01――親友との偶発的な再会


 よく知っている駅の構内だから迷うこともなく、電車を降りて改札を出てロータリーがある東口の方へ向かう。


 今日こっちに戻ってくる予定を伝えたら、姉貴が迎えに来てくれると言ってくれた。なんか男だった頃より姉貴が干渉してくるような気がするが、助かっているんだから別にいいか。


 バスケサークルの先輩方にも買い物に連れて行ってもらったりして、女子のイロハを教えてもらったのだがオレはいまいち理解できていない。風呂の入り方とかその後の髪の乾かし方とかも教わったのだが、男の時とは比べ物にならないくらい手間が掛かるんだよな。最初は背中の真ん中ぐらいまで伸ばしていた髪も、手間が掛かるから切って現在は肩の少し下ぐらいの長さになっている。


 本当はザックリとめちゃくちゃ短くするつもりだったのだが、先輩達に止められたんだよな。ひなたの生い立ちの設定では幼少期から病院に入ったり出たりしていて、学校も院内学級に通っていたことになっているので、少々世間知らずだったり素っ頓狂な言動をしても納得してもらえるので助かった。


 だけどこの設定に甘えてばかりはいられないんだよな、時間が経てばオレにも女子としての経験値が貯まっているだろうと周りの人は思うだろうし、その時に今みたいにセンスも何もかもがダメダメだったら余計に不審に見られるかもしれない。


 女として生きていくしか選択肢がないんだから、オレももっと真剣に色々なことを考えて生活していかないとな。本当はバスケだけやって生きていけたら楽しいのだろうが、154センチの身長と虚弱で体力がない体では真剣にプレイできるのはきっと高校までだろうし。


 『よし、頑張っていこう!』と気持ちを新たに気合を入れた瞬間、何故か横から伸びてきた手にオレの手首が掴まれた。姉貴が待ちくたびれてここまで迎えに来てくれたのかなと思って視線を向けたら、知らない男がニヤニヤと気持ち悪い笑みを浮かべながらオレの顔を見ていた。


 うわ、気持ち悪っと心の中で呟いて慌ててその手首を振り払おうとするが、男の力が案外強くて全然手を離してくれない。いや、オレの力が弱すぎるのか。とにかく『離してください!』と強い語気で告げてブンブン掴まれている腕を振り回してみるが、男は余裕綽々でやに下がった顔でオレへの笑みを濃くした。うわぁ、余計に気持ち悪くなった。


 これでも元男だったんだ、こんなヤツ怖いわけじゃない。生理現象で目尻に涙が浮かんできてるけど、まだ最終手段は残っている。いよいよそれを使う時が来たか、バスケでほんの少しだけ鍛えられた足で繰り出す急所攻撃を。


「そんな嫌がらなくてもいいじゃん! せっかくの春休みなんだしさ、一緒に遊びに行こうよ」


 そんな言葉と同時に、じっとりとした目線で頭から足の先まで見られてさらに気持ち悪さが増す。そんな下心丸見えのナンパになんて、誰もついていかないだろうに。もちろんオレだってノーサンキューだ。


 いつ思いっきり蹴ってやろうかとタイミングを見計らっていると、オレの手首を掴んでいるナンパ男の手首を突然伸びてきた大きな手がガシりと掴んだ。


「なんだ、いきなり!」


 勢いよく自分の手を掴んだ相手に振り返ってそう叫んだナンパ男だったが、その相手を見て言葉の勢いが弱くなる。『あの』だの『えっと』だの随分弱気になった風に見えるがそれもそのはず、170センチぐらいの身長であるナンパ男よりも相手の身長はそれより10センチ程高いのは見てすぐにわかったからだ。


 そして何かスポーツをやっているであろう鍛えられた体に、ナンパ男は勝ち目がないと思ったのだろう。オレの手首からパッと手を離してまるで拳銃を向けられた犯人のように両手を上げ、ゴニョゴニョ言いながら脱兎の如く走り去っていった。


「ったく、タチ悪い奴だな。キミ大丈夫か? あーあ、思いっきり跡がついちゃってるな」


 オレの腕にくっきりとあのナンパ男の手の跡が残っていたのだが、オレとしてはそんなことはどうでもよかった。たった今助けてもらったばかりだが、今すぐこいつの前から逃げ出したくなる衝動を必死に抑える。何故なら目の前にいる男は、小学校からの付き合いがあるオレの親友だったからだ。


「あ、あの……助けてくれて、ありがとうございました」


 まさかオレだとバレているとかないよな、と不安に思いつつも助けてもらったのだからお礼を言わなければと、少し震える声で告げてペコリと頭を下げた。そんなオレから照れたように視線を逸しながら、親友である三浦勇市みうらゆいちは『大したことはしてないから』と答えた。


