第10話 もう……無理

 結界の前には、アリエスの他に、数人の神官達が集まって話し合っていた。彼の手には、私が先ほど神殿で枯らした魔樹の残骸が乗っている。


 始めは不審そうに眉根を寄せていた神官たちだったけれど、彼から話を聞き、魔樹の残骸を目にすると、驚いた表情で私のほうを振り返った。


 期待のこもった複数の瞳が、私に集中する。


 それを見ると落ち着かなくなる。

 何とかして期待に応えなければならないという焦燥感に駆られてしまう。


 銀じょうろを握る手は、こんなに震えているというのに。


 神官達に説明を終えたアリエスが、私の方に近付いてきた。


「とりあえず、作戦はさっき説明したとおりだ。俺たちが魔法で魔樹の動きを止める。お前はそのじょうろを水でみたし、魔樹の根元にぶっかけろ。以上だ」

「分かりました」

「あと、瘴気を吸い込まないように、顔の周りに小さな結界を張る必要がある。呪文は『見えぬ壁よ、瘴気から我が身を守れ』だ。それほど難易度の高い魔法じゃないから、お前にも使えるはずだ」

「分かりました」

「……お前、本当に大丈夫か?」

「大丈夫です」

「本当に……?」

「大丈夫です」


 だって、あんなに期待された目でみられたら、もう引き下がれないじゃない。

 それに、今更死ぬことを恐れるなんて馬鹿げてる。


 私は銀じょうろに水をいれると、結界の前に立った。私の隣にはアリエスが、彼の横には魔樹の動きを止めるサポート役の神官たちが五人ほど並んでいる。


 万が一、私が魔樹を枯らせなかった場合は、彼らが発する浄化の炎によって、魔樹が焼かれる予定になっているらしい。


「見えぬ壁よ、瘴気から我が身を守れ」


 教えて貰った呪文を唱えると、胸の魔石が熱をもった。中に封じ込まれている魔力が、呪文に反応して引き出されている反応だ。


 そして一瞬だけ目の前の景色が揺らいだかと思うと、頭部全体が何かに覆われたような気配がした。

 アリエスの指先が近付いたかと思うと、見えない壁に阻まれコンッと軽い音を立てた。どうやら魔法は成功したみたい。


 まるで宇宙服のヘルメットみたいだな。


「まず、俺たちから中に入って魔樹を無力化する。お前の出番がきたら呼ぶから、そこで待機していろ」


 そういって、アリエスと神官達がドス黒い結界の中に入っていった。

 次の瞬間、目が眩むような光が結界内に放たれた。恐らく、瘴気で周囲が見えないから、照明の魔法を使ったのだろう。そして、


「光の鎖よ、悪しき存在の動きを封じろ!」


 拘束の呪文を唱える複数の声が結界内に響き渡る。


「いいぞ、ホノカ! 魔樹の動きが止まった‼」


 アリエスが私を呼ぶ声がした。


 中の詳しい様子までは分からないけれど、先ほどまで暴れて結界の壁をベタンベタンしていた触手の動きはなくなっている。魔樹の動きを封じることに成功したみたい。


 瘴気の中に入る恐怖はあった。

 だけど、アリエスや神官たちが危険を承知で待ち続けているのだと思い、恐怖を振り払うように首を横に振る。


「行か、なきゃ……」


 そう呟くと瞳を閉じ、勢いよく身体を傾けた。

 足がバランスを保とうと、一歩前に踏み出す。


 黒い空間――瘴気の中へと。


 中は、先ほど腕だけ突っ込んだときに感じたような濃い湿度で満たされていた。肌や服がびちょびちょになってしまうんじゃないかと思うほどの湿度が凄くて、気持ちが悪い。


 心なしか、身体の動きも鈍くなっているような気がする。だけど不思議と、肌も服も濡れてはいない。頭部を覆った結界のお陰で、ちゃんと呼吸もできている。


 上空に灯った魔法の光を頼りに、アリエスたちを探し出す。


 彼らの姿は、ほどなくして見つかった。魔樹の周りを取り囲むようにして立ち、両手を魔樹に突き出している。突き出した手からは光り輝く太い鎖が飛び出し、魔樹の触手を幹に巻き込むような形で絡みついて動きを止めていた。


 あの根元に、水を撒けば――


 ただそのことだけを考えて、走り出す。

 そして根元に辿り着くと、銀じょうろの水をぶっかけた。


 これで私の仕事も終わるはず。

 しかし、


「何も変化が……ない?」


 ちゃんと魔樹の根元に水をかけたのに、魔樹に変化はなかった。相変わらず瘴気を吐き出し、拘束から逃れようと触手が暴れている。

 

