諦観の退廃

 百四十九層から百層までは出来るだけ急げ、というのが宿願を地上に届けた探索者たちからの共通した教えだ。

 百五十層の先を目指すことを諦めた者たち。一度向かったが、転移石で逃げ戻ってきた者たち。そんな連中が各地に縄張りを構えている、そんな場所なのである。

 諦めと退廃が支配する階層群。先を目指す者たちをどうせ無理だとせせら笑い、希望を抱く者たちを踏みにじるのが美徳とされる階層。

 真摯に最前線を目指し続ける者たちも確かにいる。だが、その数は全体の中では明らかに少ない。浅い階層で生まれた者たちの多くが先を目指す途中、この辺りの退廃に絡め取られて消えていくからだ。

 また、この辺りからは『宿願狩り』と呼ばれる盗賊が現れる。宿願を手に入れた探索者をつけ狙い、宿願を奪おうとする者たち。徒党を組み、宿願を手にして手軽に戦力の増強を狙っている彼らは、最早探索者ですらない。

 だから、というわけではないのだろうが、そういう連中にはティレンとの彼我の実力差など分からない。ティレンを殺して宿願を奪うことだけを考えているから、ずっと薄汚い殺気が漏れている。


「そりゃ、こんなところに長居したくはないよな」


 先達の教えが正しいことを、実地で納得するティレンだ。前線の獣たちが放つ、純粋な闘志。外敵である探索者と戦い、自らの糧にしようという鮮烈な殺意と比べて、なんと濁っていることか。

 アリアレルムに対して向けられる劣情の視線も見苦しい。ネヴィリアはティレンの宿願だとでも思われているのだろうか、どちらかというと宝物を見る視線に近いような気がする。

 ティレンがしているのは、百五十層への穴から距離を取ることだ。最前線を目指そうという数少ない同胞に、間違っても被害が行くことのないようにと。

 百四十九層は、被造物系の迷宮だ。どちらかというと廃墟に近いから、樹木の類もそれなりに生えている。モンスターは獣と被造物の両方で、どちらかというと被造物が多い。獣は食糧としてここの住人たちに狩られているからだろう。


「アリアレルムさん。体調は」

「今のところは大丈夫です。彼らをどうしますか?」

「襲ってきたなら返り討ち、このまま囲むだけなら放っておくさ」


 獣を斬り捨てる様も、被造物のモンスターを瞬く間に解体する様子も見せている。だが、遠巻きにしている者たちの数は減らない。数でかかればどうにか出来ると思っているのだろうが、襲いかかってきた途端に連中は後悔することになる。

 連中が待っているのは何だろうか。ティレンの疲れか、アリアレルムの矢が尽きるタイミングか、ネヴィリアの休息か。どれひとつとして、ティレンの一行が盗賊に後れを取る要因にはならないのだが。


「ちょっと誘いをかけてみるか」


 ティレンはこの辺りの勢力図に関わるつもりはまったくない。勝手に生きて、勝手に死ねば良い。彼らは探索者崩れですらなく、迷宮に住んでいるだけだ。いわば原住民が野盗の類をやっているだけのこと。

 結果として、縄張りの人手を失ったどこぞの勢力が他の勢力に潰されたとしても、それは自業自得というやつだ。

 ティレンが足を止めると、囲む輪がじりじりと狭まってきた。見えないように身を伏せているのは評価しなくもないが、こんなに音を立ててしまっては居場所を教えているようなものだ。学びのない原住民ならこんなものだろう。


「よう、兄ちゃん。お前、宿願持ちだろう?」


 声をかけてきたのは、そこそこ体格の大きなゴロツキだった。太り過ぎというわけでもなく、マッシブというわけでもない。最前線の筋肉の塊のような同輩と過ごしているから、この程度の肉の塊には何の関心も湧かないのだ。

