第24話

 俺は眼帯を外し、ドクを羽交い絞めにすべく飛び出した。体勢を立て直した髙明に、思いっきり殴らせるつもりだ。

 が、俺は確かに見てしまった。ドクの口の端が微かにつり上がるのを。


 弾丸のように飛び出した俺に向かい、ドクは後ろ回し蹴りを繰り出した。


「ッ!」


 俺は両腕を交差させてこれを受ける。駆け出した際の速度が相殺されるも、なんとか後ろに跳躍して追撃を回避する。

 しかし、ドクの本命は俺ではなかった。俺の反対側にいた髙明だ。回し蹴りを放った勢いで、ドクは髙明に裏拳を浴びせたのだ。


「ぶふっ!」


 鼻先を直撃した容赦ない拳に、鮮血が吹き上がる。これには流石の髙明も動揺を隠せない。


「髙明、下がれ! 俺が仕留める!」

「ほう! 威勢がいいな、剣矢くん! だがそれもここまで、だっ!」


 今度はドクが地面を蹴った。そしてその足さばきに、俺は愕然とした。

 まるで、滑空しているかのように見えたのだ。足が地面についているのかどうかすら分からない。


 いや、気を取られている場合ではない。迎撃しなければ。

 俺はフットワークを軽くし、ボクシングの構えを取った。カウンターを打ち込むほかに道はない。


 僅かに半身になって、ドクを待ち受ける。その間、実質丸一秒といったところか。

 ドクの頭部がまさに俺に接触する瞬間。それはすなわち、俺の鉄拳がドクの顔面に打ち込まれる時となるはずだった。


 しかし、事態の進展はそう甘いものではなかった。

 ドクは急減速し、頭部ではなく足先から突っ込んできた。スライディングだ。

 その足には僅かに回転がかかっており、俺をつっ転ばそうという狙いも見て取れる。


 俺はさっきと同じように、両腕を交差させて防御を試みる。しかし、ドクが放った衝撃は予想を優に超えていた。

 スライディングしながら手首を捻ったドクは、肘と腕、肩の筋肉を総動員して跳躍したのだ。ちょうど足の裏が俺の両腕に当たるように。


「!?」


 仰向けの姿勢で飛びかかってきたドクの攻撃を防ぐことは叶わなかった。

 俺は呆気なく蹴り飛ばされた。


 まずい。腕の感覚がない。衝撃で麻痺したのか。

 ずざざざっ、と境内まで蹴り飛ばされた俺に、ドクは悠々と砂埃を払いながら近づいてくる。

 

「安心したまえ、剣矢くん。君を殺しては、貴重なサンプルを失うことになる。それは私の本意ではない。だが――」


 俺が首を上げてドクの方を見ると、その右腕には和也の頭部が掴まれていた。


「もし抵抗すると言うのなら、和也くんの頭蓋を握り潰してでもみせようか。彼もサンプルではあるが、五人のうちの一人だ。残り四人を連れていければそうそう非難は受けまい」

「皆! 僕のことは無視して――ぐあああっ!」

 

 俺は自らの不覚を呪った。今の俺に銃器はない。きちんと携帯しておくべきだったのに。


「さあ、どうするかね諸君? 満場一致でなくとも構わんよ」


 くそっ、どうしたらいい? 俺は皆とアイコンタクトを取りたかったが、できなかった。その度に和也の苦痛が増すような気がして。


 謎の異臭が漂い始めたのは、ちょうどその時だった。

 最初に気づいたのは、感覚が鋭敏だった俺。ドクに攻撃の意志がないのを確認してそっと目線をずらすと、赤や青、緑といったカラフルな煙幕が濛々と上がっていた。


 きっとこれは、ペイント弾に加工する前の色素が舞い上がっているのだ。誰かが工夫を凝らして、俺たちの勝負を邪魔しようとしているらしい。


「ほう、葉月くんかな?」


 ドクはのんびりと呟いて、和也を無造作に投げ捨てた。そばの竹林に埋没するように倒れ込む和也。だが命に別状はあるまい。


「どこぞの組織の人工衛星にキャッチされるとも限らんな……。諸君、またスカウトの連絡を入れる。私は一足先にトンズラさせてもらうよ」


 ドクはそう言って、袈裟姿のまま勢いよく未舗装の車道を駆け下りていった。


「ま、待て!」


 俺は和也の拳銃を手に取ったが、ドクはとっくに射程外に逃れていた。思わず舌打ち。

 そちらへの警戒を解かずに、俺はゆっくりと和也の下へ歩み寄った。


「和也、大丈夫か?」

「んっ……頭が痛い……ドクは?」

「ああ、それなら心配いらない。ドクは逃げたよ」


 泥だらけの手を額に当てて、かぶりを振る和也。こっちは無事だな。


「エレナ、髙明の出血は?」


 振り返って声をかける。エレナは普段、髙明を怖がっている節があったが、今はそれどころではないらしい。

 やはりドクは手加減したのか、髙明は自力で立ち上がっていた。手の甲で自分の鼻先を押さえている。


「なあ剣矢、ありゃ一体、何者だったんだ?」

「それは……」


 俺に訊くなと言いかけて、思いがけない方向から声が飛んできた。


「それを考えよう」


 考える? ドクの正体を? というか、今の言葉は誰のものだ?

