13. 現実逃避

 小六のいつぞやの教室。静香が俺の席で意気揚々と話しかけて来た。


「ケイ君の誕生日って三月だよね?」

「そうだけど……なんだよ急に」

「いや冬休み明けたら、三月でケイ君小学校卒業じゃん? だから卒業記念としてついでに一緒に誕生日を祝ってあげようかなって思って」

「ついでって……別に誕生日は毎年来るんだから毎年祝ってくれてもいいんだぜ?」

「嫌だよ面倒くさい」


 そんな義務的にやるならやらんでいいのだが。


「ケイ君だって私たちの誕生日を祝ってくれたことないじゃん」

「そりゃ誕生日知らんし……家族以外と誕生日を祝う概念がなかった」


 そもそも親戚の家に引っ越してから気を使わせないように誕生日を祝ってほしいとか、口にしたことなかったからな。


「まあとにかく祝ってあげるよ。しかもとんでもないサプライズを用意してるから、きっとケイ君は驚きのあまり開いた口が塞がらなくて顎外したまま滑稽に死んじゃうよ」


 お前は俺の誕生日を命日したいのか。


「どうせ双子特有の実は二人は入れ替わってましたーとかそんなもんだろ? ってか綾香と静香の入れ替わりなんて、何回もやられたことあるからそこまで新鮮な驚きはないし」


 しかも静香の綾香のフリはそんなうまくない。例えば綾香を小馬鹿にすれば「お姉ちゃんを馬鹿にするな!」って怒るからすぐわかる……んだが、問題は綾香の方だ。


 あいつはかなり芸達者で、綾香のフリが下手な静香な真似とか平然とやる。言動から静香だと見抜いたつもりで綾香を小馬鹿にしまくってたら、実は本人でボコボコにされたのは今でもトラウマだ。


 だが、もう入れ替わってても「あ、そー」とつまらないリアクションで済ませるようになったからか、ここしばらくやられた覚えはない。今さら入れ替わられてたって、驚くどころかだからなんだとしかならんだろう。


 しかしよっぽど自信あるのか静香は笑みを浮かべて、指をチッチッチと振っていた。


「フッフッフ。まあ確かにお姉ちゃんは寸劇に登場するけど、そんな低次元なレベルのチャチなサプライズじゃないから。ハイクオリティで超感動作品に仕上がる予定だから!」

「とりあえず綾香協力の寸劇ってわかったけど、まだサプライズで大丈夫か?」

「……」


 マジかよこいつ。

 そんな汗をダラダラ垂らして沈黙してるの見るに、本当に口を滑らせただけか。劇でも滑るだろそんなんじゃ。


「ま、まだサプライズで大丈夫! 今回はエキストラも参加してるし、全米が泣いた号泣劇になる予定だから、期待値MAXで大丈夫!」 

「なんでそんなハードルを上げたがるんだ……新作の人気ゲームソフトより期待するレベルでいいのか? 酷かったらSNSにその期待値を煽りまくった状態で晒しあげるぞ?」


 社会的に破滅させるレベルで脅せば少しはそのビックマウスも収まるかと思ったが、風車に突っ込むドン・キホーテのごとく静香は怯まない。


「もちろん構わないって。見たら本当に絶対感動するよ! もし感動しなかったら木の下に埋めてもらっても構わないよ!」

「ならよく掘れるシャベルを用意しておこうかしらね」


 ピシリ、と静香の身体が石のように固まる。俺もビビった。いつの間にか静香の背後に綾香が忍び寄っていた。


「お、お姉ちゃん」


 静香の身体がバイブレーションのように震え出す。綾香もわなわなと震えていた。全米が泣いた予定の号泣劇のリーク現場に立ち会って、相当綾香もご立腹らしい。


「まったくペラペラと……それで静香? いったいどこまで喋ったのかしら? 場合によってはこいつの誕生会が中止になるわよ」


 え、なに? 俺の誕生会の優先度って出し物以下なの?


