資格を持たないものたちの挽歌

 かすかに甘い匂いがした。

 いつの間にか流れ出した風に乗って、何かがこちらに撒かれているようだ。

 ティレンは扉をしっかりと閉めると、相手の次の手を待つ。


「……毒か」


 しびれ薬か毒の類を送り込んでいるのだろう。動けなくなったところを身ぐるみ剥いで放り出すか、殺すか。近場に誰の気配もないところを見ると、ずいぶん手慣れている。

 それなりの材料のものを使っているのだろうが、最前線でモンスターを相手にしてきたティレンにとってはこの程度の毒は効かない。ただの微風にすぎない。しかし、後ろにいるアリアレルムにとっては危険かもしれない。


「発雷」


 両方の掌から雷の魔力を放ち、毒の粉を焼いて退けていく。焦げ臭いにおいが辺りに広がるが、気配を感じられないほどの遠くからではこちらの様子を確認することは出来ないはずだ。


『婿殿。わらわが焼き払っても良いぞ』

「必要ない。あまり派手に動くと連中が気付く」

『わらわならば、この場所ごと焼き払ってしまえるのじゃが?』

「内情が腐っていても、前線基地は先達の命を繋いできた大切な場所だ。焼き捨てられるのはちょっとな」

『ふむ』


 ネヴィリアが出来ることはティレンにも出来る。この辺りの一角を完膚なきまでに叩き壊すことも簡単だが、それでは必死の思いでここに基地を作ってきた先達の思いを踏みにじることになる。ティレンとて最前線では前線基地の構築に力を尽くしてきた立場だ。その難しさは十分に分かっている。

 ティレンにとっては、探索者くずれの命などよりも前線基地の無事の方が大事なのだ。


「アリアレルムさんが毒を吸い込みそうになったら言ってくれ」

『今のところこちらには届いておらぬよ』

「ならいい」


 今のティレンの目的は、アリアレルムに十分な休息を取らせることだ。ティレン自身が休息を必要とする状態まではまだまだ遠い。あちらがどれだけの準備をしてから襲ってくるかは分からないが、毒が頼りなのだとすれば最前線の探索者を舐めているとしか言いようがない。

 パチパチと毒の弾ける音に耳を委ねることで、ティレンは退屈を紛らわせることに集中するのだった。


***


 ぐるりと隙間なく囲まれた袋小路に、空気より重い毒素を流し込む。

 麻痺と出血の毒だ。眠っていればそのまま、起きていれば体の動きが蝕まれ、もがくことも出来ないまま血を吐いて死ぬ。

 水に溶けやすい材質なので、終わった後には水を流して外へと追い出しさえすれば綺麗になる。前線基地の外側から見ると、この壁の向こうは流れて出た毒素のせいで草も生えない荒れ地になっている。

 使った毒の量は普段の三倍量だ。あまり動くと毒の粉が舞い上がってしまうので、ディネアは手下たちに毒を吸い込まないよう、布を口元に巻かせて男の元へと向かった。


「……気をつけな。毒が舞い上がったらあんたたちも死ぬよ」


 段取りとしては、念のために男の喉笛を掻き切ってから、中にいる子ドラゴンを捕まえるというもの。中にいる女は諦めている。毒が入り込んでいたら、子ドラゴンはともかく女は死んでいるからだ。

 出来れば子ドラゴンも弱っていて欲しいところだが、ドラゴンのブレスは毒性を持っていると聞くから、毒が効くかどうかは五分五分だと見ている。あとは、男が持っている子ドラゴンを支配下に置く秘法をどうやって掠め取るかだ。おそらくは何かのアイテムで従わせているのだとディネアは判断している。

 人の身でドラゴンを屈服させ、支配下に置いているなどとは想像もしていない。彼女らは彼女らの基準でしか人を測れないからだ。

 毒を舞い上げないよう、静かに男を取り囲む。

 男は扉の前に座り込んで、身動きひとつしない。勝った。心の中に安堵が広がる。


「人を簡単に信じるもんじゃないよ、旦那。次に生まれてくるときは地上の平穏な場所だといいね」

「――そうかい、ご高説ありがとよ」

「!?」


 ディネアの言葉に、目の前の男が平然と返してきた。馬鹿な。生きているはずがない。生きていたとしても、返答など出来る状態じゃないはずなのに。


「それじゃ、俺からもひとつ。使い慣れた方法だからって、効果を簡単に判断するもんじゃないよ、ババア。この程度の数で俺をどうにか出来ると思っているのなら」


 男は平然と立ち上がって、剣を抜いた。バチバチと光を放って、焦げ臭いにおいが布を通して伝わってくる。


「最前線の探索者を舐めすぎだ、お前ら」


***


 銀雷を自分の身に落とすまでもない。ティレンは左手をかざして、自分を取り囲む探索者くずれたちに魔術を放つ。


「雷霆」


 空からではなく、ティレンの左手から放たれた無数の雷電が探索者くずれたちを襲う。悲鳴も上げられずに体を痺れさせて倒れる様は、あたかも自分たちの撒いた毒に蝕まれたかのようでもあった。

