第12話 緊急事態だからな?

「なんか……さっきよりも大きくなってませんか?」

「魔樹の成長スピードは速いからな。ほら他人の子どもも成長が早いっていうだろ?」

「比べる対象、違うくないですか? 大丈夫ですか? 睡眠不足で魔樹が子どもに見えたりなんて――」

「見えてねえよっ‼」


 再び結界内に侵入した私たちの前には、先ほどより二倍近くでかくなった魔樹が立っていた。触手の数も増えている。


 先ほどは神官達を引き連れていたけれど、結界の維持のほうに回し、アリエスだけがサポート役としてここに来てくれた。


 正直、先ほどのよりも大きくなった魔樹に、少なくなった人数で対抗するのは難しい。

 だけど、アリエスはどこか自信たっぷりだ。


「ふふっ、天才は能力をひけらかしはしないのだ。本気になった俺の力を、その目に刻みつけるがいい」


 と右手で左手を押さえるような厨二病ポーズをとり、謎キャラをぶちかましてくる。 

 反応に困る。この人、たまにキャラブレるよなぁ。


 だけど、


「ってことだから、お前は安心して自分の仕事に集中しろ」


 自信に満ちあふれた笑顔を向けられると、無条件で信じたくなるのが不思議だ。

 とりあえず、三十二歳のおっちゃんが、恥ずかしいポーズをしているから、慰める意味でも頷いてあげておこう。


 前の前にそびえ立つ魔樹を見つめる。

 実は根元に水をまいたとき、少し気になっていたことがあった。


 魔樹の種が植物におちると、その植物に寄生して大きくなる。寄生した植物の栄養を奪い取り、成長した魔樹の栄養を植物が吸い取って、あんな醜悪な形になるのだ。


 ということは、今目の前にある魔樹のとこかに、寄生している魔樹本体があるはず。魔樹に寄生された植物だけを枯らすのではなく、魔樹本体も枯らさないと駄目なんじゃないかと。


 先ほど、神殿で枯らした魔樹は小さかった。だから上から水を振りまいただけで、寄生元の植物と魔樹本体に水がかかり、枯れたんだと思う。


 あくまで仮説だし、さっき枯らした魔樹よりも大きい問題から効果無かったんじゃないかという説もあるけれど、試してみる価値はある。


 万が一、失敗したっていう一つのデータが、アリエスの研究に増えるだけなんだから。

 きっとそれだって、役に立つはず。


 彼には、事前に私の仮説を伝えている。

 作戦は単純だ。


 アリエスが魔樹の動きを止める。

 そして根元に水をかけたあと、魔法で宙を浮いた私が、魔樹本体、見つからなければ上から水を振りかける。それだけの簡単なお仕事だ。


 まあ、魔樹の動きを止めるっていうのが一番危険で難しいところなんだけど。

 でも、先ほどのアリエスの言葉を思い出す。


 自信に満ちた、そして私に期待ではなく、信頼を向けてくれた笑顔を。


 ……よし!


 アリエスの魔法が発動する。

 先ほどよりも太く、長い鎖が何本も現れ、魔樹の動きを封じた。

 正直、先ほど一緒に動きを封じてくれていた神官達の行動を、一人でこなしている。


 これが、怠惰な上司の本気なんだと思ったけど、彼の苦悶が浮かんだ表情を見て気を引き締める。


 多分、一杯一杯だ。私のために、無理をしてくれているのが伝わってくる。


 私の気持ちを察したのか、真一文字に結ばれていた彼の口角が上がった。魔樹に顔を向けつつ、瞳を細め、視線だけがこちらを向く。


「こっちは気にするな。お前は……自分が思う行動をしろ。飛行の呪文は覚えているな?」


 大きく頷くと、アリエスも満足そうに頷き返した。


「……なら、行ってこい」

「はい」


 次の瞬間、私は全速力で駆け出していた。

 元の世界に居た頃は、できるだけ体力をセーブして生きてきた。こんなに一生懸命走ったなんて、最後は何時だろう。こっちに来てからも、電動キックボードで楽してたからなぁ。


