17――手首の跡の後日談と合宿のお知らせ


「おはよう、ひなたちゃん。珍しいね、リストバンドなんて着けてるの」


 翌日の朝練前に話し掛けてきたまゆに挨拶を返して、さりげなく彼女の視線から両腕を遠ざける。


「前に従兄弟のお兄ちゃんがくれたものなんです。昨日引っ越しの荷物を探していたら見つけて、懐かしくなったので使おうかなと」


「ああ、湊くんにもらったんだね。私も中学の時にバスケ部みんなであげた義理チョコのお返しでハンカチもらったけど、チョイスがやっぱり男の子なんだよね」


 昨日の夜から考えていた言い訳をするオレに、まゆは懐かしそうにそんな恥ずかしいエピソードを話し始めた。あの時は何を返せばいいのかわからなくて、姉貴に聞いたら無難にハンカチはどうかと言われたから買ったのだ。色を変えると不公平感が出るかと思って全員無地で水色、タオル生地のハンカチを渡したんだが、どうやら反応を見るにあんまり気に入らなかったみたいだな。昔の話だからいいけど、ほんのちょっとだけショックだ。


 それはさておき、まゆが『リストバンド見せて』と腕をこちらに伸ばしてきた。後ろに隠していたオレの両腕はあっさりと掴まれてしまい、抵抗しても余計に怪しく思われてしまうのでなすがままに腕も前に差し出す。結局朝になっても見てわかる程度に、イチの手形の赤みが残っていた。アイツも本気で掴んだ訳じゃないだろうから痛みはなかったけど、問題なのは意外と跡が広範囲に残っていることだった。


 『どうかリストバンドからはみ出た赤みの部分には触れないでほしい』と願っていたのだが、さすが生粋の女子は目ざとい。リストバンドの触り心地を確かめていたまゆが、リストバンドの少し下の方に視線を向けて訝しげな顔をした。そしてリストバンドから指を少しズラして、赤みのある部分を軽く押してきた。


「もしかして怪我してる? 湿布してるのを隠してて、剥がれないようにリストバンドで抑えてるとか」


「いえ、怪我はしてないですよ。もしかしたらちょっと肌が荒れてるのかもです」


「ふーん……ちょっとこれ、外してもいい?」


 許可を求める言い方だったのに、オレが返事をする前に手首からリストバンドを素早く抜き取ってしまった。明らかに人の手の跡がついているのを見て、まゆの目が一瞬で据わる。大きさから男の手だと推測したのだろう、今度は気遣わしげな視線をオレに向けた。


 もしかしてオレが誰かに乱暴でもされたのかと疑っているのだろうか、心配してくれるのは嬉しいけどそれは飛躍しすぎだと思う。困ったように笑みを返して、オレは昨日の出来事を説明することにした。イチとしても別に本気でオレを襲おうとした訳ではなく、男に対して無防備でいることの危険性を教えてくれただけだし。


 さすがにベッドに押し倒されたというところは言えなかったがイチに手首を掴まれたと言うと、まゆは『あの変態め……』とドスの効いた低い声で呟く。しかし男バスの同級生達に話し掛けられて、休憩中に会話したことを言うと何やら納得したように頷いた。


「なるほどね、ひなたちゃんにもうちょっと警戒心を持たせようとしたのかな。でも、アイツのことだからあわよくば、なんて気持ちもあったはず。いい、ひなたちゃん? 前にも言ったけど男はケダモノなんだから、気をつけないとダメだよ。特にひなたちゃんはとびきり可愛いんだから、近寄ってくる男はみんな下心があると思うこと!」


 まゆの過激な言葉にそれはちょっと暴論じゃないだろうかと思ったが、それを口に出せる雰囲気ではなく。急に上がったまゆのテンションをなだめるように、オレはこくこくと頷いた。


 オレだって元男なんだから、可愛い子がいたらお近づきになりたい気持ちは理解できる。中身がオレだから台無しだが、この身体の外見は可愛い部類に入るだろうからな。でもナンパをするような男たちも理性の働かないサカリのついた動物じゃないんだから、話をしただけで襲いかかってくるなんてありえないだろう。


 そう言ってフォローすると、まゆはしぶしぶながらオレの言葉に同意した。心配してくれるのはすごくありがたいが、オレだって気軽に話せる男友達ぐらいは欲しい。恋人になるとかは現時点では全くもって考えられないけどな。


 男友達ならイチがいるだろうって思われるかもしれないが、アイツは学校の外ならともかく学内だと腐っても先輩だから、後輩のオレとしては微妙に話しかけにくい。もしもオレと話しているところをイチのことが好きな女子が見てしまって、変な誤解されたらその子にもイチにも迷惑がかかりそうだしな。


 そんなことを考えていると監督から集合の声が掛かったので、まゆと一緒に慌てて駆け寄る。普段は朝練には顔を出さない監督が朝から体育館にいるのが珍しくて、オレ達1年生は何か重大な発表があるのかと緊張してしまう。そんなオレ達の様子を見て、まゆがクスクスと笑っていた。多分先輩達はこれから監督が何を言うか、大体わかっているんだろうな。


「5月はいよいよ、インターハイ予選が始まる。そこで試合に向けての最後の仕上げに、毎年恒例だが学校の合宿所で合宿を行う!」


 ああ、毎年恒例だから上級生は落ち着いた様子なのか。逆にオレと同学年である1年生達は、入学して間もないのにもう合宿をするのかとザワついている。


「去年の3年生が引退してから、既に2・3年で今年も全国へ出場できるチーム作りはできているはずだ。実際にここしばらく行っていた練習試合でも、なかなか良い結果を見せてくれている。しかしこの合宿でいい仕上がりを見せてくれた1年生にも、大会への出場のチャンスは用意しているから真剣に取り組んで欲しい」


 ああ、なるほど。何かと思ったら、1年生に対して発破を掛けたかったんだな。確かにここしばらく練習試合では応援に回ったり留守番させられたり、普段の練習にも慣れてきて明らかにみんなダレ気味だった。ここらで喝を入れつつ、試合への出場というエサで発奮させようという魂胆らしい。もちろん予選前の最終調整っていうのも嘘ではないんだろうけど。


 ってちょっと待てよ、合宿ってことは集団で風呂に入ったりするんだよな? サークルの先輩達と一緒にシャワー浴びたりはあったけど、じっくりと一緒に風呂に入ったのは姉貴しかいない。しかもそれは髪や肌の洗い方とか手入れ方法を教えてもらう意味があったからまだ我慢できた。


 でも女になる前から知っているまゆと風呂に入るってのは、かなり抵抗があるな。なんというか見られるのは全然いいのだが、オレがまゆの裸を見てしまうことに罪悪感がすごい。


 一緒に部活を頑張っている同級生もそうだ。そんな彼女達の裸を盗み見するような罪悪感に耐えられるのか、心底不安だ。とりあえず逆上せて鼻血を出さないように気をつけないとな。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る