第26話

 エレナはそんなことは気にしていない様子だったが、俺が気づいたことを察し、すぐに離れた。代わりに、俺の拳を自分の掌で包み込み、その上からそっと額を当てた。


 一種の願掛け、だろうか。

 エレナが口を利けなくても、俺の無事を願っていることはひしひしと伝わってくる。


 俺が死んだら、エレナはどうなってしまうだろう。じわり、と冷たいものが後ろ襟から背筋を伝っていく。

 ああ、そうか。そんな事態に陥らないようにするために、彼女はこうやって祈りを捧げてくれているのだ。


 エレナは恐らくキリスト教徒で、俺には特に信仰している宗教はない。宗教的価値観でいえば、俺たちは全くもって正反対の思考回路を持っている。だが、今の俺には、エレナこそが神様、女神様に見えた。


 それでいいじゃないか。俺の無事と健闘を祈ってくれている存在がある。それ以外に何が必要なものか。


 俺が軽くエレナの頭を撫でると、エレナはちょうど祈りが終わったのか、顔を上げて立ち上がった。


「ありがとう、エレナ。俺たちもダイニングに行こう。エレナの情報解析能力を、髙明は首を長くして待っているだろうから」


 エレナはこくり、と一つ頷いて、俺と一緒に部屋を出た。

 しばらく時間が経ってしまっていたが、髙明に怒られることはなかった。やはり空気の読める男だ。


         ※


 仮にドクと再戦するとして、どのような対策を立てるべきだろうか。

 まずは銃撃だ。和也の狙撃で仕留められれば幸いだが、そう簡単にもいくまい。


 とは言っても、ドクはきっと今回も丸腰だ。カービンライフルと狙撃銃の牽制射撃で、だいぶ場所的にドクを追い込むことはできるはず。そこを、俺が眼帯を外して迎え撃つ。


 白兵戦が始まってしまうと、銃器での援護は困難になる。そこで俺は、髙明にバディを依頼することにした。


「俺が剣矢の援護を? お前、眼帯外した時に、自分がどれだけ超人的になってるのか自覚あるのかよ? 俺の出番はねえぜ」

「いや、それでも俺は寺院のグラウンドで負けたんだ。もし髙明さえよければ、一緒に戦ってほしい。それに、一つ作戦案があってね……。和也、グレネード・ランチャーの使い方は分かるか?」

「ああ、髙明がポンポン撃ってるやつ? うん、分かるよ」

「よし。今回も特殊弾頭を装填して、ランチャーを使うことにしよう」

「特殊? 今度は何を積むんだい?」

「神経鈍化煙幕弾だ」


 そう俺が言うや否や、和也は大きくのけ反った。それほど驚かれることだろうか。


「あ、危ないよ、剣矢! いろんな種類とか強度があるけど、下手に使ったら君や髙明だって……」

「だからこうやって探してきたんだろう、ほれ」


 葉月が何かを和也に放った。慌てて和也が受け取る。それは、最新式のガスマスクだった。フルフェイスで、外から見えるのは着用者の目元だけ。


「ドクも装備しているかもしれないが、だったら猶更俺たちが装備しておく必要がある」

「ふむ……。確かに、体格差はあるにしても、顔を隠せればドクを攪乱できるかもな」

「それと、これを」


 腕組みをする髙明。そんな彼に、俺は密かにポケットに忍ばせておいたものを取り出して見せた。他の三人も顔を近づける。そこにあったのは、二本のアンプルだ。


「何だい、これ?」

「ドクが俺用にと寄越したものだよ、和也。一時的な身体強化剤だそうだ。このうち一本を、髙明に持っていてほしい」

「俺に?」


 素早く尋ね返す髙明に、俺は頷いてアンプルの一本を差し出した。


「ああ、誤解がないように言っておくけど……。これは髙明に使ってほしいってわけじゃない。持っていてほしいんだ。俺と髙明が一本ずつ持っていれば、万が一俺が自分のアンプルを破損させてしまっても、髙明に融通してもらえる」