 一気に肺が苦しくなる、喉に痛みが走る。

 足がもつれそうになる。


 だけど急激な運動で悲鳴を上げる身体とは正反対に、心は晴れやかだった。


 魔樹の根元によると、私は銀じょうろを傾けた。

 先ほどと同じく変化は見られない。だけど私は気に留めずアリエスの元に戻ると、彼の横にあるタルから水を掬った。銀色のじょうろの中が、再び透明な水で満たされる。


「この身よ、上へ上へ……高く舞い上がれ!」


 呪文を唱えると、首にかかった魔石のネックレスが熱を帯びた。身体が見えない何かによって上に持ち上げられる浮遊感が身体を襲う。


 意識を行きたい方向へ向けると、そっちに引っ張られた。

 コントロールはまだ完全じゃないけれど……行けそう。いや、行くしかない!


 魔樹の上に向かう。

 魔樹を見下ろすと、四方八方に広がった枝の中央に、赤黒いヌメヌメした大きな塊を見た。そこから、小さな触手がボコボコと生えている。

 気持ち悪すぎる光景に、ムカムカと喉の奥から何かがこみ上げてくる。


 その時、視界の端に黒い影が横切るのが見えた。咄嗟に身をよじって避けたけれど、それに僅かに当たってしまったのか、上着が擦れるように破れると同時に、胸を熱くしていた魔石が弾け飛ぶのを見た。


 私を襲ったのは、死角から襲ってきた魔樹の触手だった。まだ成長途中だったのか細かったけれど、こちらに届くまでの長さはあったみたい。


 魔力の供給源を失い、魔法を維持できなくなった私の身体は、当然この世界にもある重力という法則の名の下に、落下するわけで……


「ホノカっ‼」


 落下途中の身体が、不意に抱きしめられる。

 

「あ、アリエス……さ――」

「息を吸い込むなっ‼」


 私を空中で受け止め、自身の飛行魔法による浮力を利用しながらゆっくり下りているアリエスが、手で私の口と鼻をふさいだ。

 その表情は、焦りで満ちている。


 何をそんなに――と思った瞬間、全身から血の気が引いた。

 魔石がなくなって解けたのは、飛行魔法だけでなく、今まで瘴気から身を守ってくれていた結果にまで及ぶわけで……


 私、思いっきり瘴気を吸い込んでいるんですけど――――っ⁉

 

 やばない?

 これ、めちゃくちゃやばいんじゃないの⁉

 

 確か瘴気って、吸い込んだら滅茶苦茶胸が痛くなるはず――って、あれ?


 逆に私の顔を覆うアリエスの手のせいで息苦しくなり、私は彼の手を無理矢理引き剥がした。私の行動に、こいつ大丈夫か? という戸惑いを滲ませながら、アリエスが声をあげる。


「や、やめろ、ホノカ! これ以上瘴気を吸い込んだら……」

「……平気……なんです」

「え?」


 私はアリエスの手を完全に剥がすと、思いっきり瘴気を吸い込んでみた。


 ……やっぱり!


「瘴気を吸っても、私なんともないんです! 苦しくもないし……」

「え? ええええ⁉ ど、どうなって……」

「理由はひとまず置いておきましょう。アリエスさん、魔樹の真ん中に、魔樹本体を見つけました! だけど、触手に襲われて、魔石をなくしてしまって、魔法が使えなくなってしまって……」

「魔石を⁉ なら魔力の供給をしないと……」


 そう呟いた瞬間、アリエスが私の身体を抱きかかえて後ずさった。

 私を咄嗟に助けたため、魔樹の魔法が解けてしまったのだ。私たちの前に、ヌラッとした触手が大きく手を広げる。


 それを見て、アリエスは憎々しげに魔樹を睨みつけながら小さく舌打ちをした。


「一旦、引く。体勢を立て直――」

「輝きの円環よ、悪しき存在を抱きなさい」


 突如、魔樹を囲むように巨大な光の輪が発生した。輪の内側から光の筋が伸び、魔樹の触手や枝、一本一本を捕らえていく。それこそ、先ほど私を攻撃した細い触手すら、逃さず捕らえていく。あの輪の内側にあるものは、数関係なく、全て拘束の対象になるみたい。


 明らかに、先ほどまでアリエスや神官たちが使っていた魔法とはレベルが違う。


 この声は……ヴァレリアさま?


