プロローグ4


 カウンセラーのお姉さんや同じ部屋のおばちゃん達に構われながら日々を過ごしていると、母がひとりで訪ねてきた。


 息子のことを信じてあげられなくてごめん、と開口一番に頭を下げられたのだが、オレも逆の立場なら信じにくかったとは思うので許してあげた。ただ母親が思ったより頑なだったことには、ちょっとだけ恨んでいたりもするが。


 どうやら教授は結構なスピード感を持って、両親に話を持っていってくれたらしい。おかげで拗れる前に解決してよかったなと思う反面、オレの新しい戸籍謄本を見せられてちょっと怖くなった。教授いわく政治家、しかもかなり上の立場にいる人達に友人が複数いるらしく、お願いしたらあっという間に作ってくれたと。それでいいのかこの国は、いや助かるんだけどさ。


 体の中にあった細胞レベルでの男性だった頃の名残も最早ほとんど残っておらず、完全に女の子の体になってしまったから早急に新しい戸籍が必要になったのだ。姉貴に冗談半分に辛いぞと脅されていた初潮も来てしまったしな。あれはマジで辛い、腹壊した時の何倍もの痛みが常時襲ってくるのだから。


 そんな試練を乗り越えながら、河嶋ひなたという新しい名前と戸籍をもらったオレ。ちなみに河嶋というのは、母親の実妹でオレにとっては叔母さんにあたる人の旦那さんの名字だ。結婚してもう随分経つが、未だに子供に恵まれないという話は折りに触れて聞いていた。もちろん親戚達は表立っては口にしないけど、人の口に戸は立てられないからどこからともなく子供であるオレ達にも聞こえてくるのだ。


 今回オレの生い立ちをでっち上げる為に両親と姉貴に教授達も加えて相談した結果、叔母夫婦の子供ということにしたらしい。もちろん本人達の承認も得ているという話なので、ありがたい話である。


 本当ならこっちから挨拶に行くべきなのだろうが、生憎叔母達が住んでいるのはここからかなり離れた場所だ。退院したら改めて行こうかと考えていたら、なんと叔母が叔父を連れて見舞いに来てくれた。できれば一緒に住みたいけど、学校のこともあるし長期の休みに泊まりに来てくれたら嬉しいと、オレにこの上なく都合のよい提案をしてくれた。


 養子ではなく初めから叔母夫婦の元に生まれた娘という形になったのには、和解したばかりの母親には少し納得ができなかったらしいが、姉貴が『どうせこれからも変わらずに、ウチに住むんだからいいじゃん』と説得してくれた。


 本来のオレである相川湊は病気療養のために休学し、万が一男に戻った時のために何年か時間を空けた後で元に戻れなかった場合は死亡したことにするらしい。自分が死ぬことにされるのはちょっとばかり気分が悪いが、変に疑われる要因はなくしておいた方がいいと教授が言っていたので複雑な気持ちになりつつも納得する。


 当面の不安が無くなると、やっぱりバスケがやりたくなる。オレはどこかにバスケットコートが使える施設はないかと、ちょうどカウンセリングの予定があったので担当のお姉さんに相談してみた。すると教授に話してくれたのか、近くにある大学で活動しているバスケサークルに通えるように手配してくれた。


 初回は忙しいのにわざわざ時間を作ってくれた教授に付き添ってもらった。多分偉い人なんだろうけど何人かが教授にペコペコ頭を下げている様子を見ると、本当に有名で権威がある人なんだなぁと思う。でもなんかピンと来ないんだよな、オレの前では普通に人の良いおじさんだし。


 大学2年生の高田さんという女子の先輩がオレのお世話係をしてくれるみたいで、基礎メニューとか色々と教えてくれた。オレのボールの扱いが明らかに経験者だったため、打ち合わせ通り従兄弟に教えてもらったと答えた。もちろんこの従兄弟とは男だった頃のオレのことで、自分自身に習ったというのはなんだか変な感じだがどうやら高田さんは信じてくれたようだ。


 しかし男だった頃より、明らかに体力がない。というか中学の頃に一緒にバスケに打ち込んだ同級生と比べても虚弱なんだが、これが女になった影響なのだろうか。男だった頃の無尽蔵のスタミナと屈強なフィジカルが恋しいが、ないものねだりしても仕方がないもんな。自分の手の中にあるもので、なんとかやりくりしていくしかないのだ。


 ただよくなってる部分もあって、シュートを打てばほぼリングを通り抜けて得点できるという特技を手に入れてしまった。どれくらいの距離で決定率が下がるのかを試してみたのだが、どこからシュートを打っても気持ち悪いぐらい入るのだ。自陣ゴール前から超ロングシュートを放っても入った時は、面白そうに見学していた他のサークルの人達も唖然としてたもんな。


 もしかしたら性別が男から女へ反転したから体力のある体から虚弱になって、かなりガタイがよかったのにちんちくりんになってしまったり。そんな風に反対の状態になってしまっている現状を考えると、どちらかと言うとシュートよりポストプレーの方が得意だったから、こんな風に超人的なシュート能力を身につけてしまったのかもしれない。


 せっかくこうしてバスケ経験者が集まるサークルに参加させてもらっているのだから、今の自分に合うプレイスタイルを身につけるために頑張らなければ。そう決意を新たに、オレはぎゅっと両手を握りしめた。





『次は桜台、桜台です。左側のドアが開きます』


 これまでのことを思い返していたら、電車の車内アナウンスでふと我に返った。子供の頃から何度も聞いているから慣れているはずなのに、しばらく地元を離れていたからなんだか懐かしく思う。


 最初の頃は外に出ると他人の視線をあちらこちらから感じて、もしかしたらオレが男だったのがバレるぐらい不自然なのかと不安にもなったのだが、姉貴や高田さんに言われた言葉で意識的に無視できるようになった。


 姉貴には『お前が他の人に秘密がバレるんじゃないかとオドオドしてるから、他の人がその不自然な行動に視線を向けるの。胸張って堂々としとけ』と言われて背中を叩かれ、高田さんには『人って他人が着てる服とか持ってるアイテムとか、そういうものに視線を無意識に向けることがあるからね。心配しなくてもひなたちゃんはいつも可愛いわよ』と持ち物をジロジロ見られることがあると教えてもらえた。なるほどなーと思ったよ。


 ちなみに高田さんはオレのことをよく可愛いと言っていたのだが、その感想にはちょっと懐疑的だ。美容院で初めて自分の顔を見た時はオレ自身も可愛いと思ったのだが、大学のサークルやキャンパス内で出会う女子を見てたら、オレよりも可愛い人は数えきれないほどいるのだ。ブサイクではないけど特別可愛いわけでもない平均的な顔だと言うのが、自分の顔に対するオレなりの結論だったりする。


 そんなことを考えていると電車がスピードを落として、見慣れた駅のホームへと入っていく。座っていた座席から立ち上がり、降りるためにドアの前に並んでいる人達の後ろにオレも並ぶ。


 開いたドアに向かって流れる人の波に流されながら、オレは約1年ぶりに生まれ育った地元の街へと足を踏み入れたのだった。

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