第23話【第五章】

【第五章】


 その日の午後四時。

 俺は極々久しぶりに、ぼんやりとした時間を過ごしていた。実に穏やかな時間だ。


 俺は自分の親父を仕留め、お袋の仇を討った。

 これ以上に戦う意味はあるのだろうか?


 俺の自問自答は、意外なほど呆気なく結論が出た。答えはYESだ。


 俺の場合とは違っても、葉月、髙明、和也、そしてエレナのように、悲惨な生活を送らざるを得ない子供、若者はまだまだいる。

 それに、親父だって飽くまでも末端の人間だったかもしれない。だったらもっと大元を叩かなければ。


「よし!」


 一人しかいないダイニングで頬を叩いていると、部屋の天井隅に配されたスピーカーから声がした。


《あー、あー、マイクテスト。聞こえない人は挙手してくれ》


 あまりにも使い古されたネタで俺の思索に割り込んできた声。ドクだ。

 まあ、俺が次にやるべきことは決まったし、何も困りはしないのだが。


《突然ですまない、今日午後五時に、グラウンドに出てきてほしい。エレナもな。ただし葉月くんは無理しないでくれ。以上》


 ん? 何事だろう。今日の昼食後もドクはこの場にいたし、何かを告げるならその時だってよかったはずだ。

 しかも集合場所がグラウンドとは……。ますますわけが分からない。


 まあ、昼食直後よりは身体も動かしやすいし、構わないか。

 俺は了解の意思表示のため、スピーカーに付属した小型カメラに向かって頷いた。


 きっと動きやすい服装の方がいいのだろうな。

 俺は部屋に戻り、ジャージに着替えた。


 しばらくまた時間を潰してから部屋を出ると、廊下に人影があった。葉月と和也だ。


「葉月、大丈夫?」

「ええ、身体に麻痺が残ったわけじゃないから」

「そっか。それはよかった」


 葉月に肩を貸しながら、和也が安堵する。


「おっと剣矢! いいところにいてくれた!」

「ん?」

「反対側から葉月を支えてあげてくれないか? 僕一人ではまだバランスが……」

「了解だ」


 俺は葉月の腕を肩に組ませ、歩み出した。

 葉月の歩調はしっかりしている。とても昨日今日で致命傷を負った人間とは思えない。


 だがそれ以上に意外だったのは、和也が葉月を助けるために、俺に手伝いを頼んできたということだ。

 和也から見れば、俺は厄介者でしかなかった。自分の葉月に対する恋路を邪魔する、石ころみたいなものだったはずだ。


 そんな風に思っていたであろう和也が、今は俺に援護要請をしている。そのことが、なんともこそばゆいというか、心がくすぐられるというか……。取り敢えず、悪い気はしなかった。


 途中で髙明とエレナに出会い、俺たちは五人そろってエレベーターに乗り込んだ。


「まったく、ドクは何がしてえんだろうな」


 ドアの向こうを睨むようにしながら、髙明が問いを投げた。

 答える者はいなかったが、それが皆の、分からない、という答えを代弁していた。


 俺も葉月とは反対側の手を顎にやってみたが、やはりドクの目的は謎のままだ。

 地下施設内では話せないような内容なのか?

 それほど切羽詰まっているのか?

 自分に、俺たちに危険が迫っているのか?


 リン、と涼やかな音を立てて、エレベーターは地上に出た。


         ※


「おお、皆来てくれたね」


 ドクはいつもの袈裟を纏い、俺たちを笑顔で出迎えた。

 何だ? 予想していた緊迫感がないぞ。


「葉月くん、怪我の具合はどうかね?」

「大丈夫です。まだ走ったり筋トレしたりはできませんが。ドク、あなたのお陰で命拾いしました。感謝します」

「まあまあ、そうかしこまらないでくれよ。顔を合わせる度にそう言われ続けていたら、私の方こそ肩が凝ってしまう」


 悪戯っぽい笑みを浮かべるドク。いつもと何も変わらないな。

 西日が差す中の、穏やかな一コマ。

 だが、いやだからこそ、次の一言は衝撃的だった。


「皆、南米に行くぞ」


 一斉に黙り込む俺たち。蝉の声だけがあたりの空気を震わせている。


「ああ、あまりにも単刀直入過ぎたな。失敬。個人的な話だが、私はここ、日本以外にも専用のラボを所有していてね。そろそろ場所を移そうとしていたんだ。是非君たちにも、同行願いたい」

