14. キレる少女とキレない頭

 空が綺麗だ。

 見渡す限りの青い空。清々しくなる景色なのに妙に頭がクラクラする。


 っていうか……なんで空なんて見てるんだ俺。ここはいずこ?

 また記憶喪失かよ好きだな俺も。でもとりあえず今ベンチに横たわってるのはわかる。慈薩中の敷地を囲むレンガ塀やフェンスが見えるし、場所的に学校付近か。


「しっかりして!」


 すると俺が目覚めたことに気づいたのか、綾香が心配そうな表情で俺を覗き込んでいた。なぜか周囲には慈薩中の生徒の人だかり。通行人も足を止めて注目を浴びてるのがわかる。


 なんか恥ずい。まあ吐いたとこを大勢にパシャパシャ撮られた時に比べれば全然マシか。


 綾香に無駄に心配させないためにも早いとこ起きてやりたいが、なぜか身体が金縛りにあったように動かない。起きろって脳の指令が身体の末端まで届いてないみたいだ。


「もう大丈夫よ。ほら今救急車呼んだから」


 そう綾香がスマホを見せて来る。

 そりゃありがたい。明らかに身体が不調だし、学校に行く気分じゃなかった。


 思えば過去に二回救急車で運ばれたけど、いずれも意識を失って気づいたら病院にいた。これから救急車の中がどんな風なのか見れるのと思うと、逆にわくわくして……


 ……救急車?


「ぬああああああああああああああああッ!」 

「きゃあッ!」


 なにがわくわくするじゃ死にさらせ!


 勢いよく起きた拍子に激しい眩暈がして意識がぐわんぐわん揺れたが、今はそれどころじゃない。


 黒子から電話が今日来るのに、病院で眠りこけてなんかいられるか……!


「ちょっと貸せ!」

「ちょ、ちょっと!」

「ああちょっとだ!」


 綾香から強引にスマホをひったくって、発信履歴から119に掛け直す。


「……すみません。先ほど連絡があったと思うんですけど……はい。具合が良くなりましたので救急車は大丈夫です……はい。お手数おかけして申し訳ありません。はい……」


 平身低頭で謝って電話を切る。それを見て綾香がドン引きしていた。


「きゅ、救急車ドタキャンとか何考えてるのよアンタ……」

「軽い貧血で病院に行く方が迷惑だろ。前に昼休みに倒れた時も保健室で済ませたし」

「なに言ってんのよ。今回は貧血じゃなくて脳震盪でしょうが」

「脳震盪……? いつっ!」


 ズキン、と額に痛みが走って、ようやく思い出した。

 そうだ……静香に頭を叩きつけられて削り戻りをしたのか俺は。


 でもおかしい。削り戻りの代償で頭痛がすることはあっても額が痛むことはない。そもそも静香がおかしくなる前に戻ろうとしたなら、俺はこんなベンチじゃなくてバスの席で座ってるはずだ。


 嫌な汗が額からにじみ出て来る。時間が戻るどころか進んでるのは明白だ。

 じゃあ削り戻りは失敗で……俺は何も変えられてない……!? 


「し、静香は……? まさか警察に連行されたんじゃ……」


 慌てて周囲を見渡す。

 もし強制的に窓にヘッドバンキングさせられた事実が消えてないなら、静香は暴行罪で捕まりかねん。


 ってか、俺の額をスイカ割りのように割って血で汚しまくって、問題にならない要素がない。証拠不十分どころか過十分なくらいだ。


 しかし、俺の動揺に対して綾香は呆れたようにため息を漏らしていた。


「元からそうだけど頭打ったせいで頭の回転がより悪いようね。救急車をキャンセルできる時間があるのに警察が先に来るわけないじゃない。静香ならアンタの隣で寝てるわよ」


 そう指を差した方を見ると、隣のベンチで静香が横になっていた。

 無事を確認してほっとしたけど、すぐに不安と疑問が降ってわいてくる。


「なんで静香が倒れてるんだ? もしかしてキャンセルしたのまずかったんじゃ……」

「心配ないわよ。気を失ったアンタを見て気絶しただけだから」

「え、なんで?」

「知らないわよ。殺しちゃったとでも思ったんじゃない? アンタの意識がないのに気づいて急に叫んだと思ったら、そのままふらりと倒れたのよ。まったく自分で人の頭を叩きつけておいて、ショックで気絶するなら最初からやるなって言いたいわね」


 それはごもっともで。

 割と本気で怒ってるのか、忌々しげに綾香が静香を睨んでいた。流石に荒事に手慣れた綾香でも、あんな凶行を見せられては看過できなかったらしい。


 それにしても、あんな額から大出血をしてたら普通てんやわんやの大騒ぎだろうに、思いのほか周囲の野次馬の反応は少ないな。 顔を見合わせてひそひそ呟き合う程度だし、中には俺の顔を見てもそのままスルーする生徒さえいる。


 俺が吐いた時にはあんなに派手に騒ぎやがったくせに、頭からダラダラ血を流した時はリアクション薄いってどゆこと。俺の安否の関心はゲロ以下か?