 びくりびくりと痙攣する様子が、すぐに変わる。ティレンの近くにいた者たちは無事のようだが、遠くから囲んでいた連中が問題だ。地面に落ちた毒の粉が入ってきたのだろう。自業自得だ。

 逆に、近くにいた者たちの周囲は毒の粉を雷の魔術で退けてしまったからか、毒で死ぬ様子はない。


「さて、と」


 毒の影響を受けていないのは九名だ。命の気配が続々と減っているので、奥の方に手を下す必要はなさそうだ。

 至近距離で魔術を受けて即死したらしいのが四名。全身が硬直しているが生きているのが五名。その中にはディネアがいた。さすがに頭目だけあってしぶとい。


「た、す、け」


 震える口が、そう告げた。こちらが見えているのかいないのか。

 ティレンは静かにヴァル・ムンクを構えると、一言告げた。


「次に生まれてくる時は、迷宮の外で平和に暮らせるといいな」


 ディネアの口元が、安らかにほほ笑んだように見えた。


***


 アリアレルムが目を覚ましたのは、騒ぎが収まってなお随分と経ってからだった。


『そなた、大物じゃわ』


 ネヴィリアの呆れたような声の意味が分からない。

 真っ暗なので光源の魔術で視界を確保すると、どうやらねぐらの中で休んでいたらしい。ぴったりと扉が閉まっているので、どちらが開くのかも怪しい。


『まあ、少し待て。婿殿、アリアレルムが起きた』

「お、そうかい。よく休めた?」

「はい。お手数をかけました」


 しっかり眠ったからか、体調も随分と回復している。

 声の方が開くのだろうと手をかけたが、まったく動かない。力を込めてみるが、駄目だ。と、ネヴィリアが尻尾で軽く額を叩いてきた。


『少し待てというに。表でちょっと騒ぎがあった後じゃ。婿殿が開けるまでみだりに動くでない』

「騒ぎ」


 話を聞いて、アリアレルムは血の気が引く思いがした。

 ドラゴンであるネヴィリアはともかく、アリアレルムは毒を吸ったら命はない。こわごわと手を放すと、外からティレンののんびりとした声。

 そういえば毒が充満している場所にいるというのに、ティレンはまったく気にする様子がない。大丈夫なのかと疑問に思うが、これまで見てきた彼の凄さを考えるとあまり不思議でもないかもしれない。


「ま、そんなわけだから。俺が良いっていうまで目を閉じて息を止めていてくれればいいから」

『わらわは?』

「一回目がアリアレルムさんで、二回目が荷物。俺が戻るまでの間、念のためにアリアレルムさんの護衛をよろしく」

『心得た』


 そんな話をしている間に、ごろごろという音と明るさを感じる。慌てて目を閉じて息をとめると、力強い何かに抱えあげられる気配。ティレンの腕だろう。

 浮遊感を感じて、続いて揺れ。


「もういいよ」


 そっと下ろされたところで目を開くと、森が見えた。振り返ると、壁。ティレンに抱えられて前線基地の壁を飛び越えてきたらしい。壁の上からネヴィリアがぱたぱたと飛んでくる。

 入れ替わるようにしてティレンが飛び上がり、しばらくして戻ってくる。背中には背負子とアリアレルムの荷物。


「あ、ありがとうございます」

「さっさとここから離れよう。後の始末はここの探索者くずれたちが勝手にするだろうさ」


 返り討ちに遭った探索者くずれたちの縄張りは、他の集団が自分たちのものにするだろう。そしてまた深層の探索者か、上を目指す探索者を罠にかけようとするのだ。

 ティレンはそれを止めるつもりはないようだった。特に機嫌を損ねた雰囲気もないから、彼らの行動を咎めるつもりもないのだろう。あるいは、最前線で生きるということはこの程度のことが些事に思えるほどに過酷なのか。


「出来るだけ、前線基地に寄らないようにする理由が分かりました」

「だなぁ。ま、後はこのまま百五十層まで突っ切ってしまおう」

「はい!」


 アリアレルムには、それを確認する勇気はなかった。

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