第14話 テストマッチ 招集再び!

 ゴールデンウィーク前、連休明けに行われるテストマッチのメンバー発表があった。そこには流本錠、その名も含まれていた。ユキヤはまだ復帰に至らず、主にオマーンラウンドと同様のメンバー構成だが、一文字はいなかった。

 今度のテストマッチに錠の出番はあるのか、世間の関心はそこに集まった。

 代表選手は試合の三日前に招集された。集合場所は都内のホテルだ。

 今回、錠の相部屋は快速フォワード、岡屋だった。錠が初めて参加した合宿では、球技場のロッカーでひどい言い方をされた。錠にとっては明らかに敵方だ。

 岡屋より先にホテル入りした錠は、部屋に入るとすぐに奥のほうのベッドに寝転がった。

 しばらくして、岡屋が大きなバッグを抱えて現れた。

「ちっ、錠とかよ」

 目が合うやいなやの先制攻撃だ。錠はいつもどおり鋭い目つきながら、すぐに視線をそらした。それが気に入らなかったか、岡屋は投げるようにベッドに荷物を置くと、部屋を出ていった。

 その日の代表のスケジュールはミーティングのみだったが、翌日は朝から東ヶ丘球技場で練習を行った。

 錠は例によって皆から離れ、個別のメニューを与えられた。カルロスは二ヶ月ぶりに錠を見て、ため息をついた。

「錠、元に戻ってる。言ったこと全然やってないだろう」

 オマーンから戻る際、錠は自主トレ用のメニューを渡されていたが、それをこなすどころか、まともに見てもいなかった。

「そうかな、結構走ったと思うけど」

 錠が走るのは大学の講義に遅れそうなとき、それも出欠に厳しい講師のときだけだ。錠は何事も時間にルーズなので、その次元では結構走った。

「筋トレもやったんだけど、先週カゼひいてたから元に戻ったんじゃん?」

 適当に苦しい言い訳を並べた。

「今日はそのぶん厳しくやらせてもらうから」

 カルロスは呆れ顔で言った。錠のほうは、一杯一杯だった前回とは違い、精神的には余裕があった。なにせ、オマーンラウンド首位通過の立役者なのだ。

 その後、カルロスからハードなメニューを課せられたが、オマーンの気候ほど厳しくないこともあり、思ったよりもきつくはなかった。筋力も衰えたとはいえ、前回の貯金が残っていた。

 しかし、緊張感はまるでなかった。上がらぬテンションのなか、ちょっとでも辛くなるとすぐに弱音を吐き、体を休めた。

「ちょっと待って。足が……」

 錠の『ちょっと待って――』は手を抜くための常とう句だ。立てと言われ、立とうとしていると見せかけ、どこか痛いと言って時間をかせぐ。子供のときからよく見せる姿だ。それでもひととおり、予定のメニューは消化させられた。

「第一段階はオーケー。休憩だ」

「やっと休憩かよ」

 トラックからピッチに目をやると、他の選手たちはゲーム形式での戦術確認の最中だった。錠はへたり込んでそれを眺めた。

「どれどれ」

 この日はフルコートで、十一人対十一人の実戦さながらの緊迫感で行われていた。

 中盤でボールを奪ったボランチから、近くの中羽にパスが渡る。サブ組の司令塔は中羽が務めているようだ。中羽はピッチ真ん中あたりから、敵の裏を狙って一気に前線へ縦にパスを放った。フォワードは頭上のパスを追って前へ出るが追いつかない。そのあと、中羽はフォワードに何か言っている。相手は不愉快そうだ。

「けっ」

 錠は中羽を見ながら胸くそ悪いと思った。

 そのあとも、中羽と他の選手の呼吸は合わなかった。

「なんであんなやつ使ってんだよ」


 テストマッチ当日がやってきた。オマーンラウンド以後、初めてとなるこの代表戦は、前売りの時点で満員御礼となっていた。スタジアムは日本のサポーター一色だ。

 この日のスタメンはあのオマーン戦と全く同じだった。錠はもちろん、岡屋に中羽もベンチスタートだ。

 錠は監督らスタッフから離れ、ベンチの隅に陣取った。隣には岡屋、その向こうには中羽、友近と続く。

 錠は岡屋が邪魔だった。まだ皆のアップ中、錠が早めに席を確保すると、すぐに岡屋が隣に座り込んできた。野獣と言われるゆえんとなった、ワイルドというよりも無造作に近い長髪が、そばでせわしなく風に揺れる。それがさらに気に障った。ちらと横目で見やると、その先の中羽が目に入った。

