第四章

第16話 「手慣れた悪事を働く悪党のように」

 その時、夜明け前の闇をついて、四方八方から兵士たちがあらわれた。

 数人が魔物を押さえつけるのが見え、数人がイグネイのもとに駆け寄ってきた。兵士たちの中に、副官の顔が見える。


公子こうし! ご無事ですか!」

「なにもない――なにも――あれを放せ、矢が刺さっているじゃないか!」

「あれは魔物です。ああ、やはり、魔に取り込まれているのか……修道院長の言ったとおりだ。公子、ご心配なく。魔物を排してしまえば、元に戻ります」


「取り込まれてなどいない! あれは、俺の大事なものだ、乱暴にするな!」


 イグネイが駆けだそうとするのを、兵士たちがとめる。

 そのとき、一人の兵士がおびえた声を上げて、とびのいた。


「ひゃ! ひ……ひ……ひかってる! 公子が……光って……」

「緑色の光だ……魔物とおなじだ!」

「魔物だ! 公子も魔物になった!」


 ざざざっ! と音を立てて、イグネイの周りから兵士たちが離れた。ひそかな声がどす黒く立つ。


「魔物と同じ光……」

「あれは、うつるぞ。うつるぞ、きっと」

「公子にふれたら、魔がうつる……俺たちも、魔物になるんだ」


 叫び声が上がるなか、ひとつの底寂びた声がひびいた。


「静まりなさい!」

「……修道院長」


 イグネイはほっとした。

 ほのかに明るみを帯びはじめた森の小道を、しずかに歩いてくるのは修道院長と巨体の修道士だった。ふたりの姿が、狂乱におちいりかけた兵士たちを沈めていく。

 黒衣の裾を引いて歩いてきた修道院長は、副官に向かっていった。


「公子を見つけられた。よろしかったですな」

「修道院長殿、しかし公子は魔に取り込まれて――お身体が、緑に光っております」


 イグネイは改めて自分の身体を見た。朝が近づくにつれ、光は弱まっているようだ。


「副官、俺は光っていない。見まちがえたのだろう。あれを、放してやれ。危険な生き物ではないから」


 副官は疑わしそうにイグネイを見た。つぎに修道院長を見た。

 黒衣に包まれた小さな猛禽のような修道院長は、老いた唇を開いた。


「副官殿、やはり公子は魔を体に入れてしまったようですな――いえ、落ち着きなさい。

 この魔物は、二百年にわたって我が修道院をおびやかしてきました。

 ようやく、魔を鎮めるときが来たようです。

 魔物を斬して、公子を取り戻しましょう」


 イグネイはあっけにとられた。


「斬……? 魔物を、斬るのか?」


 副官はちらりと背後の修道士を確認してから、イグネイに言った。


「聖別した剣をつかえば、魔物は消失するそうです。魔物が消えれば、公子は元に戻ります」

「俺は何も変わっていない。元に戻る必要はない!」


 修道院長は冷静な声で言った。


「このように筋の通らぬことを言い続ける――まさに、魔に取り込まれた証拠です」

「公子、身体が緑色に光る人間などおりません。あれは魔です。

 公子は、秘密の王命を果たすべく、単身で『聖なる森』に入られた、と修道院長から聞きました。

 危険すぎましたな。せめて私に伝えてくださればよかったのに。

ともあれ、修道院長に言い残してくださったので、こうして救助に来たわけです」

「ひみつの王命? 修道院長に、言い残しておいた?」


 イグネイは混乱した。三日前に修道院長をおどしたとき、秘密の王命などと言ったおぼえはない。イグネイは『秘密』をおさめた瓶がほしい、といっただけだ。

 ――何かがおかしい。

 イグネイは目を細めて修道院長を見た。


 老いた猛禽のような鼻をもった修道院長は、次第に明るくなる森の中でイグネイを見返した。手慣れた悪事を働く悪党のようにゆうゆうと、立っていた。


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