第11話 もう一度やらせてもらえませんか?

「……これで、よし」


 苦しいのは嫌だ。

 だから睡眠薬を用意した。


 だけど、今の睡眠薬では無理らしい。

 だから手首を切るようのカミソリを用意した。


 周囲が血まみれになるのは嫌だな。

 だから浴槽に水を張って、その中で手首を切ることにした。


 そして私の言葉――遺書を残した。


 失敗すると分かっていながらも、私に事業を引き受けさせ、失敗ともども切り捨てた会社への言葉を。


 私は昔から、人に期待されると、無理だと分かっていても応えたいと思う気持ちが強かった。

 そして分不相応な役目を引き受け、自爆してきたのだ。


 期待されると、そわそわして落ち着かなくなる。

 これだけ私のことを買ってくれているのだから、力を尽くさなきゃっていう使命感に駆られてしまう。

 私がなんとかしなきゃって思ってしまう。


 断って失望されたくない、嫌われたくなかった。

 期待に応え、喜ばれると、自分の薄い存在が世界の中で輪郭を取り戻すような気持ちだった。


 人から認められることで、私は自身を保っていたのだ。


 そのせいで、私は分不相応な仕事を引き受け、その実態を見抜くこともできず、全てを失うことになった。誰にも相談できず、相談する人間もおらず、追い詰められていき、元の世界に居場所をなくしていった。


 そして――


「死ぬ全ての準備を終えた後、少しだけ仮眠をとったのです。その時、この世界に召喚されました」

「そんなことで? そんなことで死のうと思ったのか? だって仕事なんて、辞めて逃げることだってできたはずだろ?」

「そんなことで人が死ねるのが、私が元いた世界なのです」

「じゃあもし……もし聖女召喚がなされてなければ――」

「私は命を絶っていたと思います」


 思いとどまる可能性は……低かったと思う。

 あのときの私の精神状態は、まともじゃなかったから。


「この世界に召喚されたと知った時、変わりたいと思いました。もう他人の目なんて、期待なんて気にせずに生きたいと……だけど、やっぱり無理なんです。期待されると、反射的に応えようとしてしまう。落ち着かなくなって、心にも思ってもないことが口に出てしまう……」


 もうこんなの病気の域だ。いや、呪いって言ったほうがいいかも。

 ははっ、ヴァレリアさまに祓って貰わなきゃ。


 自虐的に笑っていると、アリエスの力強い言葉が鼓膜を震わせた。


「だけど、変わることは決して不可能じゃない。ようはアレだ……そう、慣れだ」

「慣れ……ですか?」

「ああ。今後、期待されるようなことを言われたら、とりあえず『無理』って言っとけ。『うっせぇ、黙れ』でもいいぞ? とにかくさっきみたいに『頑張ります』とか言うのは厳禁だ」

「いや、対処法雑すぎません? それが無理だから困ってるんですけど……」

「俺に言うのは大丈夫なのにか?」

「……あ」


 思わず手で口を塞ぐ。

 思いっきりいってんじゃん、無理って。


 でもアリエスはああいういい加減な人だから、本音で話せるっていうか、建前なんて使わない人だって分かってるから、信頼できる――


 ……あ、そうか。


 私、今まで誰も信頼していなかったから……怖かったんだ。だから相手を必死で繋ぎ止めるため、無茶な期待にも応えようとしていたんだ。


 アリエスの態度は無責任の塊だけど、彼が私の仕事ぶりを信頼してくれていたように、私も心のどこかで彼を信頼していたんだ。だから平気で本心を伝えることができたんだ。


 放置することもできたのに、魔法で自動管理化を進めていた薬草園。

 日々積み重なっていく、研究結果の紙の束。

 いつも眠そうにしながらも、私が薬草を枯らす原因について追及してくれる姿。


 そんな無責任の陰に隠れた真面目さが、脳裏によぎって消えていく。


「まあ最初は無理でも、そのうち慣れてくるさ。それに周囲だってそのうち、あの人はああいう人だから、と勝手に思うようになってくれる。そうすれば、他人の目とか期待なんて、どうでも良くなってくる。その結果が――」


