22. 道理が引っ込めば無理が通る

 /──


『きゃ、きゃあああああああッ!』

『お姉ちゃん! お姉ちゃんッ!』


 綾香の部屋でクローゼットを開けた時、あれほど叫んで呆然したことはありませんでした。くくりつけたタオルで首を吊った綾香の姿は……今でも嫌でも目に焼き付いてます。


 すぐに警察に連絡しようとしたんですが……その前に静香に胸ぐらを掴まれてキレられたんです。


『お前のせいだッ! お前が勝手にケイ君に会って告白されたせいで、お姉ちゃんが自殺しちゃったんだッ! お前が、お前があああぁッ!』

『そ、そんな……』

『返せッ‼ お姉ちゃんを返せッ! 返せっ!返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せえッ!』


 錯乱した静香は明らかに異常で、私は何度も壁に叩きつけられました。

 その怒鳴り声とあまりの恐ろしさに私はただ泣いて許しを乞うように謝罪することしかできなかったんです。


『ご、ごめんなさい……』

『謝らなくていいからお姉ちゃんを今すぐ生き返らせてよッ! 今すぐッ!』

『うう……無理ですぅ……』

『ふざけんな! いいから早く……そうだ。できるじゃん。黒子ちゃんならお姉ちゃんになれるじゃん』

『……え?』


 ぞっとしました。あれだけ取り乱していた静香が急にスッと普段の表情に戻って……口元を歪めて笑ったんです。


『うん。それで手打ちにしよう。これから私のお姉ちゃんは黒子ちゃんがやってくれれば全部許してあげる』

『ど、どういう意味……ですか?』

『そのままの意味だよ。黒子ちゃんなら変身能力でお姉ちゃんになれるじゃん? だからこれからずっと私のお姉ちゃんとして過ごしてくれるなら許すって言ってるの』


 聞いてもすぐには意味が理解できませんでした。


『そ、そんなの無理です! 自殺した綾香の代わりなんて……できるわけありません!』

『大丈夫大丈夫。お姉ちゃんが自殺したのを今知ってるのは私と黒子ちゃんだけ。つまり、黒子ちゃんがお姉ちゃんになるだけで、そこの死体はもうお姉ちゃんじゃなくなるんだよ』

『し、静香……? 何を言って……?』

『確かに黒子ちゃんが身体だけお姉ちゃんになってもそれはお姉ちゃんじゃない。そして、もちろんそこの心がない死体はもうお姉ちゃんじゃない。でもね、だけどね。私はお姉ちゃんを誰よりもよく知ってるの。私なら黒子ちゃんが変身した空っぽのお姉ちゃんに心を吹き込んで、新たな命としてお姉ちゃんを誕生させられるんだよ』


 やばいこいつ、と思いました。

 絶句せずにはいられません。静香はもう正気の沙汰じゃありませんでした。


『この死体をこっそり処分して、黒子ちゃんは堂々とお姉ちゃんになる。それだけで全部解決だよ。もちろんお姉ちゃんの交友関係や態度仕草は全部私が徹底的に教えてあげるから、すぐに完全体お姉ちゃんになれるから安心して』


 安心できる要素がなに一つありません。むしろ今が危険でした。


『そ、そんなのダメです! 綾香もそんなこと望んで……』

『お前がお姉ちゃんを語ってんじゃねえよッ!』

『ひッ!』

『これまでずっと双子としてそばに居た私がそうだって言ってるのに、付き合いの浅いお前がお姉ちゃんを語る? ナメてるの? 勝手な行動で恩を仇で返してお姉ちゃんを殺したお前がッ、お前がああぁッ! あああああぁああああああああああッツ!』

