29――予選開始


「地区大会でも、意外と大きな会場なんですね」


「参加チーム数が結構多いからね、決勝までに何週間もかけられないし」


 オレがぽつりと呟いた言葉に、まゆが答えてくれた。まさか聞いているとは思っていなくて、全然期待していなかった回答が返ってきてびっくりする。


 そりゃそうだよな。この地区の高校の男バスと女バスの出場校が試合するなら、ある程度の大きさの会場を使わないと試合数をこなせないだろう。ステップとしては次に県大会があって、その次が関東大会。そしてインターハイだから、サクサク進めないとスケジュール的に余裕がなくなるだろうし。


 ここともう一ヵ所、同程度の大きさの会場で並行して試合が行われる。残念ながら男子はそちらが会場なので、今日はイチと会う事はない。


 県によっては参加校の数が多すぎてブロックを分けた上にリーグ戦をして、準決勝進出を決めるところもあるらしい。だけどウチの県はリーグ戦にする程の参加校数はないので、普通にトーナメント戦で負けたらそこで終わりの一発勝負だ。


 ウチの高校は去年インターハイもウィンターカップも新人戦も代表校になっているので、シード権を持っている。つまりシードではない学校は本日は2回試合をするのだけど、オレ達は1試合だけで済むので少しだけ楽ができる。あと時間にも余裕があるので、レギュラーと控え選手も含めた部員達全員で他校を偵察する予定だ。


 スマホのカメラもキレイな映像が撮れるようになってるからな、コートを全体的に撮るだけでいいから過度なズーム機能も必要ない。オレ達は高校生だからビデオカメラなんか持っているヤツも少ないし、安価なスマホでお手軽に済んで正直助かる。


 もちろんビデオカメラやもっと高性能でキレイに撮影できるスマホを持ってる層も一定数いるけど、オレとしてはスマホなんてちょっとした暇つぶしのゲームとメッセージアプリと電話ができればそれで十分だ。ちなみに男だった頃に使っていたスマホ本体は引き出しの奥にしまい込んで、電話番号も休止させている。教授達は元に戻らないだろうという確信を抱いているみたいだが、万が一男の身体に戻った時のために番号はある程度の期間残しておいた方がいいだろう。


 新しいスマホは女の子っぽい色のカバーを付けたもので新しい番号だから、オレと湊が同一人物だなんて突飛な事を考える人もいないだろう。メッセージアプリも新規アカウントで登録したから、家族とイチとまゆの個人でのやりとりと女子バスケ部とクラスのグループルームしか存在しないからな。女子高生としては寂しい感じだがこれだけで全然困ってないし、もし必要だったらこれから新しく増えていくんじゃないかな?


 そんなことを考えていたら、オレ達が偵察する予定の試合が始まった。正直に言えばこの地区にオレ達の壁になりそうな高校はないのだが、もしかしたらダークホースが現れるかもしれないという保険を掛けての偵察なので、撮影しつつ真剣に試合の展開を見つめる。


「なんというか、こうなると泥仕合ですね」


「同じぐらいの実力で両校ともに点数を取ることだけを考えているから、ディフェンスがおざなりになって点数だけがお互いに積み重なってる感じだよね」


 点を取ったら取り返されるという展開の繰り返しで、殆ど点差もなく試合は終盤へと進む。そろそろ守りに力を入れて、カウンターで点差を広げればいいのに。その実力がないのか、それともここまでノーガードの殴り合いをした以上、後には引けないのかも。点数だけ見れば派手だけど、両校の実力不足が余すところなく観客に伝わる試合だった。


 最終的に4点差で決着がついたのだけど、なんというか見ているこっちが疲れた。それはさておき、そろそろオレ達の試合の集合時間だ。オレとまゆは急いで観客席から自分達の試合が行われるコートへと移動する。


「河嶋。はい、これ」


 同じく控えメンバーの先輩から、メガホンをふたつ渡された。メガホン同士をぶつけて音を出したり、普通に口に当てて声を出したりして応援に使うのだ。ちゃんとみんなで音と声を合わせるのにここ何日か部活後に練習したりもしたんだけど、女子の応援はまだ静かで上品だなと思った。男だった頃は本当に野太い声で相手を威圧したり、酷い時は失敗をあげつらったり馬鹿にしたりと、挑発したりもあったな。もちろん、そんなことをするのは極稀だったよ。そんなことを頻繁にやっていたら、学校や部のイメージが悪くなるし。


 試合開始前に両校に片方ずつバスケットゴールが割り当てられて、そこでシュート練習をする。今日はオレは出場しないんだけど、控えメンバーもパス出しとか球拾いとかのためにコートに立つ。ひと通りレギュラーや出番がありそうな先輩達がシュートの練習を終えた頃合いを見て、ゴール下でシュートを2~3本打つ。うん、今日も調子は良さそうだ。


 ブ―、と大きなブザーが鳴って練習時間の終わりを知らせた。レギュラーメンバーはベンチに戻って監督からの指示を真剣に聞いているが、オレ達は散乱したボールを急いで片付けてベンチへ戻る。ジャージの上下を脱いで準備万端になったまゆが、脱いだジャージをオレに渡してくる。ほんのり温かいジャージを抱えるように持つと、まゆが何故かオレをぎゅっと抱きしめてからひらひらと手を振ってコートに走っていった。オレは頑張れという気持ちを込めて、両手でまゆのジャージをぎゅっと握る。


 オレ達の初戦の相手は県では中ぐらいの力量を持つチームだから、まゆ達にとってはウォーミングアップにちょうどいいだろう。ベンチに戻ってまゆのジャージを畳みながら、試合が始まるのを待つ。


 コートの中央にあるセンターサークルに審判と部長、あちらのチームのジャンパーが向かい合うように立った。うちの部長は女子の中では群を抜いて背が高いので、相手はプレッシャーがすごいだろうな。


 試合開始のブザーの音が鳴り響いて、それに合わせて部長がトスされたボールに向かってジャンプする。こうしてオレにとって高校での初めての試合が始まったのだった。

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