 どうやらオレが相川湊であることはバレていないようだ。さっきまでは焦っていて混乱していたけど、よくよく考えれば今のオレは性別も違えば身長だって30センチ以上縮んでいるのだ。目の前の親友、イチより高かったのにな。さすがにこれだけ身長差があると、見上げるだけで首が痛くなる。


 顔の筋肉を総動員して愛想笑いを浮かべていると、何故かイチが頬と耳を赤くしてオレの顔をチラチラと見ていた。あー、確かにこいつって男同士で遊んでる時はチャラ男みたいな言動するくせに、知らない女子の前に立たせると借りてきた猫みたいに大人しくなってたな。女バスの子達とは普通に喋ってたから、慣れると大丈夫なんだろうが。


「それで、これからどこかに行くのか? 春休みだからか、駅前はあんな手合いがウロチョロしてるから。もし迷惑じゃなければ、そこまで送っていくけど」


「え、いいですいいです。そこのロータリーに姉……じゃなくって、従姉妹のお姉さんが迎えに来てくれているはずなので」


 断ったはずなのに、何故かイチは送ってくれるとしつこくて。根負けしたオレは、5分程の道のりをイチと一緒に歩くことになった。できればボロを出す前に別れたかったんだけどな。


 その短い時間に自己紹介をして何故か初対面なのに必死に話し掛けてくるイチに相槌を打ちながら進むと、ロータリーにたどり着いた。見れば近い場所に姉貴の車が停まっている。


 オレの姿を見て車から降りた姉貴に、イチと一緒に近づく。当然イチは子供の頃からうちの姉貴を知っているから、オレと姉貴の関係をイチは不思議に思うだろう。細かい会話とかは覚えてないのだが、当然いなかったはずの従姉妹の話なんてするはずもないしな。


 姉貴はオレに『話したの?』と問いかけるような視線を向けてきたが、当然首をブンブンと横に振った。親友なんだから話すのはやぶさかじゃないけど、さすがにこんな人が多くいるところで秘密の話なんかしたくない。


「イチ、久しぶりね。うちの従姉妹とはどこで?」


「美雪さん、ご無沙汰してます。この子、美雪さんの従姉妹なんですか?」


 イチの視線はオレと姉貴の顔の間を何度も往復する。そして『確かに似てる気がする』と呟くが、それは当然だ。なにせオレと姉貴は姉妹関係があると、DNA検査で証明されているんだからな。そっくりでなくとも、似てる箇所はあるだろう。


 姉貴は小さくため息をついて『予定は狂っちゃうけど、いい機会か』と呟いて、イチにこれからの都合を尋ねた。どうやら今日は体育館の屋根の点検があるらしく、部活は午前中で終わったそうだ。家に帰ってゴロゴロする予定だと聞いた姉貴は、このまま一緒に自分の家に来るようにとイチに告げた。


 小学生の頃からオレとイチは姉貴の言うことには即頷くように躾けられたので、イチは条件反射でコクリと頷いて姉貴に言われるがまま後部座席へと入っていった。軽自動車だから背が低くて窮屈そうにしている姿を見ていると、姉貴が近付いてきてオレのリュックを渡せとジェスチャーで示してきた。背負っていたリュックを下ろして姉貴に渡すと、ハッチバックを開けてそこに荷物を置いてくれた。


「……もしかして、今日話すのか?」


「いつまでも黙ってても仕方ないでしょ、アンタのことだからストレスを溜めてパンクしちゃうわよ? ひとりぐらい事情を知ってる人間がいた方が、学校とかでもフォローしてもらえるでしょうし」


 姉貴の言ってることは正しいと思う、でもまだ心の準備ができてなくて。もしかしたら笑われたり、気持ち悪いと嫌厭されたらと思うとかなりの恐怖を感じる。


「不安なのもわかるわよ、でもイチはあんたの親友でしょうが。信じてあげなさいよ。もしもアンタを傷つけるようなことを言ったら、私がシメてあげるからさ」


「……ありがとう、姉貴」


「お姉ちゃん、でしょ。バレたくないなら、ちゃんと女の子らしくしなさいよ」


 姉貴の言葉で、ほんの少し不安だったオレの心が軽くなる。そうだよな、踏み出しもせずに想像だけで怖がってても仕方がない。サシで話をする訳でもなく、姉貴も一緒にその場にいてくれるんだから心強いし。


 親友を信じて話してみよう、オレはそう決意しながら姉貴の車の助手席に乗り込むのだった。

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