『う、ううぅ……ご、ごめんなさい……』

『黒子ちゃん? あなたの勝手な行動のせいでケイ君は寝た切りになって、元お姉ちゃんは自殺したんだよ? 責任を取る気はないのかな? 償う気がないのかな?』

『で、でも……』

『でもじゃないんだよッ! 責任を取る気があるか、償う気があるかって訊いてるの‼』

『あ、あります……』

『なら何を迷うの? 元から黒子ちゃんの人生なんてゴミみたいなもんだよね。いやはっきり言うけどゴミだよ? 家では虐待されて学校では虐められて。そんな人生に何の価値があるの? 価値がないから他の人生に憧れて自分の人生を捨てられる能力に目覚めたんだよね? じゃあ願い通り捨てなきゃ。ゴミなんだから。ここでお姉ちゃんにならないならゴミに戻るだけだよ? そんなにゴミに戻りたいの? ねえ、ねえねえねえねえッ!』

『う、ぁ……』

『あーごめん、違うよね。恩を仇で返した人殺しのあなたはゴミ以下のゴミクズだよね。そんなゴミクズとして生きる気なら私絶対に許さないから。黒子ちゃんのせいでお姉ちゃんは自殺したって言いふらして、社会的に抹殺するから。もちろん私も虐めるよ。どこへ逃げてもどんな手段を使ってでも、自殺するまで絶対に追い詰めて殺してやるから……!』

『ひ、ひぃぃ……』


 恐怖で心臓がはち切れそうでした。あれは本気の眼でした。


『あ、誤解しないでね。もちろんまだゴミクズでもお姉ちゃんでもないから、強制はしない。私は黒子ちゃんの意思を尊重するよ。でも私は黒子ちゃんを信じてるからね』


 そしてコホンとわざとらしく咳払いして、


『じゃあもう一度だけ聞くよ? 黒子ちゃんはゴミクズとお姉ちゃん。どっちになりたい?』


 ここまで酷いニッコリした笑みは初めて見ました。私はもうゴミクズのようです。


『お、お姉……ちゃんです』

『ちゃんとはっきり言って? 自分の意思なんだしさ。嘘とかその場しのぎで言われるくらいなら、ゴミクズになりたいって言ってね。別に構わないから。私は黒子ちゃんの本心を聞きたいだけだから。で、黒子ちゃんはどっちになりたいの?』


 もはや、選択権は私にありませんでした。


『わ、私は……静香のお姉ちゃんになりたいです……!』

『黒子ちゃんッ! 信じてた。私信じてたよぉ~ッ!』


 そう静香は感極まった満面の笑みで私に抱きついてきました。それはもう嬉しそうに。


 悪寒と吐き気しかしなかったですが、表情に出したらどうなるのか恐ろしくて、私も刺激しないように貼り付けた笑みを浮かべていました。


『お姉ちゃんになれて嬉しいよね黒子ちゃん?』

『う、嬉しいです』

『幸せ?』

『はい……幸せです』

『良かったぁ。じゃあニューお姉ちゃんになる決心をした記念撮影でもしよっか』

『…………え』

『ほら、早くこっちに来てよ! これから過去のお姉ちゃんをバックに記念撮影するからさ。笑って笑って!』


 もうその狂気に流されるままでした。

 写真に魂を取られるなんて古すぎる迷信だと思っていましたが、今この時だけは本当に魂を取られていくようでした。


 パシャリ、と乾いた音がした後、私はトイレで吐きました。限界だったんです。


 でも記念撮影なんて全然たいしたことがありませんでした。

 私が吐いてる間にいつの間にか綾香の死体を風呂場に移動して、物置からノコギリを取り出していたんです。


『はいこれ!』 


 風呂場でそう誕生日プレゼントを渡すように笑顔でノコギリを渡されて、流石にもう乾いた笑みすら浮かべられなくなりました。


 空の浴槽には綾香の上半身が放り込まれて、足だけ外に出ていました。服は全部脱がされていて、綾香の素足の裏が浴室の入り口の方に向いています。私は背中をぐいぐい押されて、その近くまで立たされました。


 嫌な予感が、いえ全身の悪寒から嫌でも察しました。


 持っているのがシャワーヘッドならまだ足でも洗うのかと思えますが、私が持たされたのはノコギリ。ノコギリです。ノコギリなんです。何度どこからどう見ても間違いなくノコギリなんです。


