宿願の一部は盗賊被害に遭うというが

 およそ探索者が相手の実力を推察する力を身に着けるのは、百六十層に近づいたころであるらしい。

 らしいというのは、階層を下がるごとにティレンたちへの干渉がじわじわと増えてきたからだ。深層ではちょっとした罠での様子見くらいだったが、百五十五層あたりになると前線基地でも堂々とティレンに話しかけてくる探索者くずれが現れた。

 外の猿たちはこの階層でもティレンたちを怖がって恐慌を起こすのだが、そういう意味ではここにいる探索者くずれの方が明確に質が低いと言えるだろう。

 ティレンに声をかけてきたのは、年かさの女だ。媚びるような目つきが気に入らない。


「見ない顔だね旦那。奥から来たってことは、宿願かい?」

「ああ。あんたは?」

「この辺りの顔をしているディネアだ。ご存知の通り、この辺りはガラの良くない連中が多いからね。良かったら安全なねぐらに案内するよ」

「そうかい。そいつは助かる」


 ティレンが前線基地に来たのは、アリアレルムの体力が限界だったからだ。猿や探索者くずれによる襲撃はなくても、基礎体力の差があまりにも大きい。この階層に来た辺りでまとまった休息が必要だと判断せざるを得なかった。

 今もティレンが背負っている背負子にぐったりともたれかかっており、意識の程度も怪しい。ネヴィリアが周囲を威嚇しているから誰も手を出してこないが、向けられる視線の質は最悪の部類だ。


「で、その嬢ちゃんは一体何者だい?」

「浅層から転移罠で飛ばされた探索者だそうだ。元の階層あたりまで保護して連れていく途中でね」

「転移罠ぁ? そりゃその娘っこの嘘だよ、旦那。ここにはそういう嘘をばらまいて心根の正直な探索者を騙そうとしてんのさ」


 したり顔で言ってくるディネア。人を信じることを忘れて長く過ごすとこうも醜くなるものか。

 その顔面に拳を叩き込みたくなる衝動を我慢しつつ、作り笑顔で答える。


「俺がこのヒトを拾ったのは百七十層より奥だ。今のところ騙されてもないんでね、放っておいてくれ」

「ひゃ、百七十層!? だ、旦那。あんた最前線の方から来たのかい」


 これにはディネアだけでなく、周囲からこちらを見る者たちも驚いた様子だった。アリアレルムの膝に乗っているネヴィリアを見て、得心したような顔。


「そ、それじゃ宿願ってのはその子ドラゴン!? 卵から孵したのかい、戦って手なずけたのかい」

「さあな。それを教える筋合いなんてないだろう」


 勘違いするのは勝手だし、ティレンも馬鹿正直に事実を伝えるつもりもなかった。ネヴィリアを手なずけたのは戦ってだが、そもそも子ドラゴンと呼べるほど幼くもない。

 一瞬そう思ったが、ふと思い直す。そういえばティレンも百六十層で育ったが、その頃にはネヴィリアの存在を知らなかった。もしかすると結構幼いのだろうか。


「で、安全なねぐらってのは?」

「あ、ああ。こっちだよ」


 こちらが会話に応じるつもりがないのは理解したのだろう。調子よく応じたディネアは、中央を避けて奥の方へとティレンを案内する。向けられる視線が、ティレン本人から背負子の方に変わったのを確認しながら。