「べ、別にお姉ちゃんがシナリオ考えた劇やるとか言ってないから大丈ブッ!」

「もう黙りなさい」

「ひでえ……」


 静香の身体が床に沈む。相変わらず手が早すぎる。実の妹相手でも腹を平気で殴れるのはこいつぐらいだろう。他にいてほしくない。


 綾香はまだ怒りが収まらないのか、顔を赤くして俺に指を差した。

     

「か、勘違いしないでよね? 別にアンタのために私が考えた渾身の劇を披露してやろうとか、全然そんなこと考えてないんだから!」

「まあそりゃな。たかが誕生会にそんな力入れるはずないし。演劇団でもない小学生の劇で全米が泣いたとか片腹痛いわな。せいぜいあくびで涙流すのがいいとこだ」

「ナメんじゃないわよ!」

「グハッ!」


 なぜか俺の腹にまで勢いよく綾香の拳が決まった。


「な、なんでグーで殴る。お前の拳は凶器なんだぞ。わかってんのか」

「やる前から人の劇を馬鹿にしてるからよ。殴らなきゃわからないこともあるわ」


 お前が劇に力入れてないって言ったんだろうが。殴るってわかってたら見る前からスタンディングオベーションして絶賛してやるわ。


「見てなさい。アンタは伝説を見ることになるから」

「まあ既にケイ君は痛い目を見ているけどね。フフッ」

「やかましいわ……」


 どうやらこの双子は月までハードルを持っていくつもりらしい。

「プレゼントは私のグーパンよぉ!」とかそういうサプライズでなきゃ、もうなんでもいいと俺は思うのだった……


                    ●


「……寸劇、か」


 翌朝。自分の部屋のベッドで俺は目を覚ました。

 身体が重く頭痛が酷い。二日酔いもこんな辛い感じなら俺は一生酒を飲まない。


 削り戻りの負担が残ってるのもきついが、精神的にも参ってる。昨日は威勢よく黒子に対してキレてたのに、今じゃ出る杭が打たれるようにその気概も引っ込んでしまった。 


 当たり前だ。黒子の凶行の原因が俺の虐めかもしれないなんて、考えたくもない。しかも、今日その相手から電話が来るとか憂鬱に決まってる。


「……だけど、本当に最近よく昔のことを思い出すな」


 さっき頭に思い浮かんだのは、おそらく小六の冬休み前の事だろう。

 っていうか誕生会なんて開かれた覚えがないし間違いない。


 きっと寝たきりになったせいで有耶無耶になって中止になったんだ。もしかすると義弘が穴を掘った時に使ったシャベルは、この時に綾香が用意してたのかもしれない。


 まだ一年半前の事なのにずいぶんと懐かしく感じる。確かに黒子の件で心が折れてたけど、そんな昔の馬鹿馬鹿しい記憶に縋りつくほど、俺は追い詰められてたんだろうか。


「あれ……」


 いつのまにか涙が流れていた。まだ全米が泣いた号泣劇は見てないのに。




 

