19――監督の方針と部員の不満


 まゆのイタズラのせいでものすごく疲れた風呂を終えて、濡れた髪をそのままに部屋へと戻る。先輩達は去年と一昨年でこういう状況になることを把握していたのか、仲が良いグループでドライヤーや化粧水などお手入れ用品を持ち込んでいた。


 ただ全員が同じタイミングでドライヤーとかの電気を喰うものを使うと、いくら合宿所とはいえブレーカーが落ちたりする可能性もある。3年生の指示の元、それぞれ順番に乾かすんだけどこれだけの人間が同時にドライヤーを使うとすごいうるさいな。


「河嶋、おいで。乾かしてあげよう」


 オレも誰かにドライヤー借りなきゃなと思ってキョロキョロしていたら、何故か右手に銃のようにドライヤーを持った監督に手招きされた。


「あー、監督ズルい!」


「私達も乾かしてあげたかったのに」


 呼ばれるがまま監督に近づいていくと、近くにいる先輩達が抗議の声を上げる。それについても意味がわからなくて混乱していたオレだったが、呼ばれるがまま監督のすぐ前に腰を下ろした。


「お前達は明日にでもしてやればいいだろうが、監督特権だ。すまんな、河嶋。濡れ羽色の髪がキレイだし、妙にサラサラでさわり心地も良さそうだから皆が気になっているんだよ」


 ポンポンと優しく頭を撫でられたので、気にしてないという気持ちを込めて首を横に振る。確かに茶髪や金髪の女性が増えた今の時代だと、日本人らしい真っ黒な髪というのが珍しく感じるという逆転現象が起きているのかもしれない。


「おおー、マジでサラサラだね」


「でもだからこそ、結びにくそうよね」


 ガーッと音を立てるドライヤーから吹き出す温風に、オレの髪が右へ左へと舞っている。それを見ながら、近くで何やら先輩達が各々の感想を言い合っていた。さすがに生粋の女子である先輩の指摘は正しい。髪が細い上にサラツルな感じになっているからまとめにくいし、結んでもすぐに緩んで解けてしまったりなかなか扱いが難しいのだ。


 部活や体育の授業ではギューっと力いっぱいゴム紐で結んで解けないようにしているので、あとが付くのが嫌なのと髪が引っ張られて少し痛いんだよね。女子初心者のオレとしては、サラサラさよりも扱いやすい髪が欲しかったなと思う。肩を少し超えるぐらいの長さなので、まだどうにかできるレベルだが。


「さて、そっちの部屋にいる部員も呼んでくれ。食事をした後だと眠くなるだろうから、先にミーティングを行う」


 隅に置かれていたホワイトボードを皆に見える位置まで持ってきて、監督は言った。隣の部屋から移動してきた部員が合流して、それぞれがホワイトボードの前に陣取る。


「早速だが地区予選のレギュラーとベンチメンバーを発表する。これはあくまで現時点での評価で、この合宿や練習試合での動きも加味して最終的な判断を行う」


 監督はそう前置きして、レギュラーメンバーから名前を呼び始めた。レギュラーメンバーは部長と副部長を含む3年生が4人とまゆという、うちの部での最強メンバーで挑むらしい。ベンチもほとんどが3年生だが、ちょこちょこ2年生の名前が呼ばれる。ベンチメンバーの上限は15人、オレ達1年生は観客席で応援かなと思いつつも悲喜こもごもな先輩達の様子を眺めていた。


「最後、1年の河嶋」


 監督が突然オレの名前を呼んで、一瞬部屋の全ての音が止んだ。そして周囲の全員の視線がオレに集中する……こんな風に静かな場所で大勢に注目されることなんて普段全然ないので、背筋が何やらゾワゾワとしてしまう。


 まぁ先輩達の気持ちはわかる。まだ名前を呼ばれていない部員の中には当然ながら、2年生も3年生もいるのだ。それなのにいきなりオレの名前が呼ばれたのだから、『なんで1年生の名前が呼ばれるのか』と不満に思ったに違いない。


 コソコソと『なんであの子が』とか『贔屓されてる』とかあちらこちらで囁かれているけど、別にオレが何か不正をした訳でもないから居住まいを正して堂々としていよう。むしろ先輩達の反応は予想がついていただろうし、監督がどうにかこの場をおさめるだろう。もしもこちらに丸投げするなら、チームに悪影響があるからとか理由を付けて辞退するのもアリかもしれない。