 まあ、こいつらが試合に出るよりはいいか。

 錠にとっては、そちらのほうが重要だった。

 試合は大歓声のなか始まった。

 立ち上がりから、日本が中盤でボールを保持するものの、相手の守備網を突破するには至らない。どちらもたいしてチャンスにはならないまま、時間だけが過ぎていった。

 二十分を経過したころ、前線で南澤が倒された。ファウルだ。初めて訪れたフリーキックの場面に、スタンドが大きく沸き上がった。明らかにいつもよりテンションが高い。

 観客の反応に、ベンチもざわつく。なんの準備もできていない錠はスタジアムを見渡し、思わず首をすくめた。

 世間は虹をかける男、ジョーの登場に期待しているが、これはテストマッチだ。秘密兵器は予選の次の大一番、すなわち日本ラウンドのオマーン戦までは使わないだろうとマスコミの間ではささやかれている。監督からは何も言われていないが、錠もすでにそのつもりでいた。

 だが、その後も日本の選手が倒されるたび、スタジアムは異様な盛り上がりを見せた。錠は次第にこぼれる笑みを抑えられなくなっていった。

 そうこうするうち、なんの見せ所もなく、あっという間に前半は終わった。

 後半に入っても似たような展開が続いた。日本は枡田を中心に攻撃を組み立て攻め入るも、ゴール前では手詰まりになる。そのうちボールを相手に渡してしまい、反撃を食らった。しかし相手の攻撃も単調で、たいしたピンチを迎えずにすんだ。

 無得点のまま後半も三十分を迎えるが、錠や岡屋にウォーミングアップの指示はない。だが、中羽には投入することが告げられ、アップが開始された。

 後半三十五分、ピッチに入る中羽を見て、岡屋は不愉快そうに顔をしかめた。

「けっ」

 そばでそれを見た錠は、人知れず薄笑いを浮かべた。

 そのあとだった。岡屋は一度ため息をつき、そして暴言を吐きはじめた。

「自分の出てない試合で勝ってもなあ」

 スタッフやベテランから離れているとはいえ、なんの遠慮もない。

「俺とかクラブじゃスタメンはってきたわけじゃん。それがさ、出れないわけよ。一秒もだぜ」

 手を頭のうしろで組み、ピッチを見ながら話す岡屋に、錠は独り言かと思った。

「それによう、フリーキックだけでうまいとこ持ってくやつまで現れてさ。お前みたいによ」

「……あ?」

 この時点で、錠はようやく自分が話しかけられていることに気が付いた。

 そのときだ。スタジアムが沸き立った。中羽が相手に囲まれながらもボールをキープ、なかなか渡さない。そして相手の隙を突いて包囲網を突破した。

「ちっ」

 錠は思わず舌打ちした。その後、中羽は前線にパスを送るも味方に合わず。錠の胸に安堵がよぎる。

「お前、ヒロ嫌いだろ」

 岡屋は前を見たまま、鋭い言葉で錠の懐を突いた。錠は無言でピッチを見やり、なんとかそれを流そうとした。が、岡屋は逃さない。

「あいつさ、どうすごいのかわからねーんだよな。そりゃキープはできる、ドリブルもまあまあ。でもあいつのパス、誰にも合わないじゃん」

 それは錠も思っていたことだ。

「……まあな」

「だろ。ドリブルはもちろん、パスも枡田やトモのほうがうまいって」

 再び歓声が上がる。今度は中羽がゴールまで二十メートルの地点から一人かわしてシュートを放った。が、キーパーのファインセーブにあい、ゴールならず。

 岡屋は小さく鼻で笑い、錠はかすかに息を吐いた。

 やがて笛が鳴り、試合終了。後半、中羽の登場で見せ場をつくったが、日本は得点を挙げることができなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る