「すっかり立場が逆転したね」

「ほっとけ……」


 ぐったりしながらいつものようにバスに乗り込むと、最後尾の席で静香が呆れた様子で俺の顔を覗き込んで来た。


 そんな余裕ぶれるのを見るに酔い止めの薬ですっかりバス酔いを克服したらしい。俺は適当に返事をして二人の間に座った。


 正直もう空元気を見せる気力もない。ただでさえ放課後に待ってる黒子の電話に精神をすり減らしているのに、これ以上体力まで奪われたら本当に死ぬ。


「しかし、本当によく体調を崩すねケイ君は。酔い止め貸そうか?」

「別に酔ってるわけじゃねえよ。やるならそっちのぐったりしてる姉に渡してくれ」


 まだ酔い止めを飲んでないのか、俺の隣で綾香は具合悪そうにうなだれていた。既に俺のエチケット袋を膝元にスタンバイしいるし、決壊する前に飲み込ませてやれ。


「ああ。お姉ちゃんも別にバスに酔ってるわけじゃないよ」

「え。でもこんな具合悪そうじゃんか」


 すると、静香がぽりぽりと頬をかいて言い辛そうにしていた。


「うーんと、なんか朝のバラバラ事件のニュースで具合悪くなっちゃったみたい」

「バラバラ事件……?」

「知らないの? ほらワフーのトップページにも載ってるのに」


 そう静香がスマホをいじって画面を俺に見せて来る。トップのワフーニュースの見出しには、確かに『悲願者が生徒をバラバラに殺害』と大きく載っていた。


「うっ……」


 記事を見るにどうやら都心の中学で、虐められていた女子生徒が加害者の男子生徒をバラバラに殺害したらしい。


 女子生徒は自分の全身を鋭い刃物のように変化できる悲願者で、刃と化した腕で男子生徒の身体を切り刻んだという。悲願者に目覚めたのはその虐めの現場だったようだ。


 悲願者の能力は善良な願いから全て生まれるわけじゃない。

 こうした恨みや怒りから生まれた強い願望から発現することも当然ある。今回は『殺したい』という願いが最悪な形で叶ってしまったんだろう。


 つい最近静香の身体を滅多刺しにして、虐めの疑いがある俺にとってはあまりにタイムリーすぎる話題だ。内容を見て俺まで気分が悪くなって来た。


 そんな俺の様子にも気づかず、静香はわざとらしく身震いしていた。 


「でも怖いよね。生きたまま人をバラバラにするなんてさ。私でも恐ろしくてできないよ」

「……その言い方だと死体ならバラバラにできるように聞こえるぞ」

「し、仕方ないじゃん! 生活に困ってたんだから……」


 振った俺が悪かったけど、そんな迫真の声と表情で乗っかるな。不謹慎すぎるわ。


「おえええええええええッ」


 すると、今度は右で決壊するような音が。どうやら堰き止めていた濁流が解放されたらしい。綾香がエチケット袋に顔をうずめているのを見て、俺は憐れみながら視線を外した。


「ほら、ケイ君が物騒な話題を引き出して来るから、お姉ちゃんの胃の中まで引きずり出されちゃったじゃん」

「俺のせいかよ……お前が勝手に話し出したんだろうが」


 頬を膨らませてぶーたれる静香にげんなりする。

 でも綾香がここまでグロッキーな話題を苦手としてるのは意外だった。


 昔解剖図やグロ動画をケタケタ笑ってるのを見てドン引きした覚えがあるんだが、耐性が無くなったんだろうか。

  まあ俺も昔は蝉やカブト虫とか平気で素手で触ってたのに、今じゃ無理だし人のこと言えないか。


 そう幼い頃を思い返して、ふと朝によぎった昔の記憶の事を思い出した。


「そういえば昔さ。俺の卒業記念に寸劇やるって言ってなかったか?」

「言ったっけ? そんなこと」

「とぼけるなよ。全米が泣いた超大作の劇になるって豪語してたじゃねえか。結局どんな劇になる予定だったんだ?」


 そう興味本位で訊いた瞬間、静香はあからさまに視線を逸らしてバツの悪そうな顔を浮かべた。どうやら静香の中で黒歴史になっているらしい。触れてほしくない感が出てる。


「知らない。シナリオ作ったのはお姉ちゃんだったから」

「いやあんなにお前も自信満々だったんだから内容は知ってるだろ」


 まさかどんな劇になるかも知らないのに絶賛したんじゃ……とツッコもうとした所で、 


「ケイ君さあ。その話題やめてくれる?」


 そう睨んだ静香にピシャリと突き放されて、思わず息を呑んだ。


 一瞬で空気がピリピリとしたものに変わったのが嫌でもわかる。

 でもなんで。劇の内容を訊いただけで、そんな露骨に態度が冷たくなるか……?


