15. 的外れの謝罪

 結局あの後はずっと気まずい空気が続いて、本当に地獄のような時間だった。自虐ネタで本当に自分を虐めるのはもはやただのアホだ。


 今からでも削り戻りに再トライして無かったことにしようかと思ったが、結局やめた。


 ただでさえ削り戻りの代償でぐったりしてるし、気を抜けばキツツキのようにガンガン頭を叩きつけられた場面がすぐにフラッシュバックするのだ。


 静香が憑依される前の時間に飛ぼうとしたところで、またあの叩きつけられた場面に引っ張られるのがオチ。

 仮に成功してもその代償で寝過ごして今日の黒子との約束を破ったら本末転倒だ。ハイリスクローリターン。分が悪いギャンブルは流石にしない。


「まーた具合悪いのかい。毎度毎度よくそんなに体調を崩せるね」

「……俺だって自分に呆れてる」


 昼休み。教室でダウンしてる俺の様子に見かねたのか、 義弘が呆れ顔で話しかけて来た。


 双子に気を取られてすっかり忘れてたが、昨日の削り戻りのおかげで義弘に憑依される気配がないのは唯一の吉報かもしれない。


「そんな具合悪いなら机にうつ伏せになるんじゃなくて、保険室行けばいいのに」

「ベッドで寝てる時に吐いてシーツ汚したら最悪だろ。いつでもエチケット袋を素早く取り出せる態勢でいたいんだよ」

「そんな早打ちガンマンみたいに……でもそんな体調悪い割には休み時間に毎回教室を出て行ってるよね。どこ行ってるのさ」

「トイレだよ。休み時間の度に吐いてるんだ」


 そう言うと義弘がドン引きして露骨に俺の机から距離を取った。まだ吐いてないぞ。


「うげえ、早撃ちどころかマシンガンみたいに吐いてるじゃん。もしかしてゲロキャラとして定着狙ってる?」

「狙ってるわけねえだろ。あんまふざけたこと言ってるとエチケット袋の代わりにお前の机の中で吐くぞ」  

「ヒイイイイイイィ!」


 迫真の叫びを披露する義弘を適当にあしらって廊下に出る。

 もちろん流石に休み時間の度にトイレで吐いてなんかない。そんなタイマーのように都合よく時間で吐けるわけないし、そもそも今日はもうそんな吐くだけの胃の内容量はない。


 休み時間の度に教室を出てたのは、単に双子が乗っ取られて屋上で殺されてないか確認するためだ。まだ前回のように約束を破ったから殺すと脅迫されたわけじゃないから大丈夫だとは思うけど念には念を。確認しない理由がない。


 西階段を上がって屋上の扉を開ける。


「良かった……死んでない」


 幸い屋上には誰もいなかった。もしまた綾香が静香を滅多刺しにしてたら、絶対に立ち直れなかった。目の前に広がる鼠色のタイルがもはや愛らしく感じる。


 昼休みの終了までまだ時間はある。とにかく俺が今するべきは黒子の怒りを買わないように、いや怒りを静めること。そのためには……


「……謝ろう」


 屋上にいなくても黒子がどこかから見ている可能性はある。前は断念したが、反省と謝罪の意思を見せれば黒子の気が変わって許してくれるかもしれない。


 そうと決まればさっそく俺は土下座の体勢を取った。


「この度は私の不手際で多大なるご迷惑をおかけしたことを心よりお詫び申し上げます。誠に申し訳ございませんでした……!」


 畏まった丁寧な謝罪。ただごめんなさいと六文字で済ませるより謝意が伝わる誠実な対応。きっとこれなら黒子も許さざるを得ないと思った瞬間、


  背後から扉が開く音がした。


「……マジかよ」


 愕然とした。


 正直ただの気休めだったんだが、まさかこんなんで黒子が本当に来たのか……?