 しかも大半が俺じゃなくて静香の方向いてるし、人の血が流れてるんかこいつら……


 そう額に無意識に触れて呆気にとられた。本当に血が流れてない。


 確かに腫れてはいたが、傷口の感触がなかった。それにあんなに頭を五寸釘のように打ち付けられたにしては、意識も割とはっきりしてる。


「綾香……俺は窓ガラスに何回頭を打ったんだ?」

「え? そりゃ一回よ。流石に屋台の水風船のように頭ぶつけてたら洒落にならんでしょ」


 怪訝な顔で綾香がそう答える。まあそりゃそうだよな。

 でもおかげで周囲の反応が薄い理由がわかった。洒落にならんことになってないからだ。


 やっぱりあの意識が朦朧とした状態じゃ、削り戻りを強行しようにも過去のイメージがうまく思い浮かべられなかったんだろう。だから咄嗟に脳裏によぎった光景に飛んじまったんだ。


 そしてその場面はもちろん、静香にいきなり窓ガラスにガンされた時だ。物理的にも精神的にもあれはインパクトがあった。最初の一撃をくらった瞬間に代償も重なったらそりゃ意識も飛ぶ。それで静香の追撃をくらわなかったのか。


 ……色々と頭が痛い。削り戻りは大失敗じゃないが、痛い失敗には変わらない。俺の脳細胞へのダメージは減らせたが、結局静香がおかしくなった事実はそのままだ。


「ううん、あれ……?」


 どうやら静香も目が覚めたらしい。きょとんとした表情でベンチから身体を起こしていた。


 事が事だから一瞬緊張したが、あの狂気じみた表情じゃなく、いつもの能天気な面だったのはほっとした。その間抜け面からして体調も大丈夫そうだ。周囲の野次馬もそれを見て一大事でないと察したようで、少しずつばらけている。


 しかし状況を飲み込めてない静香を見て、綾香は不機嫌そうに舌打ちしていた。


「まったく……これ以上寝てたら窓に頭打ちつけて叩き起こしてやろうかと思ったわ」

「お前の力だと逆に永眠するぞそれ」

「何を呑気なこと言ってんのよ。私よりもアンタが怒らなきゃいけない場面でしょうが。打ち所が悪かったらアンタがそのままお陀仏だったのよ?」

「それは……そうだけど……」


 確かにおっしゃる通りだが、削り戻りで無かったことにしたとはいえ、静香の死体を滅多刺しにした罪悪感がずっと残ってたから、そこまで責める気になれなかった。俺だけここで文句を言うのはなんか卑怯な気がする。


「それで静香。なんで急に啓太を窓ガラスに叩きつけたりしたのよ」

「え、私……そんなことしたの?」

「すっとぼけんじゃないわよ。『うるさいなあッ!』って急にキレてたじゃない」

「ごめんお姉ちゃん。なんかバスでの記憶があまり思い出せなくて……私キレると記憶が飛んじゃうみたい」


 そうわけもわからず困惑したように呟く静香に思わず苦笑した。


 キレると記憶が飛ぶとかイキッた輩が俺怖いアピールする時にしか聞かないと思ってたのにリアルで実害伴った上で言われると、マジでただのやべー奴に見えるから困る。


 だけど、静香がこんな豹変して記憶が飛ぶのはもう二回目。これで確信した。


 ……やっぱり、黒子の憑依か。


 おそらく黒子は乗客の誰かに乗っ取って俺を見張ってたんだろう。

 普段からバスでの登校時間は一緒だし、憑依対象の乗客を事前に用意しておくのは別にむずかしくない。きっと放課後の約束の前に俺に探りを入れてきたんだ。


(だけど、なにが黒子の気に障ったんだ……?)


 別に黒子のことを話したわけでもないし、名前すら出していない。それなのにこんな我を忘れるレベルで頭を叩きつけられた理由がわからない。


 俺がバスでした話なんてせいぜいバラバラ事件と誕生会の劇の話くらいしか……


『ま、まだサプライズで大丈夫‼ 今回はエキストラも参加してるし』


「あ……」


 そうだ。昔静香はあの劇にエキストラが参加すると言っていた。

 まさかそのエキストラって黒子のことだったんじゃ……


「どうしたのケイ君?」


 しまった。考え込みすぎた。怪しまれてる。

 昔の劇に黒子が関わってたか尋ねたいが、これ以上の詮索行為はまずい。もう頭を叩きつけられるのは嫌だし、変に追求される前にこの話を終わらせないと……。


「あ、いや、俺も頭打って寝たきりになってから記憶飛んでるし、双子でもないのに似たもの同士だなって。ははは……」


「「………………」」


「はは……」


 やらかした。どうやったらそこで口を滑らせられるんだ。

 過去最悪に空気が冷えて、二人の顔が完全に引きつっている。


 もう痛いほど過去の話題がタブーだって思い知らされたのに、吐きすぎてついに余計な言葉まで吐くようになったのか。


 頭は打つわ下手は打つわなんなんだお前は。頼むから今すぐ死んでくれ……

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