 だが相手はそれを、こちらが怯えているとでも思ったようだ。数でかかれば勝てると思っているのか、あるいはこんな方法でも宿願を手に入れたことがあるのか。


「だったら何だ?」

「宿願と、そこの綺麗な姉ちゃんを置いていくなら、お前の命は助けてやる。嫌とか言ったら、両手両足を切断した上でどっちも死ぬまで俺らのオモチャだ」

「へえ」


 どうでも良い。欠伸が出そうだなと思っていると、身を伏せていた連中が次々に身を起こした。

 大柄なゴロツキがげへげへと笑いながら、ティレンに無造作に近づいてくる。


「少しは腕に覚えがあるみたいだけどよう。この数が相手じゃ勝てるわけがねえ。それくらい、分かるよな?」

「三十四人か。……三十四人なぁ」


 ヴァル・ムンクを抜くまでもない。ネヴィリアの角のナイフを抜いて、斜めにひと振り。

 見えたのはネヴィリアだけだったろう。何やら楽しそうな空気を出している。


『のう、婿殿。他はわらわがやっておこうか』

「それは手がかからなくていいな」

「あ? えっ、いぎゃあああ!?」


 斬られた本人も理解していなかったらしい。こちらに突っかかってこようとして、直後に斬られた傷が開く。傷口から血が噴き出して、痛みによる悲鳴が上がった。


「俺は両手両足とか面倒なことはしないよ。とっととくたばれ」

「あっ、がっ……たす」


 傷を両手で塞ぐように押さえた手から、血が溢れ出てくる。

 手下たちが恐慌に陥る寸前に、ネヴィリアが魔術を放つ。


『お掃除じゃの』


 たった二つの魔力球。そこから放たれる引力が、手下たちの逃散を許さない。恐怖と絶望に顔を歪めながらも、どうにか逃げようともがくが、彼らの必死の努力は残念ながら結果に繋がることはなかった。じりじりと引き寄せられ、踏みしめた地面を少しずつ滑る。


「あっ、あっ! ああっ! ひいい――」


 魔力球に触れたごろつきが、その中に吸い込まれていく。遠ざかっていく悲鳴が、その末路を何よりも分かりやすく周囲に教えていた。

 今度こそ恐慌に陥った集団が、更にもがく。地面に両手両足をつけて必死に踏ん張っている者、足を滑らせて転がったまま魔力球に引き寄せられる者、自分にかかる引力を防ごうと隣の者を盾にする者。それら全てが、無情にも魔力球に吸い込まれていく。


『おしまい』


 ネヴィリアが両手をぎゅっと握ると、魔力球が潰れて消えた。

 致命傷を受けながらもなんとかまだ生きていたゴロツキが、かたかたと震えながらこちらを見ている。

 ティレンはナイフをしまうと、横倒しになっている男の目の前にしゃがんだ。


「最前線の探索者に手を出すと、こうなる。返り討ちに遭うのは、お前らが初めてってわけじゃねえだろう?」

「さ、さいぜん、せん」

「そうだ。百八十五層から来た。お前らもこんなところに留まってないで、先を目指せば良かったのにな」

「ばけ、もの、め」


 最期の言葉は、やはり探索者のものではなかった。がぶりと血を吐いた男は、程なく動かなくなった。

 ティレンはここからずっとこんな連中に付きまとわれるのかと思うと、ずんと気が重くなるのを感じた。


「さすがに百層まで休みなしで進むっていうのはちょっとばかり辛そうだけど、やってみるかなあ」

「やめてください、しんでしまいます」


 ティレンのぼやきは八割以上本気だったのだが、それ以上の真顔でアリアレルムが止めてくる。

 死ぬというのは大げさな気もするが、それならそれで仕方ない。

 ティレンはアリアレルムの体調に合わせて進むことにしている。彼女が出来ないというなら、それに合わせるまでのことだ。急いでいないわけではないが、だからと言って一刻を争うほどでもない。


「ま、宿願の届け先は逃げないしな」

「……本当にそうだといいんですが」


 地上生まれのアリアレルムの見解は、ティレンとは違うようだった。

 地上の国々は何故だかいがみあっているという噂は聞くが、それがどのようなものなのかは想像もつかない。

 ティレンはある意味、アリアレルムのこの言葉で初めて地上にちょっとばかり興味を持つのだった。

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