「ねえ……? 約束したよねケイ君。寝たきりの時のことを持ち出さないでって。ううん。それよりも前から何度も言ってるのに、どうして聞いてくれないの?」

「え、いやでも……これは寝たきりになる前の話だろ。誕生会だって結局行われてないんだから別に……」

「いいからやめて」 

「……前から気になってたけど、なんで昔の話をしただけでそんなカリカリしてるんだよ。いくらなんでも過敏すぎだろ。おかしいって」


 寝たきりになって心配させた俺が悪いと思っていたから、これまでは素直に引いていたがここまで拒絶されると流石に指摘せずにはいられない。


「……うるさい」

「もしかして俺が寝たきりになった時に何かあったんじゃないのか? 例えば半……」


 そう危うく勢いで半崎黒子の名前を口走りそうになったのを止める前に、


「うるさいなあッ!」


 止めさせられた。


 一瞬何が起きたのかわからなかった。

 鈍い音と同時に俺の思考も鈍ったから。

 だが、額の鈍痛と伝わる艶やかな感触が、嫌でも直前の出来事を思い出させてくれる。


 静香に髪の毛を掴まれて、バスの窓ガラスに頭を叩きつけられたことを。


 いや……なんで……?


 急な豹変に理解が追いつけない。 俺はまだ……黒子の名前を出してない…… 


「前から何度も言ってるよね……当時の話題は嫌だからするなって。次に話題に出したら殺すとまで言って脅したよね?」


 波が引くように車内の空気が静まり返っていく。

 それは俺の身体も一緒で、波が引くように髪を後ろに引き寄せられて、押し寄せる波のようにまた窓ガラスに頭を打ち付けられた。


「どうして馬鹿みたいに忘れた頃に言ってくるの? 私に対する嫌がらせ?」

「や、やめっ……」


 ゴン!

 激情と狂気にゆだねるように、静香は俺の髪をさらに強く握りしめる。


「いい加減にしてよ。もううんざりッ!」


 ゴンッ!


「それなのに何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も何度も、何度も、何度も、何度も、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度もおおぉッ! どうして話題に出すの? ねえ、殺すって言ったよね? 私確かに言ったよね? ねえねえねえねえねえねえねえッ! 学習能力ないのかな? そんなに私に殺されたいのかな? 聞いてるの? 聞いてるなら返事しなさいよッ!」


 ゴンゴンゴンッ!  息を荒くした静香に窓に何度も何度も何度も額を叩きつけられる。


 トマトの皮がめくれるように次第に音が粘着していき、額の出血で辺りに血がこびりついてるのがわかった。


「ぅ、え……」


 しきりに繰り返される血の押印に、頭がぼうっとしびれる。まだ意識があったのは奇跡だ。もう返事しようにも呂律も回らない。


 窓ガラスにかすかに映る静香の姿でさえ、目が血走っている。掴まれた髪の毛から静香の怒気が伝わって来て、引きちぎられた方がまだマシだった。


 とにかくまずい。意味が全くわからないけど、とにかく戻らないと。

 このままじゃ、殺される……!


 だが、こんなラッコが貝を割るように頭を叩きつけられて、まともに考えられるわけがない。削り戻りしようと両手を何度も組み合わせても、能力の発動すらできやしなかった。


「や、やめてッ!」


 それでも、事態に気づいた綾香が静香を後ろから引っ張って、ようやく静香の拘束から解放された。だが、綾香も酔いで万全の調子じゃないのか、静香はすぐに振りほどいてまた俺に迫ろうとして来る。


 錯乱したように見開かれた目。もしかしたら静香も自分が何してるのかわかってないのかもしれない。ただ自分の中にある狂気をなりふり構わず俺にぶつけてるように見える。


 あの三人で劇の話をしていた優しい記憶が、まるで遠く、嘘のよう。

 今見ているのは幻覚で、これは悪夢かなんかじゃないだろうか。

 現実逃避が止まらない。いや違う。俺は現実逃避をしなくちゃいけないんだ……!


 震える指先を組み合わせる。静香がおかしくなる前に戻さないと。でも何がきっかけだっけ? どんな話題からおかしくなったんだっけ……? 


 いつから俺の日常はこんな狂ったものになったんだっけ……? 


「ああああああああああああああああぁああああああああッ!」


 叫ぶ静香の手が俺に届く前に、俺は現実から過去へ逃げた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る