「私は死体の隠蔽方法についてネットで調べてるから、その間そこの死体を解体しといて」


 そして風呂洗っておいて、とでも頼むような軽い感覚でそう言われました。

 呆然とする私を気にも留めずに静香は続けます。


「あ、黒子ちゃんも服は脱いでね。夜遅くなりすぎる前に自分の家に帰るんだし、返り血がつくのはダメだよ。バレちゃうもん」

「む、無理です」

「なにが? まさか服脱ぐの恥ずかしいの? 大丈夫だよ。虐められた時によく脱がされてたんでしょ?」

「そ、そうじゃなくてその……」

「あ、そうだよね。解体の仕方なんてわからないか。アハハ、ごめん。うっかりしてたよ」


 理由はどうあれ思い留まってくれたことにほっとしかけましたが、


「でもまあ首を切るのは間違いないよね。じゃあとりあえず頭部と胴体を分けてくれる?」


 相手は暴走機関車でした。止まる気がありません。首を切るのはどう考えても倫理的に間違いです。なんで私はそんなことをさせられようとしてるのでしょうか……


「ゆ、許してください……む、無理です……ひ、人の首を切るなんて……!」

「大丈夫。もうそれ人じゃないから」

「え……」

「死体を灰になるまで燃やしても罪悪感なんて誰も感じないでしょ? それは死んだらもう誰も人とみなしてないからなんだよ。ちょっと早い医学部の解剖実習と変わらないよ」


 医学部に進学する気はないし、そもそも解剖実習で知人の遺体を使うわけないと叫び散らしたい気分でした。しかし、静香には私の思いも常識も通じません。


「もしかして緊張してる? それなら劇で観客をジャガイモと思い込むように、死体をただの肉だと思えばすんなり切れるんじゃないかな。あ、ノコギリじゃなくて包丁にしてみる? トントントンって案外すんなりいけるかもよ。知らないけど」

「む、無理です……ノコギリでも包丁でも……」

「無理かどうかはやってみないとわからないよ。ほらちゃんとノコギリを持って。さあっ」

「無理、無理っ! 無理いいいいいぃッ! いやあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁッ!」


 首なんて切れるわけありません。クビにしてほしかったのは私の方でした。


「許してください許してください許してください許してください許してください許してください許してください、、許してくださいッ! どうかそれ以外のことで……」


 そう必死に懇願というか命乞いをしましたが、


「じゃあ死んで」


 情に流されることもなくあっさりと、静香は真顔で死刑を宣告しました。


 涙と鼻水まみれで訴える私を本当にゴミを見る目で、生きる価値を見いだしていないように見下していました。


「お姉ちゃんになれないゴミクズに用ないから。でも自分の首を謝りながらギコギコ切り落としたらそりゃ許すしかないよね。死んでお姉ちゃんに謝りに行こうって気概と覚悟が感じられて、私も感動するし。いいよギコギコして。許してあげるから死んでよ早く。なんなら私が代わりにやってあげようか? ノコギリ貸してくれる?」

「う、うううう、うぅううううええっ、うえええええぇえぇえぇえぇん」


 もう我慢の限界でした。とっくに限界でした。泣いて許してもらえるなんて思いもしてませんでしたが、泣かずにはいられなかったんです。そしたら静香が見かねたのか呆れたように息を吐いたんです。


「加害者が悲劇のヒロイン気取りするのうざいからやめて。はいはい強要されて仕方なくやったって免罪符が欲しいんでしょ。じゃあいいよ。首が無理なら足首だけで勘弁してあげる」

「え……?」

「本当は全身をバラバラにするまでやってもらおうと思ったけど……誠意を見せたら後は私が特別にやってあげるよ。まさかそれでも嫌だなんて言わないよね? ね?」

「や、やります。やらせてください……」


 首を切ることに比べれば百倍マシでした。もう足首を切ることが地獄に垂らされた救いの糸のようにすら思えました。それに、


「次はないからね?」


 もうそうにっこり笑う静香を怒らせるような事なんて……とてもできませんでした。


 そうして風呂場の台に足が乗せられて、ノコギリを手にした私は、私は……ッ! ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁッ!

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