 アリエスと同じ事を思ったのだろう。

 余計なことを、と呟いたけれど、その口元には笑みが浮かんでいた。そして、心配するように眉根を寄せながら、私に問いかける。


「本当に体調は大丈夫なのか?」

「大丈夫です! せっかくヴァレリアさまがくださったチャンスです。このまま続けましょう! でも、飛行魔法は、術者本人しか効果が出ないんですよね? 魔石がない以上、魔樹の本体に水をかけることは……」

「……そう、だな」


 私が飛ばなければ、魔樹の上から水をかけられない。残念ながら周囲に、魔樹よりも高い建物もなさそうだし、飛行魔法で浮かせられるのは術者本人だけ。


 あのとき、私が油断して魔石を奪われなければと、自身の不甲斐なさに嫌気がさす。

 でも、自分が決めたことだ。


 何度あってチャレンジしてやる。

 もう後ろを振り返るもんか!


「ホノカ」


 アリエスの声が私の意識を今へと引き戻した。

 真剣な眼差しが私を射貫く。


「魔力の供給は、魔石を通じて行うことが一般的だが、方法はそれだけじゃない」

「確かそんな話もしてましたね。魔力を与える方法はいくつかあるって。なら、その別の方法で私に魔力を分けてください!」


 銀じょうろを握りしめながら訴えると、何故かアリエスは一瞬、私から目を逸らした。あー……という意味のない呟き声を洩らすと、


「……き、緊急事態だからな。【はらすめんと】とか言って後で怒るなよ?」


 そう言って大きく息を吸い込んだ。


 今まで結界によって守られ、表情が見えていた頭部が、瘴気に包まれて黒く染まる。

 その意味を理解した瞬間、私の全身から血の気が引いた。


 頭部が瘴気に包まれるということは、彼が自らを守る結界を解除したことに他ならない。


 彼を呼ぼうとした私の叫び声は、不意に唇に触れた柔らかさによって、消え去ってしまった。


 唇に乗った温もり。

 そして普段は決してここまで侵入を許さない場所にある人の気配。


 ま、まさか、魔石を使わない魔力の供給方法って――


 口移しってことですかぁぁぁ⁉

 魔法なんていう非科学的なものが存在する世界なのに、何でこんなに原始的且つ直接的な方法なん⁉


 そう思うと同時に、胸の奥が突然熱くなった。

 まるで魔法を発動するとき、発生するような魔石の熱のようだ。


 もしかしてこれが、この世界の人たちが感じている魔力? 胸の奥に注ぎ込まれた何かが、血液と一緒に全身を巡り、身体中が温かくなっていく。


 唇から温もりが離れた。

 私の両肩が押される。


 アリエスは今、私への超直接的な魔力供給のために、頭部の結界を解いている。そのために息を止めているから、言葉を発することはできない。

 だけど、私の肩に触れた手から、彼の気持ちが伝わってくる。


 さあ行け、という彼の言葉なき言葉が――


「この身よ、上へ上へ……高く舞い上がれ」


 私の身が、空へと舞い上がる。

 銀じょうろの中を満たす水の重さを手首に感じながら、高く高く舞い上がる。


 魔樹を取り囲む光の輪が、瘴気の黒の中でも私を導いてくれる。


 目下に広がるのは、魔樹の本体。

 

 私に、魔樹を枯らす力があるかは分からない。ここまでして貰って、何の効果も出ない可能性だってある。


 以前の私なら、何の結果も出せず、周囲の人々から非難や失望されることを恐れていただろう。


 だけど今は。

 変わりたいと願った今は。


 自分の人生を生きていいのだと言ってくれた人がいると知った今は――


 銀じょうろを傾けると、透明な滴が魔樹の上に降り注いだ。

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