常夜の荒地

 百五十一層の前線基地には、まるで葬儀の場所のような陰鬱さが漂っていた。

 誰もが百五十層を抜けてきた生き残りだ。しかし、その表情に階層を突破した喜びはない。友を、恋人を、兄弟を。ほとんどの者が失ってここにいるからだ。

 百五十層には前線基地が存在しない。設置できないからだ。そのためか、百五十一層の前線基地は百五十層に繋がる穴のすぐそばに存在する。


「……暗い、雰囲気ですね」

「まあね。百五十層は特殊だから」


 百五十層には、モンスターは存在しない。

 ただ、真っ暗な空と、青い月、そして純白の荒地が広がるだけ。

 何もないのだ。そして誰もおらず、その階層では長時間生きることも出来ない。

 強烈な毒素が漂っているらしいとも言われているが、研究するような物好きもいない。最初期に入った探索者たちは全滅した。最初に階層を突破出来たのは、本当に幸運なだけのたった一人だった。


「彼は突破した直後、手持ちの転移石を使って百四十九層に戻った。どんな場所だったかを説明して、その危険性を告げたらしい」


 この前線基地は、有志が提供してくれた転移石を使い潰して、最初の一人が何度も百五十一層と百四十九層を行き来したことで出来上がったのだという。転移石を使った探索者の移送という商売が存在したのも、その名残だった。

 しかし転移石は元来、産出の少ないレアアイテムだ。あっという間に前線の転移石は枯渇し、探索者たちは自力で百五十層の突破を目指さなくてはならなくなった。


「最前線の探索者の親やその上の世代には、転移石で上がってきた連中もいる。最前線の探索者はここの古株には嫌われてるらしくてね」


 それなりに剣呑な視線が、ティレンとアリアレルムに注がれる。悪意の質が少しばかり違うのは、ここらの古株はこれまでと質が違うからなのだろう。

 彼ら彼女らがここを終の棲家にしているのは、実力もだろうが仲間を失って悲嘆に暮れる後進の者たちに同情的だったからだ。同じような辛さを感じている者たちを見捨てられないのか、自分たちの喪失感を埋めたいのか、それは分からないが。

 彼らは最前線の探索者たちを、自分たちよりも先に転移石で安全に移動したズルい奴らとその子孫だと思っている。ティレンに絡んでこようという者はいないが、視線に敵意を込めて居心地だけでも悪くしてやろうというのが彼らの精一杯の行動であるらしい。

 ティレンは特に気にすることもなく、百五十層の穴の方に向かう。ここで店になど入ると、何を買おうとしても転移石で支払えとか言われるので面倒なのだ、と先に宿願を届けて戻ってきた仲間から聞いている。


「さて、準備だ」


 ティレンもネヴィリアも、百五十層を通ったことはない。ドラゴンであるネヴィリアはあるいは階層に充満する毒素にも耐えられるかもしれないが、そんなリスクをわざわざ負う理由はない。

 背負子にアリアレルムを念入りにくくりつけ、ネヴィリアはアリアレルムの腕にしっかりと抱かせる。


『わらわは婿殿の胸に抱かれる方が良いのだがの』

「悪いが、俺は全力で駆け抜けないといけない。そういうのは別の機会にな」

『む? よ、良いのか?』


 先達の情報によれば、魔力で全身を包むことで毒素を防ぐことが出来るらしい。しかし、魔力で全身を包んでいても大きく呼吸をしてはならないし、魔力が切れたら息を止めて一か八かで走り切らなくてはならない。

 走るか、歩くか。魔力の総量や運用方法、そして判断力。残酷ではあるが、結局のところ探索者一人ひとりの資質を問う階層なのだ。

 ティレン自身は百五十層を抜けるうえで心配ごとはないのだが、問題はアリアレルムの方だ。穴の側にいる探索者たちの方を見回して、探す。


「なあ、それ貰っていいかい」


 踏破してきてそれほど経っていないのだろう。四つん這いでぜえぜえと息を吐いている少女に、問いかける。


「ぜえ、ぜえ……。え……なに? これの、こと?」


 少女が、先程まで自分の顔を覆っていた水晶の器を手に取る。ティレンは頷くと、ごそごそと道具袋をさらって代価になりそうな品を探す。

 器自体は、百四十九層で配布されているものだ。これを被っておくと、踏破できる割合が劇的に増えるという触れ込みの一品で、どうやら毒素をある程度弾いてくれるのだとか。


「ど、どうせ荷物になるから……どうぞ」

「ありがとう。んじゃ、お礼にこれを」


 深層で採ってきた果実のひとつを少女に手渡す。アンブロージャほどではないが活力をみなぎらせてくれる一品で、百六十層に生えていたものだ。甘味も強いので、落ち込んだメンタルを引き戻してくれることだろう。