 ゆっくりと足音がこっちに近づいて来る。 この無防備な背中を晒した状態なら、ナイフで軽く一突きで仕留められるだろう。


 身体の震えが止まらなくなって来た。こんな屋上で土下座なんかしてる生徒がいたら、普通は気味悪くて屋上に踏み込んだりはしない。もう相手が黒子なのはほぼ確実だ。


 馬鹿か俺は。考えてみれば漠然と謝るだけじゃ逆にふざけてるのかと思われてもおかしくねえじゃねえか。


 そう目の前が真っ暗になりかけた時、パシャリとした音とともに目の前が真っ白に光った。


「……え?」

「こんなところで何やってるんスか?」


 聞き覚えのない高い声。振り返ると、そこには知らない女子生徒が不思議そうに首を傾げてスマホを片手に立っていた。


「……どちら様?」


 不審がる俺に茶髪のポニーテールの少女はあざとく顎に人差し指を押し付ける。 

 

「私っスか? 新聞部一年の森嶋希来里っス。ネタがあらば即推参。どんな地味な話題でも脚色で華やかに。盛りつけ上手の希来里さんとは私のことっス。よろです蛙屋先輩!」

「お、おお……」


 ハキハキした声と独特な勢いでまくし立てられて、思わず気圧された。

 静香と同じ部活動の子か。そういや小学校で静香たちの教室を訪れた時に、一緒にいる所を見たことある気がする。


 名前に違わず目の輝きからして明るいというか……陽気だ。同時にズケズケと土足で玄関先に踏み込んで来そうな厄介な印象もある。ってか脚色で盛りつけ上手って単なる捏造じゃないのかそれ。


「なんで屋上に……」

「それはこっちの台詞っスよ。こっそり屋上に向かう上級生がいたら誰でも気になりますし、新聞部の部員なら当然調べるっス」


 どうやら屋上に向かう階段を上っている時に見られていたらしい。

 クソッ、気をつけてたつもりだったけど、やっぱり今日は休み時間の度に屋上に出入りしていたからリスクは高かったか。


「よく俺の名前知ってたな」

「蛙屋先輩は有名人っスからそりゃ知ってますよ。あの頭にジャージ被って連行されてる所面白すぎますし。チックタックやユートゥーブでも再生数半端ないッスよ」

「え……」


 校内どころじゃなくて全国的に広まってねそれ……


「私も口にしないっスけど心の中で『ゲロ先輩』とか『ゲゲゲの酸太郎』と呼んでたっス」

「口に出してるじゃねえか!」

「てへッ!」

「可愛くねえよぶりっ子」

「はい誹謗中傷っス。一年生の容姿を侮辱! 吐いたあのゲロ先輩の口はやはり汚かった! って見出しで明日の新聞に載りますから覚悟の準備をしておいてくださいっス」

「お前の方がよっぽど中傷だ……」


 しかも第三者に拡散しようとしてるだけよっぽどタチが悪い。しかもゲロ先輩呼びになってるし。


 目眩がしてきた。いやきつい。状況からキャラまで何もかもきつい。ただでさえ体調悪くて色々疲れてるのに、とどめとばかりにこのハイテンションを持って来るのはほんと勘弁して。早いところお帰りいただきたい。


「それでゲロ先輩はどうして土下座してたんスか?」


 その嬉々とした表情からして森嶋は追及する気満々らしい。まあこんな人気の無い屋上で土下座なんて奇行見たら誰でもツッコミたくなるか。

 でも黒子の名前を出すわけにもいかんし、どうにか正当化せねば。


「……土下座なんてしてない。宗教上の理由で決まった時間にお祈りしてただけだ」

「拡散しますけど本当にその言い訳でいいんスか? 下手したら侮辱と取られて国際問題になるッスけど」

「……すみません。嘘です。特定の教徒でもなんでもないのでマジでやめてください……」

「まったくしょうもない嘘つかないでくださいッスよ。ほらこの画像が目に入らぬか!」


 そう印籠を突きつけるがごとく、森嶋がスマホをかざしてくる。やっぱりさっき写真を撮られてたらしい。その画面にはまさしくははあ、とひざまずくような俺の土下座姿が映っていた。