「俺自身が使っちゃいけねえのか?」

「やめろとは言えないけど、とても勧められない」


 俺はぎゅっと眉根に皺を寄せた。


「俺は眼帯を外した時の超人現象に慣れてるが、髙明は違うだろう? 突然そんなものを体内に摂り込むのは、リスクが高すぎる」


 髙明は、すっかりつきなれた長い溜息の後、了解したとばかりに片手を上げて見せた。


「一応、俺が作戦計画を立ててみたけど……。皆、何かあるか? 問題点、改善点、何かしらあるはずなんだ」


 すると、まさにタイミングを計ったかのように、エレナのパソコンが短い電子音を立てた。屋敷の屋上に設置した無線傍受機が、ドクのものと思しき通信をキャッチしたらしい。


 エレナの隣に座っていた葉月が、パソコンのディスプレイを覗き込む。

 俺たち男衆も立ち上がり、その背後に回り込んだ。


 ディスプレイに何らかの波形がいくつか並んでいて、スピーカーからは音声変換されたデータが流れ出てくる。


《あ……あーあー……こちらドク、こち……ドク、聞こえるか、FGの諸君?》


 葉月が機材に接続された固定式のマイクに吹き込む。


「こちら葉月、聞こえているぞ、ドク」

《おお、よか……た、君たちに再度、挑戦してみたいと思ってね。時間と場所を指定しても構わないかね?》

「待ってくれ」


 俺は割り込んだ。


「第三者を巻き込むような場所はやめろ。あんたは俺たちのデータだけ取れてもいいんだろう?」

《ふむ……だとしたら?》

「俺たちが死ぬまであんたと戦い続けて命を落としたとしても、それで十分なデータは取れるはず。あんたはそれを南米のラボに持ち帰ればいい。だったら、人質を取る意味はない。違うか?」


 どうせあんたは、俺たち全員よりも自分の方が強いと思っているのだから。

 しばし、ノイズの走るざらざらとした音だけが俺たちの鼓膜を震わせた。


《了解したよ、剣矢くん。では時間と場所の指定だ。君も葉月くんも元気そうだから、明日の夜などどうかね? 午後九時に、臨海ショッピングモールだ。もう廃墟になっていて、中心市街地からも遠いから野外居住者の姿もない》

「乗った」


 俺は即答した。ここで勢い負けするわけにはいかない。


《ああ、もう一つそちらに有利な条件を差上げようか。私は午後八時にその現場にはいるつもりだが、それまでの間であれば、周囲にトラップを仕掛けても構わない。まあ、君たちにはそうでもしなければ生き残ってもらえないだろうからね》


 髙明がドン、とテーブルを叩いたが無視した。


《では、楽しみにしている。失礼するよ》


 ザッ、と勢いよく紙を切り裂くような音と共に、通信は切れた。

 俺は身を起こし、葉月に顔を向ける。


「ここにさっきの装備一式はあるか? グレネード・ランチャー、神経鈍化煙幕弾、ガスマスク五つ。どうだ?」

「今確認してみるけど、きっと揃っているはずだ」


 俺は大きく頷き、頼む、とだけ告げた。

 今の俺と葉月は、恋人でも想い人でもない。復讐を果たすべく立ち上がった同志だ。それを勘違いしたがために、葉月は尚矢に撃たれてしまった。俺も葉月も気をつけなければ。


 葉月はすっと立ち上がり、全員に火器の整備を命じた。

 皆が大きく頷く。そして自分の部屋へと戻っていく。


 明日になれば、何かが変わるのだろうか。

 何かから解放される気がするが、俺は正気なのだろうか。


 取り敢えず、栄養摂取と休息時間の確保が最優先だ。俺もまた部屋に戻り、固形栄養食材を摂取して、早々にベッドに潜り込んだ。


         ※


 翌日、午後九時。

 四時間前に始まり、一時間前に終了したトラップ敷設作業を経て、俺は眼下を見つめていた。視界の中央にはドクがいて、携帯端末で時刻を確認している。

 俺がドクより高い場所にいるのは、ショッピングモールに隣接した廃棄済みの高層ビルの地上十階にいるからだ。

 地上からの高さは約四十メートル、対するドクは約二十メートルだ。


 ドクの何気ない態度からして、奴は俺に気づいている。

 五人が五人、バラバラに配置についたのにも意味がある。ドクを攪乱させることは叶わずとも、少しでも俺たちの位置を探ることによるストレスを与えるためだ。


 そうして迎えた、午後九時ちょうど。

 最初に仕掛けたのは和也だった。アイリーンによる精密射撃。ドクは巧みにステップを踏み、足元には砂塵が舞い散る。


 直後、長射程仕様に改造したカービンライフルによる掃射。葉月と髙明だ。これを前後左右のステップとバク転で回避するドク。まるで踊っているみたいだ。


 余裕を見せびらかしたいのか、ドクはどんどん屋上の淵へ追いやられていく。そこで俺は、手にしたスイッチに指をかけた。


 目の覚めるような爆光と爆音が響き渡ったのは、まさにその瞬間のことだった。

 ドク、あんたはまだ無事なんだろう? あれだけの啖呵を切ったんだものな。

 心配するな。俺が確実に仕留めてやる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る