 そう言ってアリエスはグッドポーズを作ると、自信満々に親指を自身に向けた。


「この俺だ」

「ご自身の適当さを、ドヤられてもですね……」


 思わず突っ込みを入れてしまう。

 そして遅れてやってくる笑い。勝手に鳩尾辺りが震え出し、喉から勝手に声が洩れる。


「あははっ……私……あなたみたいな無責任な人間には、死んでもなりたく、な、い……」

「相変わらず失礼なやつだな、お前」


 アリエスが呆れたように言ったけれど、唇がフッと緩む。


「変わりたいっていうなら、手を貸してやる。この仕事が本当に嫌なら、別の仕事だって斡旋してやる。皆、お前の頑張りを見てるからな。少なくとも、俺よりかは協力して貰えるさ」

「……そうですね、協力して頂ける部分は、間違いないと思います」

「って、おい、人が謙遜して言ってやったのに、さらっと肯定して俺の心を傷つけるのはやめろ!」

「この程度で傷つくほど、繊細な心の持ち主じゃないですよね? むしろどうやったら凹むんだってくらいの、鋼メンタルじゃないですか」

「いや、繊細だからな? 今ではこうだけど、子どもん頃とか、かなり繊細な少年だったからな? さっきの話聞いてた? 絶望して死にそうになったって言ったよな?」

「……何を言っているのですか、アリエス。子どもの頃も、今とさほど変わりはなかった性格をしていたと記憶していますが?」


 私たちの会話に突然別の声が入ってきて、アリエスが目を瞠った。振り向くとそこには、ヴァレリアさまと護衛の神官兵が立っていた。


 突然、魔樹がいる危険な場所に大神官さまが現れ、辺りが騒然となった。しかしヴァレリアさまご本人は、周囲の騒ぎなど全く気にも留めず、アリエスを見て笑っている。


「ヴァレリア⁉ なんでお前がここに……」

「ホノカさまとお前が、新たな方法で魔樹を枯らそうとしていると聞いたのです」


 私たちが、神殿で魔樹化した植物を枯らした話を聞き、後を追ってきたのだという。


 真っ黒に染まる結界を一瞥すると、ヴァレリアさまの顔から笑みが消えた。鋭い視線を結界に向けるながら、アリエスに問いかける。


「しかし撤退をしたと聞きました。苦戦しているのですか?」

「……やはり浄化の炎で焼こうと思っている。俺が早急すぎた。まだホノカの力の原因も追及できていないのに、結果を求めて焦りすぎたんだ」

「そうですかか。なら一刻も早く終わらせるべきでしょう」

「ああ、そのつも――」

「もう一度、やらせてもらえませんか?」


 ヴァレリアさまとアリエス、二人分の視線が私に向けられた。

 

 手に握ったままの銀じょうろを、ギュッと強く握りしめる。


 アリエスが戸惑いの表情を浮かべた。


「ホノカ、さっきの話を忘れたのか? 無理に他人の期待に応えようなどしなくても――」

「違います。私……やってみたいんです。怖いですけど、挑戦してみたいんです‼」


 心の底からの気持ちだった。


 他人の期待を感じ、咄嗟に応えようとしたんじゃない。

 人に認められて居場所を守るためでもない。


 このまま終わりたくないという悔しさからくる、自分の本心。

 そして、私の心に手を差し伸べてくれた上司の役に、少しでも立ちたいという心からの望みだ。もちろん、それに対して見返りなんて求めてはいない。


 決意を固め、アリエスを見つめる。


「お願いです、アリエスさん。もう一度、私にチャンスをください。魔樹を止めるのを、手伝って貰えませんか?」

「……もう一度だなんてケチくさいこと言うな。何度だって付き合ってやるよ。後のことなど気にせず、思いっきりやってみろ」


 そう言ってアリエスは、右手の平を自分の肩の方まで上げた。


 突き動かされる。

 想いが恐怖を越える。


「はい!」


 アリエスと重なった私の手から、パンッという良い音が響き渡った。

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