「ほらほら。白状しないと『屋上で胃酸発射!』ってタイトルで拡散しますっスよ?」


 意気揚々と語る森嶋にうんざりする。どんだけ脅されるんだ俺は。


「もう勝手にしてくれ……好きに記事にしろよ。ご想像にお任せします」

「まあ先輩がさっき誰に謝ってたのかは多分当てられるッスけどね」

「え?」


 まるで目星がついているような口ぶりに聞き返そうとする前に、


「半崎黒子」

「な……」


 核心を突かれて頭の中が真っ白になった。なんで、ここでその名前が……


 俺の返答に詰まってる様子を見て満足したのか、森嶋は確信めいた笑みを浮かべていた。


「やっぱり当たりのようッスね。一時期ゲロ先輩が半崎黒子を虐めてたって噂があったからもしやと思ったんスよ。今の反応で確信したっス」


 最悪だ。自分からボロ出してどうする。


 それで調子に乗ったのか、森嶋はぐいぐいと身を乗り出して俺に詰め寄ってきた。


「実は前から半崎黒子の件を個人的に調べてて、機会があれば話を伺おうと思ってたんスよね。だからちょっといくつか質問してもいいッスか?」

「……嫌っス」

「明日にも『半崎黒子に謝罪? 例のゲロ男屋上で土下座!』という記事が全世界に……」

「またそれかよ……」


 だけど、今度はまずい。さっきは黒子の名前が出てなかったから突っぱねようとしたが、これじゃあ無理だ。どう考えても全世界に拡散されたら黒子の怒りを買う。


 畜生、なんでこんなことに。黒子と接触を避けようとしたら接触を図られて、詮索を避ければ詮索されるとかあんまりだ。誰か助けてくれ。


「……わかったよ。答えればいいんだろ」


 結局諦めた。変に疑われて陰謀論を流されてもあれだ。もうこうなったら答えられるところだけ答えて、誤魔化せるところは誤魔化して満足してもらうしかない。


「じゃあ平和的に同意を得られたところで早速質問ッスけど」

「どこが平和的だ」

「半崎黒子を虐めてた噂は事実ッスか?」


 いきなり平和とは程遠い質問だ。


「悪いけど俺は事故で記憶が抜けてるから、やってないと思うけど根拠がない」

「ならさっきの土下座は? 覚えてないのに謝る必要ないッスよね」


 おのれさっきから痛いところを。


「火のないところに煙は立たないっていうだろ? もしかしたら本当に俺がやったんじゃ……って不安になったんだ。だから、念のための土下座だ」

「念のための土下座……? まあ人前で盛大に吐いたゲロ先輩が言うなら……そんな変なことしてもおかしくないスかね」

「あ、ああ……俺は変なんだ……」


 なんだろう。納得されたのに……すごく哀しい……

 落ち込む俺を気にすることもなく森嶋は続けた。


「なら次ッス。昔先輩は階段で突き落とされましたけど、その相手を覚えてるっスか?」

「覚えてない」


 それは即座に否定した。黒子に憑依されて双子のどちらかに突き落とされたなんて言えるわけもないし、変に答えて拡散されても困る。


「……ってかなんで突き落とされたって断定してるんだ? 階段から足を踏み外したことになってるって聞いたんだが」

「それはもう裏が取れてるんで。先輩が転落する場面を誰も目撃してない時点で、断定するのはありえない話っス。それに転落した先輩の第一発見者は綾香ちゃんでしたから」


 思わず息を呑んだ。第一発見者が綾香なのは初耳だ。


「な、なんで綾香だと突き落とされたって思うんだよ」

「そりゃそれから体調を明らかに崩して学校を休むレベルになったら、先輩を突き落としたのは綾香ちゃんじゃないかって疑うのは当然ッスよ。まあその後に半崎黒子が突き落としたって噂が出て有耶無耶になりましたけど」

「でもその時綾香だけじゃなくて静香も体調崩してたんだろ? なら単に俺が心配だっただけじゃ……」

「ああ。確かに静香ちゃんも落ち込んでましたが、それほどじゃないッスよ。むしろ先輩より不安定な綾香ちゃんの方を心配してましたしね。休む時は二人同時でしたし、静香ちゃんは仮病使って家で綾香ちゃんの看病してたんじゃないっスか」


 反論しようとしたが言葉が出なかった。

 確かに昔俺の告白を『ごめん、お姉ちゃんの方がはるかに好きだから……』とバッサリ切り捨てた静香なら、俺よりも綾香を心配するのは自然だ。悲しいけど。


 それに二人の母親は四年生の時に亡くなっている。父親が商社の営業マンで家を出張でよく留守にしてた話はよく聞いたし、仮病を使いやすい環境だったのは否めない。


 でも……綾香が突き落としたのは黒子の憑依が原因で、本人の意思じゃないはずだ。

 そう思っていたのに、森嶋が奇妙なことを言い出した。


「まあ噂通り半崎黒子が突き落とした可能性も疑ったスけど、アリバイがあったんスよね」

「アリバイ?」

「先輩が突き落とされた清掃の時間。半崎黒子はクラスメイトと科学準備室で清掃をしてたんスよ。ずっと一緒にいたそうなんで犯行は無理っス」

「ま、マジで……?」


 それは予想してなかった。

 憑依の最中でも黒子の身体に意識が残ってる……とはちょっと考え辛い。これまで憑依中に黒子は姿を現さなかったし、そもそも別の誰かの人生と代わりたいって願いから元の身体に自我が残る能力が生まれるのは不自然な気がする。