 さてさて、監督はどうするのか。まるで他人事のように状況を傍観していると、少し間をおいてから監督が真剣な表情で口を開いた。


「ふむ、河嶋のベンチ入りには反対の者が多いようだな。特にベンチに入れなかった部員が多いみたいだが、私が納得できる反論ができる者はいるか?」


 監督の言葉に、陰口を言っていた部員達の声がピタリと止む。はっきりと不満をぶつければいいのにとは思うが、誰だって自分から進んで悪者にはなりたくないだろうしな。


 誰も立ち上がらない中、何度か躊躇した様子を見せていた2年生の先輩が立ち上がった。おお、この場で発言する気概があるのってすごいな。個人的にはコソコソ陰口言うだけ言って発言を求められたら無視するヤツより、こうやって立ち上がって表立って不満を表す人の方が好感が持てる。


「経験で言えば3年生や2年生の方がありますし、3年生にとっては残り少ない公式戦の機会です。これからまだまだ先がある入学したばかりの1年生をベンチに座らせなくても、先輩方を優先した方がチームがまとまると思います!」


 この先輩には仲の良い3年生の先輩がいるのかもしれないな。ベンチメンバーになれば、出場できる機会がもしかしたらあるかもしれない。オレがベンチメンバーにならなければ、少なくともその席はひとつ空く。でもそこにこの先輩が慕っている先輩が入れるかどうかはわからない。


 今のはオレの勝手な妄想だ。もしかしたら自分が控えになるためにこう言ってるのかもしれないし、悪く思われたくないから3年生のためだと建前なのかもしれない。


 果たしてこの先輩の訴えに、監督はどういう答えを返すのか。オレは色々と考えを巡らせながら、監督の言葉を待った。オレ個人としては、ベンチメンバーから外されても別に構わないんだよな。今のオレの実力が足りてないのも自覚しているし、体力だって全然だ。長所もちょっとシュートが上手で瞬発的にドリブルで相手を抜ける程度だから、総合力で言えば先輩達の方が高いだろうしな。


 監督はなにやら首を横に振ると、わざとらしいぐらいに重くて長いため息をついた。


「すまないが仲良しごっこがしたいなら、不満がある者達を引き連れて部を辞めて、学外にバスケサークルでも作ってバスケを楽しんでくれ」


「なっ……!?」


「私達は勝つためにバスケをやっている、そのためにベンチに河嶋を入れた。河嶋が持つ武器がチームの勝利に大きく貢献すると考えているからだ」


「武器って、高校まで正式にバスケ部に入ったこともない子に、どんな武器があるんですか!」


 先輩の反論に、数人が頷いている。部長との1on1を見てなかったのか、それともマグレか部長が手加減をしてオレに花を持たせたとか思っているのかな。


 オレとしてはマグレで勝ったと思っている、に一票を入れたい。ただうちの部長、マグレで勝てるような実力じゃないけどな。


「河嶋の武器はシュートだ、綾部との1on1で入らなかったもののリングをしっかりと捉えていたと聞いている。それにフリーで3Pシュートを30本連続で打って、27本を入れたとその場にいた者が言っていた……そうだな、井上」


 いや、ボカしたのに結局誰が情報源か言うのかよ! 思わず監督の言葉に胸中でツッコんでしまったが、そんなオレの心中などわからないまゆはこくりと頷いた。


「本当だよ、ひなたちゃんが打ったボールをゴール下にいた三浦くんがキャッチして、私を経由してひなたちゃんに戻す形だったんだけど、テンポよく早いリズムでシュートを打ってこの結果だからね」


「聞いた通りだ。もちろんこれからも精度を上げてもらって、理想を言うなら100%に近いシュート決定率を狙って欲しいが、現状でも試合で強力な武器になると思っている。それにスリーポイントシューターは、コート内にいるだけで敵の注意を集める存在だからな。河嶋を警戒している隙をついて、こちらのメンバーが切り込みやすい展開に持っていくことも可能だ」


 サッカーとかでもあるもんな、決定力のあるエースを抑え込むためにマークにずっと付く戦術。大抵そういうマーカーってディフェンスに長けた選手が選ばれるから、そいつがエースに掛かり切りになってくれるとこちらがその隙をついて攻めやすくなる。なるほど、わかりやすいけど効果的な作戦だ。


「とは言っても、実際に自分の目で見ないと納得はできないだろう。だから明日河嶋には井上が言った状況を再現して、どれだけシュートを決められるのか見せてもらおう。そうだな、50本のうち8割の決定率をノルマにして、もしもそれを下回るようなら河嶋のベンチ入りについては再考しよう。それでいいか?」


 異議を申し立てていた先輩に監督がそう言うと、譲歩を引き出せた事に満足したのかこくりと頷いた。それを見て監督も満足そうに頷くと、メンバーが決まらないとこの後のミーティングはやっても無駄だと食事の時間まで自由時間を言い渡される。


 解散して部員達が思い思いに行動し始めるのを見ながら、オレは心の中で不満の声を上げた。いや、オレには相談も何もないのかよ!

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