優秀な兄への劣等感と不満を爆発させて、理性が飛んだことがある。その時にフェリクスによって切りつけられた傷跡が、そこには残っている。


(あの顔をしたフェリクスは、自分の渇きを満たすことしか考えられない……)


 泉の落ちた一滴の黒い水滴が、消えることなく何故か大きく広がっていく。得体の知れない不安が、リュドヴィックの心を黒く染めていくのだ……。

「嫌な予感しかしない」

 コハリィもいつもの凡庸さが消え捕食者そのものの凶暴性を剥き出しにするフェリクスを恐ろしいと思ったが、それ以上に不安で揺れているリュドヴィックの藍色の瞳の方が気になる。

 コハリィが「リュド様」と声をかけようとしたその時、フェリクスが動いた。




 フェリクスは狂気の表情のまま一歩エドメに近づく。エドメは本能的に下がろうとするが、恐怖で足が動かない。


「四年前の罪も、忘れたか?」


 フェリクスの言葉に、目を見開いたエドメの顔色がみるみる青くなる。

 エドメの身体は固まったまま震えだし、「……、あ……、い……」と言葉にならない声を発する。

 フェリクスの平凡な薄茶色の瞳が、蟻地獄のようにエドメを絡め取る。




「あの馬鹿、それを言ったらお終いだろ!」


(今日さえ乗り切れれば、自分は自由の身になれる。ココとの誓いを守れる。夢が現実となるのに。あの馬鹿共に邪魔をされてなるものか! 婚約破棄など、俺が絶対にさせない)


 リュドヴィックは険しい顔でグラスを床に投げつけると、三人の元へ走り出した。


 コハリィはあっという間に小さくなっていくリュドヴィックの背中を見つめ、穏やかな生活とささやかな未来に暗雲が立ち込めていくのを感じていた。

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