第25話

「ここは美奈川家が所有している邸宅だ。元々は祖父が購入したものだったんだが、皆も知っての通り、私の両親は生活に困窮してしまった。事業の失敗が相次いでね。そこで、もちろんこの邸宅を売却しようという話になったんだが、こんな不気味な屋敷、だれも欲しがりやしないだろう? だから結局、私有地として残された。そこを私はセーフハウスとして使うことにしたんだ。もっとも――」


 葉月は去っていく黒いバンを見送りながら言った。


「ドクとそのご友人方にはとっくにバレていたようだけど」


 ふっ、と息をつく葉月。太陽は最早沈みかけており、葉月の表情を窺い知ることはできない。

 だが、その心情を推し測ることはできる。セーフハウスの場所が判明してしまうほど、自分たちとドクは親密な関係にあった。そのことを後悔しているのかもしれない。

 これでは何のためのセーフハウスなのか分からない。


 幸いなのは、今すぐ敵襲に遭う可能性は極めて低いということだ。


「で、俺たちは何をすりゃいいんだ?」

「そうだな……。まずは腹ごしらえをしよう。皆、身体に異常はないな?」


 おずおずと頷く俺、髙明、そして和也。

 だが問題は、この邸宅の立地にあった。

 ぐるりと周囲を見渡すと、延々田畑が続いている。コンビニやスーパーマーケットの類は見受けられない。


「ま、冷凍食品で我慢してよ。それでは、入場~」


 くるりと振り返り、葉月は鉄柵の前に仕掛けられた網膜認証カメラにあっかんベーをしてみせた。すると鉄柵は滑らかに開かれた。荒れ放題の庭園の中央に短い石畳の地面があり、俺たちは葉月を先頭にエントランスへと向かう。


「しばらく使ってなかったから、埃っぽくてな……」

「いや、飯の摂取と睡眠、それに銃器の分解掃除ができりゃあ文句はねえよ」


 それは俺も髙明と同意見だ。和也も横でうんうんと首肯している。


「よし、人数分の部屋はあるから、各自適当に決めてくれ。それと、一日二十四時間に三交代で、エントランス前の警戒警備にあたってもらう。異議や疑問点のある者は?」


 なるほど、一組八時間か。いや、待てよ。


「一つ気になることがある」

「何だ、剣矢?」

「エレナはどうしたらいいんだ?」


 先ほどから床のカーペットばかりを見つめていたエレナ。もしかしたら、自分は戦えないという理由で皆に余計な負担を強いるのでは、などと考えているのではないか。


「そうだな……。皆、すまない。一日二交代、ツーマンセルでいこう」


 こればっかりは仕方がない。あの面倒くさがりな和也も、反論することはなかった。


「代わりにエレナには、できる限りの情報収集活動に従事してもらう。構わないな?」


 そう葉月に尋ねられ、エレナはぶんぶんと縦に首を振った。自分なりにFGに貢献できるのが、とても嬉しいのだろう。


「剣矢は眼帯を外してドクと戦っていたから、まだ疲労から回復しきってないだろう。最初は私と和也が歩哨に立つ」

「えっ、葉月と!?」


 喜びに顔をぱっと咲かせる和也。だが、髙明がすかさず軽い拳骨を見舞った。


「いてっ!」

「遊びじゃねえんだ、頼むぜ、おい」

「だっ、だからって殴らなくても……」

「細かいことは気にすんな。行くぞ、剣矢、エレナ」


 俺は、誰からともない気遣わしげな視線を感じつつ、髙明とエレナについていった。


         ※


 髙明に先頭をお願いして、俺たちはひとまず会議室に向かうことにした。

 すると、髙明は貰った見取り図を一目見るなり、ずんずん進んでいく。


「髙明、どこへ向かってるんだ?」

「ダイニングだ。キッチンのそばだから料理も冷めづらい」

「……いつの間に食い意地張るようになったんだ?」

「冗談だ。この地図に会議室って項目がなかったからな。代わりにダイニングを使わせてもらう」


 なるほど。堅苦しい会議室よりは、リラックスできるかもしれない。

 それからまたしばらく歩くと、唐突に髙明が足を止めた。廊下の端にあるダイニングには、まだ距離があるはずだが。


「ここは剣矢、お前の部屋だ」

「は?」

「は? じゃねえよ。お前は今、俺たちの中で一番体力を消耗しているはずなんだ。休んでもらうのは当然だろう?」

「そ、そりゃあ……まあ、な」

「分かったんならそれでいい。エレナ、剣矢の身の周りの世話をしてやってくれるか?」


 俺は再び、は? と声に出してしまった。ご飯は自分で食べられるし、トイレにだって問題なく行ける。着替えもできる。一体何を世話されるというのか?