 でも……ここに来てまた双子のどちらかが突き落としたなんて……


「だから半崎黒子が突き落としたのを、綾香ちゃんがかばって第一発見者を名乗った説もこれで消えました」

「……? なんで綾香が黒子をかばうんだよ」 

「そりゃ仲が良かったからっスよ」


 ガツン、と脳裏に衝撃が走った。

 

「え……ま、マジで……? 綾香が?」

「クラスは違いましたけど、静香ちゃんと一緒に三人でよくいたッスよ」


 理解が追いつかない。

 いやでも俺の誕生会の劇に参加する予定だったなら、双子と黒子が友好的な関係でいる方が自然なのか。脅されてるなら静香があんなウキウキにエキストラがいるなんて言うわけないし。


 え、けど……え?

 

「で、でも俺はそんな話聞いたことないぞ?」

「それは私も知らないッスけど……仲良くなったのは先輩が昏睡する一ヶ月近く前の話らしいッス。噂ではその頃の半崎黒子は先輩の顔を見るなり露骨に避けてたんスよ」


 ……義弘からも聞いたなそれ。


「当時は誰も気にも留めてなかったっスが、半崎黒子が自殺した時に取り上げられて、避けてたのは先輩が虐めてたんじゃないかって噂に繋げられたんス。でも先輩の虐めのせいって線も実は薄いんスよね」

「え?」

「クラスぐるみで隠蔽してたから聞き出すのに苦労したんスが、元から半崎黒子はクラスメイトに虐められてたんスよ。それを綾香ちゃんが主犯の連中を脅すことで解決したみたいッス」

「マ、マジで?」

「まああの人手が早いから一発殴って二度と手を出さないよう誓わせたんじゃないッスか」

「いや脅しの手段じゃなくて……綾香が半崎黒子を助けたのか?」


 憑依された時にあんな怯えていたのに?


「経緯は知らないッスが……突然嵐のように虐めに介入して、半崎黒子と仲良くなったみたいッス。その虐めに先輩が関与した話はまったく聞かなかったんで無実っぽいんスよ」

「でも……俺は半崎黒子に避けられてたんだろ?」

「それが不思議なんスよね。さっき土下座してたんで半崎黒子を実はどうにかこっそり虐めてたと思ったんスけど、違うようでしたし。まあ理由をあえてあげるなら、実は先輩のことが好きで会うのが恥ずかったとか……」

「え?」

「生理的に受けつけなくて避けたとか、そんな所ッスかねー」


 前者と後者でかなり差があるな……


 だけど気付いた。仲良くなったのが事故の一ヶ月近く前なら、時期的に冬休み前だ。

 劇の話が急に出たのも冬休み前。時期が一致してるなら、やっぱり劇に黒子が一緒に出る予定だった可能性は高い。


「半崎黒子が俺の誕生会の劇にエキストラで出るとか、そういう噂は聞いたことあるか?」


 そう訊くと、森嶋はきょとんとした顔を浮かべた。


「……? 聞いたことがないッスね。そもそもそんな劇やる話も初めて聞いたッス」

「え、自信満々に静香が言ってたから、けっこうクラスで人集めてるんだと思ってたんだけど違うのか?」

「その規模なら流石に私の耳に入るッスよ。……本当にそんな劇の予定ありました? 誕生日を祝われたい先輩の悲しい妄想じゃないッスよね?」


 辛辣すぎる。だけど静香も反応してた以上、劇の予定があったのは間違いない。

 なら実はもっと少人数の劇だったとか……


「あ……」


 まさか静香の奴、脇役のことをエキストラって言ってたんじゃ……

 もし劇を三人でやるつもりだったなら森嶋の耳に入ってないのも頷けるし、静香がサプライズに過剰な自信があったのも納得できる。 黒子の悲願者の能力を組み込んだ劇なら、俺を驚かす要素としてはそりゃ十分だ。


 でもそれは……世間に公表してない能力を共有するほど、あの二人と黒子の仲が良かったことになるわけで……


 ますます頭が混乱してきた。綾香と静香と仲が良くて、しかも助けてもらった恩があるとか、まるで俺のような立場じゃないか。


 それがどうして……憑依して殺すことになるんだよ。

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