 境内から見て裏手、盗難車を並べた方から、葉月がゆっくりと歩いてきた。今の戦闘で負傷してはいないはずだが、流石にまだ傷を意識しているのだろう。


「さっきの狼煙、葉月が?」

「ええ。あの場にいなかったのは私だけだろう。髙明と和也は?」

「ご覧の通りだ」


 俺が場所を空けた。そこには、止血用特殊素材でできた紙を鼻に突っ込む髙明と、ドクへの悪態をつきまくる和也の姿があった。


「二人共大丈夫そうだな」

「ああ。だけどどうするんだ? あの狼煙を見て、すぐに警察や消防が駆けつけるぞ」

「心配には及ばない。ドクは必ず、どこかで手を回してくる」

「だとしても、今の俺たちには勝ち目はないんじゃないか? マドゥーとも尚矢とも違う、何というか……人間を辞めてる感があるな」

「確かに」


 否定せず、口元に手を遣る葉月。


「取り敢えず今は流されるままでいよう。ドクだって、不本意な形で決着をつけようとはしないはずだ」


 そう言うと、葉月は全員に対して武装解除を命令した。


         ※


 それから約二十分後。公共機関の車両が俺たちの下に到着した。

 何故救急車や消防車という言い方をしないのかと言えば、そのいずれでもないからだ。


 黒を基調とした車体に、防弾と思しき素材でできた荷台を搭載した小型のトラック。ところどころに赤十字のマークが白地に赤で描かれている。


 消火装備を搭載していないところからすると、そもそもこの狼煙が火事によるものだとは思われていないということだ。ドクが通報したのだろうか。


 ドクはあの寺院から逃げ、俺たちを謎の組織に捕縛させた。狙いは一体何だ?

 窓のない荷台で考えながら、俺は項垂れていた。


 そんな俺が顔を上げたのは、和也が騒ぎだしたからだ。


「アイリーン? アイリーンじゃないか!」

「おい、うるせえぞ和也」

「だってほら、アイリーンだよ! 僕の愛銃だってば! 髙明だって分かるだろ?」

「何?」


 手先が器用で、頼まれればすぐに他人の得物も整備していた髙明。そんな彼が、一瞬目を見開いた。

 

「た、確かにこいつはアイリーンだが……。他には何がある?」


 俺も髙明に従って、荷台の隅まで這って行った。そこには金属製の箱があり、アイリーンの他にカービンライフルが二丁、二十二口径が二丁、挙句エレナのノートパソコンまで入っていた。


「どういう意味だ?」


 俺が誰にともなく尋ねると、壁に背中を預けた状態で葉月が答えた。


「ドクも物足りないんじゃないか? 飛び道具が全くないともなると」

「つまり、俺や和也は剣矢を援護できるってことか?」

「そうとも。きっと対等な、互いに慣れた戦術での手合わせをご所望らしいな」


 心強さと同時に悔しさが湧き上がって来て、俺は唇を噛み締めた。

 さっきのドクに比べ、俺のなんとひ弱なことか。拳銃が手元にあっても、大した違いはないだろう。俺が訓練をしなければ、だが。

 また同時に、新たな疑問が浮かび上がってきた。


「この車はどこへ向かってるんだ? 安全地帯ならいいんだが……」

「そうでなければおかしいぞ、剣矢。ドクが最初から私たちを殺すつもりなら、とっくにやっている」

「ふむ……」


 俺は拳銃の状態を確認しながら唸った。部品の一つ一つが、新品のように照り輝いている。

 今はとにかく、トラックの荷台に揺られているぐらいのことしかできない。

 どこへ連れていかれるのか、不安の軽減には繋がらなかったが。


         ※


「よし、降りろ」


 後部ハッチが開放されて、俺たちは夕闇の広がる住宅街へと降り立った。

 火器の入った箱は、俺と髙明で取り出すことにする。


 そこで目に入ったのは、一種の洋館だった。蔦が絡みつき、庭は荒れ果て、照明がどこにも点いていない。


「ここはどこだ?」

「私のセーフハウスだ」


 そう答えたのは葉月だ。葉月は貧困ゆえに両親に捨てられたというに、こんな豪奢な建物を所有していたのか。

 疑問が顔に出たのだろう、葉月は説明を始めた。

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