第17話 「知らぬ名前」


 修道院長は、背後の修道士に命じた。


「聖別した剣を持て」


 すらり、と修道士は剣を引き抜いた。歴戦の兵士であるイグネイがみても、ぎょっとするような鋭利な刃だ。

 あれが魔物――サジャラの身体に突き立つ場面がうかぶ。イグネイは思わず駆けだした。


 イグネイが走ると兵士たちがあわててよけた。魔がうつると思っているのだ。

 人の波が散った。わずかな先に、背中に矢を受けて倒れたままの魔物が見える。

 イグネイは魔物と剣を持った修道士のあいだに立ちふさがった。


「よせ! これは修道院にとっても大事な魔物なんだろう。告解の『秘密』をおさめた瓶を数百年も守ってきた魔物だ。

 簡単に、殺すな!」


 しかし、剣をかまえた修道士は表情も変えない。正確な機械のように剣を持ち、修道院長の命令を待っている。

 イグネイは、修道院長を見た。


「なぜ、今になって魔物を殺したがる?

『秘密』を管理する仕事のために、代々の修道院長が供物をはこぶほど大事にしてきた魔物だろう。

 なぜ今、ここで殺したがる?

 おれが『秘密』の瓶を、手に入れたからか?」

「——手にいれた?」


 修道院長のとがった鼻がゆれた。白い眉毛の下にある目が、じろっとイグネイを見た。


「手に入れた? 他人の『秘密』を? もはや人とは思えぬ所業だな、公子よ」

「俺の母の秘密だ。だれかに、どうこう言われる筋合いはない」

「親だろうが子だろうが、『秘密』は『秘密』だ。守られねばならぬものだ。誰にだって、秘密はあるものだ」


「——修道院長。あなたにも?」

「なにが」

「あなたにも、秘密がありますか」


 イグネイの問いに、わずかに遅れて修道院長は答えた。


「……天に仕えるものに、秘密はない」


 イグネイは鋭い声で、畳み込んだ。


「では、天に告解し、みずからの記憶からも取り除きたかったほど忌まわしい『秘密』があなたにはない、と?」


 ふふぉ、と老いた修道院長は乾いた笑い声を立てた。


「私は修道院長だ。記憶から取り除きたい秘密など、ありませんな」

「そうですか――では、この名前にも、聞き覚えはありませんね? 『サジャラ』という名に」


 イグネイが言い終わると同時に、ガシャアアアン!という大きな音が立った。

 全員が、巨大な修道士を見た。修道士は聖別された剣を落とし、血の気のひいた顔でぶるぶると震えていた。

 イグネイは、そろり、と魔物に近づいた。ほんの少し、腰を落とす。

 巨体の修道士をにらみつける。


「ほお、そっちはこの名前に、聞きおぼえがありそうだな」

「公子よ。私も修道士も、そのような名前は知りませんな」

「知らない? では、あなたは知らない名前を『秘密』の瓶に書き入れたんですね」

「——なに?」


 イグネイはかがみこんで、サジャラの服に手を入れた。小さな瓶をつかみだす。名を記したリボンが夜明けの風にひらめいた。


「これです。覚えておられるでしょう。この魔物――哀れな少女、サジャラを『聖なる森』の奥に閉じ込めた時、あなたが名を書いてやったリボンです」

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