 おかしい。

 さっきの通りに行くなら、すぐに効果が現れていたはずなのに。


 ……ああ、やっぱり駄目だったのかな。

 あれだけ威勢の良いことを言っておいて、また皆をがっかりさせるのかな。


 見たくない。

 皆が失望した目で私を見る姿なんて……


 嫌だ……いやだ、何とかしないと。

 何か結果を残さないと。


「ホノカ、危ないっ、逃げろっ‼」

「え?」


 アリエスの声でハッと我に返ると同時に、目の前に大きな影が落ちた。


 影の正体は魔樹の触手。先端には大きな丸い肉の塊がついていて、ぱっくり割れたそこから黒い瘴気を吐き出している。


 だけど思ったよりも動きが遅い。

 今なら逃げられる。


 だけど身体が動かなかった。


 いや、先に心が負けたといってもいい。


 あんなもの、私にどうにかできる存在じゃない。

 それに今逃げても、失望した人々が私を待ってる。


 触手が私の元に振り下ろされる。


 もう……無理。


 心の中で、何かが折れる音を聞いた。


 逃げることも。

 皆の期待に応えることも。


 新しい自分に変わることも――


 脳内で今までの記憶が駆け抜けていく。


『君には期待しているよ』

『これは君にしか任せられない重要な仕事なんだ』


”無理だとわかっていた。だけど私は向けられた期待に応えなければならないと思って――”


 永遠に終わらないと錯覚してしまいそうになるほどの膨大な業務。

 会社と客と板挟みになる辛さ。

 苦情と無茶な要求。


 だけどこんな私の努力など、すでに失敗が決まっていた事業の前には何の役にも立たなくて――


『やはり君には無理だったようだ』

『期待したのにがっかりだよ』

『会社に莫大な損害を与えた責任を、君には取ってもらう』


”後から知った。もともと失敗する事業の責任を私に取らせて、トカゲのしっぽ切りをしたんだって”


 ――私の今までの頑張りは、なんだったんだろう。


 錠剤の瓶。

 カミソリの刃。

 お風呂にはられた水。


 そして――


「ホノカっ‼」


 気が付けば、私は何かに抱きしめられた状態で倒れていた。

 すぐに背後で拘束の呪文が聞こえ、黒い影が姿を消す。


「馬鹿か、お前はっ!」


 アリエスの声だ。

 地面に転がった状態で上を見ると、彼が四つん這いになった状態でこちらを見下ろしていた。その表情には、強い怒りがにじんでいる。


「なぜ立ち止まった? なぜ逃げなかったっ⁉」

「あ、ははっ……だっていきなりあんな物が目の前に現れたら、誰だって動けなく――」

「違う。お前が諦めたからだ、生きることをっ‼」


 言い当てられて言葉を失う。

 

 そう。

 あの時、私は確かに生きることを放棄した。

 期待され、無理だと分かっているのに期待に応えようとして自滅を繰り返す自分に、絶望したから。


 アリエスは私を引っ張り起こすと、神官たちに一時撤退を伝えて結界の外へと出た。

 頭部を覆う結界を解除すると、大きく息をつく。 


 結界の外には、魔樹の対応を見る人たちで溢れかえっていた。結界から出てきた私たちに、一気に視線が集中する。だけどそんな皆の視線など物ともせず、大きく深呼吸を繰り返しているアリエスに向かって、掠れた声で尋ねた。


「なん、で……? 何で分かったんですか?」

「俺の昔と同じだったから」


 私と視線を合わせないまま、アリエスが答える。


「魔樹を生み出したのは、俺の祖先なんだ」


 思わぬ告白に、私は両目を見開いた。


 大昔、とある国で薬草の知識と魔法の研究に優れた一族がいた。

 その知識と力は、当時世界統一を目指していた国に目を付けられることとなり、一族の中で一番優れた者を残し、全員が殺された。


 一族を殺され、強制的に兵器の開発を命じられたたった生き残りは、国への復讐をひた隠しながら、大量殺戮のための兵器の開発に明け暮れた。


 そして結果的に、開発された毒は敵国と祖国を等しく滅ぼし――魔樹という存在を生み出すこととなったのだという。


「その生き残りの、たった一人の子孫が俺だ。魔樹を生み出した血が流れていると迫害され、幼いころから居場所を探すため旅を続けていたんだ。だけどある日、呪われた血だと言われ、魔樹の森にたった一人置き去りにされたことがあってな。そのときだったな。魔樹と初めて真正面から対峙したのは」