「ちょ、ちょっと待ってくれ、ドク」


 やはり最初に声を上げたのは髙明だった。


「ドクがいなくなったら、ここの設備はどうするんだ? 怪しまれないように徴収に応じていた電気代や水道代は?」

「だから、このラボはしばらく無人になるんだ。スパコンの冷却システムは活かしておくから、問題はないだろう」

「しかしドク、どうして私たちを南米に? ドクが何を研究なさっているかは図りかねますが――」


 ここで、葉月の言葉は中断される。


「私の意図など、知らない方がいい。が、質問を丸投げするのも私の性には合わないな。正直に言おう。君たちには、実験台になってもらう」

「じっ……!?」


 息を詰まらせる和也。目を見開くエレナ。


「私は南米のとある紛争地域の政府から、多額の資金援助を受けていてね。確かめてほしいと言われたんだ」

「確かめるって、何を?」


 俺に向かってにこり、とほほ笑んでから、ドクはこう言った。


「人体改造した兵士と機械を纏った兵士、どちらが強靭で即戦力たり得るのか。それを確かめてくれとね」


 驚くほど筋の通った話だった。

 ダリ・マドゥーが南米出身で、俺と同じ人体改造を受けていたこと。

 錐山尚矢がパワードスーツで、俺たちに挑んできたこと。


 今のところ、俺たちはその両者の駆逐に成功している。だが、それはチームワークあってのことだ。

 だからなのか。五人全員を南米に連れて行こうというのは。


「しかし今、私は大問題に直面している」

「大問題?」


 訊き返した髙明に向かい、ドクは腕を組んで首肯した。


「今ここにいるのは、ダリ・マドゥー、あるいは錐山尚矢のはずだった。どちらか片方が強いということが分かればそれでよかった。しかし、実際勝ち残ったのは、モルモット役の君ら五人……。どうしたものやら」

「んだとこの野郎!」


 珍しく激昂した和也が、腕を振りかぶりながらドクに駆け寄った。が、ドクはゆっくりと身を逸らし、足を引っかけて和也を転ばせた。その間、ドクは和也の方を一瞥もしていない。


「人体改造については私が、機械を纏った戦闘員としては尚矢博士が、それぞれ担当することになった。もちろん、人体改造の実験台となる剣矢くん本人には知らせていなかったがね」

「なあドク、分からねえ」


 やや緊張を帯びた声音で、髙明は尋ねた。


「連れていくなら剣矢だけでいいんじゃねえのか? パワードスーツには勝ったんだから。どうして俺たち全員を連れて行こうとする?」

「もう察しているだろう? チームワークさ。それを研究するのも、我々の目的の一つになった」


 ドクが顎をしゃくってみせる。そこには、和也を助け起こそうとしているエレナがいた。

 確かにチームワークというのは、俺たちとは切っても切れないキーワードだ。


「交互に援護し合う心理学的側面から、君たちを研究させてもらいたい。戦場における社会性の発展の観察という意味合いもある」


 俺は必死に頭を回転させた。

 実際は、怒りで爆発しそうだ。だが、こういう時に冷静でいられなければ、戦場でどうなるか分からない。


 一歩踏み出し、ドクに声をかける。


「俺たちは研究対象でも実験台でもない」

「そう。最初は皆そう言うさ。しかし、今不平不満を訴える被験者はほんの僅かだ。軟禁されるわけでも、危険な現場で働かされるわけでもない。治安がどん底まで落ちたこの国でせっせと働く方が、よほどリスキーだと私は思うがね」

「ああそうかい」


 突然横合いから割り込んできた声に、俺は素早く反応した。上半身をのけ反らせるようにして、突っ込んできた何か、否、誰かを回避する。


 その何者かは、大きく腕を振り絞ってドクを殴り飛ばそうとしていた。


「珍しいな、髙明くん。君が冷静さを失うとは」


 そう言いながら、ドクは髙明の右の拳を、左手だけで押さえ込んでいる。


「お生憎様、俺も人間なんでな……。そんな人を機械のように扱う連中のために、俺は生まれてきたわけじゃない」

「最初はそうだったかもしれない。だが、人間は社会性を捨ててまで生きることはできない。自分の役割を自覚し、その時々に合わせて行動していくべきなんだ」

「ご高説ありがと――よっ!」


 髙明はドクの左腕に自分の左手を添え、思いっきり捻じろうとした。が、ドクは自ら同じ方向にバク転した。


「うおっ!?」


 今度は髙明が振り回される番となり、したたかに地面に叩きつけられた。


「まだだ!」


 突進を試みる髙明。ドクはちょうど、俺に背中を見せている。

 いささか卑怯だが、いまならやれるかもしれない。

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