 手渡された果実を、無造作に齧る少女。ティレンはアリアレルムの頭に器をすっぽりと被せると、入る前から魔力で自分を覆っておくように指示する。


「良い探索を、お嬢さん」

「え? ええ、あなたもね。……えっ」


 活力が満ちてきたのだろう、驚いたような声を上げる少女に軽く手を挙げて、ティレンは穴へと飛び込んだ。


***


 真っ白い荒野が、視界いっぱいに広がっている。

 息を止めたまま頭上を見る。真っ青な、巨大な月が浮いていた。

 足元を見る。これまでこの場所を目指し続けた者たちの、無数の足跡がまっすぐに続いている。

 ティレンはぐっと足を踏み出した。体が妙に軽い。体がふわりと浮かんでしまいそうになるのを、魔力制御で抑え込んだ。

 ドラゴンと戦う時のように、魔術で空も飛び回るのがティレンだ。慌てることなく着地し、そのまま走り出す。力の入れ方を工夫し、雷の魔術を駆使して浮かばないように走っていく。目印は無数の足跡だ。

 と、向こうからこちらにやってくる一団を見かける。先程少女からもらったのと同じ器を頭につけ、こわごわと歩いてくる四人組。

 声をかけることは出来ない。すれ違う時に一瞬だけ立ち止まり、驚いた顔でこちらを見ている彼らに向かうべき道を指差して頷いてみせる。このまま真っすぐ行けと、思いを込めて。

 頷き返してくる四人を見送ることなく、ティレンは再び走り出した。四人もまた、こちらを見ずに歩き出したことだろう。

 穴の気配を感じる。ティレンは穴を目掛けて荒野を駆け抜ける。

 ティレンは知らない。最前線の探索者である彼が身にまとった濃密な魔力は、意図せずこの荒野に残って道標のような役割を果たしたことを。そして、すれ違った四人組の足りない魔力を補完し、彼らを無事に次の階層へと導いたことを。

 四人組もまた、ティレンが自分たちを助けてくれていたことなど知る由もなく、百五十三層で不和を起こして散り散りになった。


***


 ずしりと、体にかかる負荷が増えた。

 ぶはあ、と息を吐く。成算はあったが、命の危機を背負ったまま駆け抜けるのはさすがにティレンにも堪えた。

 魔力を納めて、後ろを振り返る。アリアレルムが器を外して、こちらを見た。ネヴィリアも元気そうにふわりと浮いた。


「やれやれ、無事に抜けられたようだね」

「綺麗だけど、怖い階層でした」

『あの階層は死んでおったな。命の気配がなかった』


 口々に感想を言いながら、アリアレルムを背負子ごと下ろす。そこでようやく、ティレンは自分たちに向けられる多くの視線に気づいた。


「なあ、あんたら……戻ってきたのか?」


 百五十層に挑もうという探索者たちだろう、向かうばかりの穴から出てきたティレンを何者かと見ているのだ。

 勇敢にも声をかけてきた一人の若い男に、頷き返す。


「ああ。宿願だ」

「そ、そうか! それは凄い。俺たちはこれから百五十層に挑戦なんだ。戻ってきたあと、最前線で会えるといいな」

「そうだな。……良い探索を」

「良い探索を」


 この辺りに、最前線が百八十五層であることは伝わっているのか、いないのか。

 声をかけてきた勇気ある探索者は、百五十層を越えられようと越えられまいと、おそらく最前線までやって来ることは出来ないだろう。どこかで命を落とすか、力不足を察してどこかの階層を終の棲家とするか。

 出来ればそれが次の階層でないことを祈りながら、ティレンはこの場所を後にするのだった。

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