 幼い彼には、祖先への怒りがあった。

 復讐のために祖国を滅ぼし、そのツケを子孫であるアリエスが払っていることに、憤りを感じていたのだ。


 だから、祖先の技が原因となった魔樹を、自分の手で駆除してやると、それが滅びを求めた祖先への復讐になるんだと思い、魔樹の駆除方法をずっと探していた。


 しかし、強大な魔樹という存在を目の当たりにしたとき、怒りも決意も消え失せ、こう思ったのだという。


「……無理だと」


 心が折れる音を、確かに聞いたのだと。

 そう思った瞬間、身体が動かなくなっていたのだと。


「魔樹に殺されるところを救ってくれたのが、ヴァレリアだ。あいつは俺の身元引受人となり、神殿に置いてくれたんだ」


 その後、アリエスに優れた薬学と魔法の知識が受け継がれていると知ったヴァレリアさまは、彼を薬草研究所に配属した。


 ヴァレリアさまに期待されていると思ったアリエスは、今までにない設備や資料、研究環境を駆使し、魔樹の研究に明け暮れた。そしてようやく、浄化の炎の魔法を作り出し、魔樹を完全に駆除する方法を編み出したのだった。


 しかし……


「陰で神官たちが『期待外れだった』と言っているのを聞いたとき、全てがどうでも良くなったんだ」


 浄化の炎で魔樹を駆除するには、かなりの労力が必要となる。

 そのせいで、神官たちから不満の声が出たのだ。


 自暴自棄になり、全てを放棄したアリエスは、薬草研究所を辞めた。

 自堕落な生活に堕ちていく彼に、ヴァレリアさまは咎めることなく、ただ静かに仰ったのだという。


『勝手に期待し、失望する者たちなど気にする必要はないのですよ、アリエス』

『なら……なぜ俺の身元を引き受けた? ヴァレリアだって、魔樹化を引き起こした一族の末裔の俺なら、魔樹を消し去る方法が分かるって期待してたんだろ? だから、俺を引き取って薬草研究所に入れたんだろ⁉』

『期待? 何を言っているのです? 私はただ、絶望し、生きることを止めようとした少年の未来を保護しただけです。大人として』


 あの時の言葉が、今でも耳に残っていると、アリエスは笑う。


『私は、あなたに期待などしません。ただ信じているのです。一度絶望したあなたが、より良き未来を選択してくれることを。自分のために生きるのです、アリエス。他人は、あなたの人生に責任をとってはくれないのですから、そんな者の言葉など捨て置きなさい』


 ――他人は、あなたの人生に責任をとってくれない。


 本当にそうだ。

 本当……に。


 ヴァレリアさまの言葉が、今の私の心に深く染みこむ。


「それからの俺は、他人の目なんて気にしなくなった。もちろん、期待になんて応えるつもりもない。ただ自分のやるべきこと、心が望むことに注力し続けきたんだ」

「ということは魔樹の撲滅は……あなたが心の底から望んでいることなのですか?」

「ああ、そうだ。一度諦めたが、やっぱり諦めきれなかった。魔樹を撲滅し、魔樹の森の残骸の中で、先祖に向かってざまぁみろと叫ぶのが俺の目標だからな」

「ははっ……ほんとあなたは、いちいち発想が幼稚ですよねぇ……」

「う、うるせぇなあ!」


 そう言って口を尖らせる仕草が、また子どもっぽい。


「……色々研究をやってきて、上手くいかないことの方が多いが、俺にとっては大切な結果の一つだ。どれだけ周囲が失敗だと、失望したと言っても、知るかよそんなこと」


 ニヤッと笑うアリエスが、私には眩しかった。

 私にはない強さだったから。


 彼の口元から笑みが消える。彼の瞳が真っ直ぐに私を射貫く。


「お前が何を抱えているかは知らん。だけど、心を偽るな。死んだ方がマシだと考えるくらいなら、また他の方法を探すだけだ」


 突然、この世界に召喚され、聖女じゃなかったと失望された。

 新しい世界で生き直そうと決めたのに、ロクでもない上司にあたって早々今世も詰んだなって思った。


 だけど、売り言葉に買い言葉で引き受けてしまった仕事は、思いのほか楽しくて。

 メインの仕事をこなせず迷惑ばかりかけている私なのに、クビにすることなく、役に立っていると言ってくれたアリエスの言葉が嬉しくて。


 自分が全ての責任を負うからやってみろと背中を推してくれた言葉が、嬉しくて――


 だけど、人はそう簡単に変わることなんてできない。

 瞳を閉じると、溢れた涙が頬を伝った。


「ホノカ……?」


 アリエスの戸惑いの声が、鼓膜を震わせる。


「わたし、は――」


 召喚される前、最後に私が見た部屋の景色が思い出された。

 机の上に置いた、白い封筒。


 そこに書かれた文字は――遺書。


「死のうと……していたのです」

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