「俺はキッチンとダイニングを、使用可能になるまで掃除する。そうしたらエレナ、交代だ。葉月も和也も腹を減らして戻ってくるだろうから、料理の腕を振るってくれ」


 エレナは髙明を見上げ、しっかりと一つ頷いた。髙明も、どうやらエレナに怖がられるのは不本意だったらしい。僅かに頬を緩めて頷き返した。


「ほら、分かったらさっさと寝てろ!」


 髙明はエレナの背中を軽く押し、逆に俺の背中を突き飛ばすようにしながら、来客用の部屋へと押し込んだ。


 ノブを捻ってドアを閉めながら、俺は小言を言ってみた。まったく乱暴なんだから、とか、男にも優しくしろよ、とか。

 しかし、エレナはなんとも思っていない、というか逆に、髙明に対する恐怖感がだいぶ和らいだ様子だ。


 もしかして、エレナを安心させるために髙明はあんな態度をとっていたのか? だとしたら髙明、なかなかの策士である。

 そのへん頭の回る奴だからな、髙明は。


 俺はひとまず換気扇をつけ、ベッドの上の毛布をばさり、と波打たせた。あまり埃っぽい印象は受けない。

 そうか。きっと月に一回くらいのペースで、清掃業者が入るようになっているのだ。


 気づくと同時に、何らかの機械がウィン、と起動する音がした。床面掃除機だ。丸っこい形をしていて、宇宙人の円盤を思わせる。


 この部屋の仕組みを一通り確認してから、俺は隅にあったデスクの椅子の腰を下ろし、エレナにはベッドに腰かけるよう促した。


 そこまではいいのだが、はて、何を話したらいいものやら。

 今までも、エレナと無言で二人きりになることはあった。それに、その場の空気感に苦手意識を抱いたこともない。


 つと目を上げると、エレナはつまらなさそうに足をぶらぶらさせている。きっと、敢えて気楽であるように見せかけているのだ。

 だが、今はエレナと会話を交わすべきだという強迫観念が、俺の胸中に迫ってきていた。


「なあ、エレナ」


 ぱっと顔を上げるエレナ。やはり緊張の糸を張っていたらしい。

 俺は自分の胸に手を当て、深呼吸を一つ。


「葉月とは仲良くやってるか?」


 馬鹿みたいな質問だ。そんなこと、見てりゃ分かるだろう。

 だが、俺は見逃さなかった。エレナの肩がぴくり、と震えるのを。

 

 すぐに体勢を立て直し、うんうんとエレナは頷く。


「これは俺の自己満足にしかならないかもしれないし、エレナを傷つけるだけかもしれない。だけど、これは伝えておきたいんだ。そうしなきゃならないと思うんだ」


 エレナはじっと、俺の目を見つめた。その視線を、俺は臆することのないように受け止める。そして、言った。


「俺は葉月のことが好きなんだ」


 一息で言い切った。すると、エレナは再び首肯してみせた。

 意外だった。エレナは俺のことを好いてくれていると思っていたから。それを裏切られた形だというのに、どうしてエレナは平然としていられるのだろう?


 さらにエレナは、ふっと頬を緩めて見せた。穏やかな笑みさえ浮かべている。


「な、なあ、エレナ……」


 相手が口を利けないことを忘れて、俺は答えを求めた。どうしてそう穏やかな態度でいられるのかという理由を。これではまるで、エレナは俺と葉月のことを――。


「知っていたのか?」


 エレナは自分の目元を軽く突いてみせた。見れば分かるとでも言いたげに。

 ああ、という息が俺の口から漏れる。俺は前傾姿勢になって、額に手を押し当てた。

 まったく、何を言っているのだろう。こんな年下の少女を相手に、何を戸惑っている?


 俺は自分が何を言っているのか、伝えたいのかが分からなくなった。いや、端からそんなものはなくて、ただ自分の気を楽にしたかっただけだ。

 本当に情けないことだ。


 そんな自虐に走っていたからか、俺はエレナがすぐそばに来ていることに気づかなかった。はっとして、顔を上げた。


「ちょ、待ってくれ、エレ――」


 エレナは葉月とは違っていた。口づけなど求めてはいなかった。

 ただ単純に、自分の頬と俺の頬を軽く擦り合わせただけだ。


「あ……」


 違う意味で、俺は慌てた。今の俺には脂汗が浮かんでいただろうし、そもそもエレナほど衛生感覚が優れているとも思えない。

 エレナの顔が汚れてしまったのではないか。それが不安だったのだ。

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