「ここだよ」

「ふうん」


 案内されたのは、ねぐらにしてはそれなりにしっかりした作りの個室だった。

 中に入って、足元を何度か強く踏む。特に穴が空いているような音はない。続いて壁と天井を軽く叩き、抜け穴の類がないことを確認する。

 どうやら、ディネアが言った通り、この中はそれなりに安全なねぐらになっているようだ。とすると、仕掛けは外か。

 ティレンは腰を下ろして背負子を外し、アリアレルムを静かに横たえた。すぐに寝息を立て始めたから、疲れが出たのだろう。


「ネヴィリア、アリアレルムさんを頼むよ」

『任された』


 表に出たティレンは、ねぐらの扉を後ろ手に閉めた。少しだけ隙間を開けておき、扉に背中を預けて座る。

 ディネアが怪訝そうな顔をしてきたが、無視だ。


「旦那?」

「助かった。連れが起きるまで、使わせてもらう」

「あ、ああ? 分かったよ。飯はどうする?」

「いらん。自前で準備してある」

「そうかい。それじゃ、ごゆっくり」


 あからさまに信用していないという態度を示したが、ディネアは特に気を悪くした様子はなかった。やはり慣れている。

 すっと離れていくディネアを見ることもなく、ティレンは手すさびにと懐に入れておいた獣の骨をナイフで削り始めるのだった。


***


「姐さん。俺ぁ反対だ。ありゃ手に負えない」


 ディネアとその手下が集まっているのは、彼女らのアジトだ。ねぐらからそれなりに離れた場所にあるから、間違ってもあの用心深い男に聞かれることはない。

 ディネアの手下で最も腕利きのドモロイが、神妙な顔で首を横に振った。前線基地の中でも最も縄張りの広いディネアの下には、四十人からの手下がいる。女を連れた探索者の男を案内したのは、出入り口が一か所しかない袋小路だ。

 薬で弱体化させて、手下達に一斉に襲いかからせる。これまでにもそうやって深層の探索者を葬ってきたし、この方法の中核がドモロイである。そのドモロイが襲撃を嫌がっている。ディネアとしては、ドモロイが乗り気でないというのは困る。成功率が下がるからだ。


「なんでだい、ドモロイ。生きたドラゴンを連れているんだよ? あれを手に入れちまえば、迷宮商人どもにいくらで売れると思う? もしかしたら地上で面白おかしく暮らせるかもしれないんだよ」

「そりゃあ、そうなるなら有難いけどさ」


 この辺りで生きている探索者くずれは、百六十層にたどりつけなかった者の成れの果てがほとんどだ。若い探索者を始末する暗い喜びに浸るにも、すぐに飽きてしまうものだ。自分の命を賭けてまで、やることではない。そういう意味では、百五十九層にいながら百六十層を目指さないような連中以外、命がけの趣味を長続きさせる者はいないのだ。

 結局、百六十層に向かうことも、『抹殺の』百五十層をふたたび越える覚悟も持てない半端者の集まり。ディネアもドモロイも、迷宮で生きることに疲れ果てていた。

 そうなると、彼らは別の楽園を求めるようになる。地上だ。

 どうやら探索者は地上の連中よりも生まれつき強いらしい。半端な探索者くずれの自分たちでも、それなりに価値のあるものを持って地上に行けば、楽して暮らせるという噂も聞いた。宿願を棄て、迷宮にいる意味も探索の情熱も失った彼らにとって、地上とは百六十層と同じか、それ以上の楽園なのである。


「転移石さえあればなあ」

「そりゃ、あたしだって欲しいさ。そうすりゃ百五十層だって越えられる。身の丈に合った階層に戻れるんだ」


 転移石は希少だ。年に一度か二度、誰かが手に入れたと噂を聞く程度。この辺りの階層に住んでいる連中にとって、転移石を拾うのは地獄からの脱却に等しい。ここで生まれた子供でもない限り、ノーリスクで百五十層を越えて、浅層に戻れるのだ。

 希少な割に、探索者も迷宮商人も必要とするから手に入らない。地上近くでは捨てるようなものとして扱われていると聞くが、なんと勿体ないことだろうか。


「あいつ、もしかしたら転移石を持ってるんじゃねえかな」


 ぽつりと呟いたのは誰だったか。

 アジトの中の、空気が変わる。ありえる。最前線に近い宿願持ちは、大抵が転移石を持っているという。転移石さえあれば。

 次は自分の番だ。ドモロイも弱気から一転、やる気を見せている。


「よし、あの男が寝入ったところで薬を撒くよ。ドモロイ、薬の量はいつもの三倍でいく。あんたの勘を軽く見るつもりはない、どうだい」

「量もだけど、時間もかけよう。薬が効く前に気づかれて動き出したら、多分誰も勝てない」

「分かった。あんたたちもいいね? 転移石を見つけたら、みんなで百四十五層あたりに戻るよ。なかったら子ドラゴンを迷宮商人に売りつけて地上行きだ。気合入れなぁ!」

「おお!」


 結局のところ、彼らの目的はこの辺りからの逃避であり、その手段はどうでも良いのだ。

 四十人の探索者くずれは、成功を疑っていなかった。

 下卑た笑い声が、アジトの中で静かに溢れた。

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