10. 悪意の自殺

 それからの授業はまるで耳に入らなかった。

 幽霊なんてもちろん信じてない。一年の教室をしらみつぶしで回るだけで、すぐに黒子がこの学校に在籍してるかなんて確認できる。


 そう頭ではわかっていても行動に移せなかった。


 理由なんて決まってる。怖いからだ。


 いても怒られるのが怖いし、いなかったらもっと怖い。

 俺がチキンなのはいくらでも認めるが、幽霊を認めるのは流石に無理だ。そもそも、もう教室を調べ回ってさらに約束を破る度胸なんて俺にはない。


 ……こんなに後悔するなら、昼休みの時に削り戻りをしておくんだったな……

 だがもう後の祭り。呆気にとられて削り戻りのタイミングを逃したせいでこのザマだ。


「どうしたんだいゲロ太。昼休みにあの姉妹といざこざがあったようだけど」


 帰りのHRが終わると、昼休みの件を誰かから聞いたのか義弘がそう尋ねてきた。まあ流石にあれだけ教室の空気ががらりと変われば義弘も気付くか。


 もはやこいつの無神経な言動にイラッとする余裕もない。むしろ何も考えていなそうな簡単な頭で羨ましい。


「……放っておいてくれ」

「そうかい? なんか顔色悪いけど……あんまり思いつめないようにね」


 そう首をかしげて義弘が教室を出ていく。あの他人の不幸は蜜の味と言わんばかりの義弘に心配されるとは。俺もよほど情けない顔をしてたらしい。


 いつまでも放心していられない。重い腰を上げて重い足取りのまま教室を出る。そして西階段の前で足が止まった。


 階段を上るべきか、下るべきか。天国か地獄みたいなすぐに選べる二択なら良かったものを、今は鬼が出るか蛇が出るか程度の違いにしか思えない。


 今から屋上に行って黒子に向けて土下座して謝罪するべきだろうか。

 だが相手は俺を殺すと言ってる推定幽霊。のこのこ屋上に出向いて、そのまま身体を乗っ取られて飛び降り自殺、なんてこともないとは言い切れない。


 ぶるりと身体が震える。

 全てを投げ出して沼で自殺しようとした時とはもう違う。今は命が惜しい。


 あの姉妹に助けられてから、ようやく俺は毎日が楽しくなって来たところなのだ。学校生活だってそれなりに充実してる。だから校門前で吐いたところを拡散されてもなんとか生きていけた。それを……こんなことで死ぬわけにはいかない。


 そうだ。とにかく今は学校から離れるべきだ。

 そう階段を降りて昇降口を出ると、そこで思わぬ遭遇をした。


「ひっ……」


 漏れ出る怯えた声。それは恐怖がにじみ出た時にしか生まれない。

 だが、それは俺が発したんじゃない。

 いつしか朝に俺が間近で吐いた一年の少女。光がそこには立っていた。


 誰かと待ち合わせをしていたんだろうか。だが、俺の姿を見るなり顔を強張らせながらも勇気を振り絞るようにして昇降口の中へ逃げていく。


「……黒子より俺の方がよっぽど恐れられてるな」


 大きくため息を吐いて見上げると、外はそんな俺の気分を反映したようなどんよりとした鉛雲だった。外周を走ってる運動部の生徒が俺の脇を通り過ぎていく。


 普段ならこのままバス停に向かってたんだが、今は通学路から外れた道を歩いていた。 


 もし黒子が運転主を乗っ取って、バスを暴走させて俺ごと殺そうとしたら犠牲者は俺だけじゃ済まない。


 殺されるにしても……それは約束を破った俺一人であるべきだ。


 今日さえ、今日さえ乗り切れば、明日には黒子の怒りが静まっているかもしれない。今はそれにかけるしかない。バスに乗らない分、家までかなりの距離を歩く必要があるが死ぬよりはマシだ。


 そうスマホの地図アプリで道を確認しようとした時、画面上部にメッセージアプリのLIMEの通知が届いた。何気なくそのバナーに目を向けたところで、


「…………え」


 一気に思考が凍り付いた。


『ヨクモ騙シタナ。殺シてヤル』 


 バナーには、そんな脅迫文が表示されていた。 

 


 口内が恐ろしいほど乾いていく。背筋に鳥肌が立っているのが嫌でもわかる。

 こんなメッセージを送る奴なんて、今思い浮かぶ相手は一人しかいない。


『絶対に誰にも言わないでくださいね。約束を破ったら殺しますから』


 黒子と交わした約束。

 それを俺は今日破ってしまった。だから、殺されるならきっと俺だと思った。


 だけど、黒子は、誰を殺すかは……言ってない……

 それに、そもそも、


「なんで、あいつが綾香のスマホを使ってるんだよ……!」


 メッセージの送り主がなぜか綾香になっている。


 綾香が落としたスマホを黒子が使ってる、なんてことが今日一日で偶然起こるとは思えない。力ずくで綾香からスマホを奪えるなんてもっとありえない。

 素の身体能力で綾香に勝てる同学年の女子なんて存在しない。仮に百歩譲って盗られたんだとしても、ロックがかかってる以上、使用できないはずだ。


 ……だけど、黒子が綾香を乗っ取ったんだとしたら……ロックなんて指紋認証で簡単にくぐりぬけられてしまう。


 そんな俺の動揺に追い討ちをかけるようにピコン、と間抜けな通知音がまた鳴った。


『屋上に来イ。面白イ物ガ見えルゾ』


 更なる不安を煽る一文。

 面白い物がなんなのかわからないが、きっとろくなものじゃないのは間違いない。


「くそッ!」


 踵を返して学校に向かう。もうメッセージの意図を深く考える時間も余裕もない。とにかく今は綾香の安否を確認しないと……!


 全速力で走った甲斐もあって、十分ぐらいで学校に戻って来れた。


 走り抜ける俺を不審そうに生徒たちが見てたが、気にしていられない。鬼が出ようが蛇が出ようがもう構わない。昇降口を抜けてとにかく屋上までの階段を一気に駆け上がる。


 しかし、その屋上の扉の前で俺の眼と足は釘付けにされた。


「な、なんだよこれ……」


 絶句する。扉の開ける部分にガムテープが目張りされていた。まるで駆けつけて来た俺を焦らすような、いや嘲笑うような嫌がらせ。


 しかも、その扉の中央には、


『アノ世で待ッテルよ?』


 と赤い文字で描かれた悪趣味な張り紙が貼られていた。


 最悪な想像がよぎる。熊出没注意の看板が可愛く見えるほど、先に向かうのに激しい抵抗感。


 だけど、ここで引き返す選択肢なんてない。

 俺はガムテープを扉から剥がし、手こずりながらも扉を開けた。

 そして……すぐに後悔した。


「……………………ぁ」


 死体が、そこには転がっていた。


 屋上の汚かったタイルに綺麗な赤色が広がっている。

 その上に見知った少女が横たわっていた。


 着ていた紺色のセーラー服も赤く染められ、全身はナイフで滅多刺し。もう絶命しているのは明らかだ。


 なぜパッと見ただけでそこまで判断できるのか、不思議に思う者もいるだろう。

 だが、すぐにわかるのだ。


 ザクッ、ザクッ! 


 今もなお、彼女は泣きそうな顔で目の前の死体にナイフを突き立てているのだから……


「なに……やってんだよ……」


 どちらが殺して、どちらが殺されているのかすぐにはわからなかった。


 サイドテールが見えて髪型からはおそらく綾香だとわかる。


 だけど、今まで彼女がこんな辛そうな表情なんで見せたことなんてなかったし、なにより……綾香が静香を刺してるなんて、信じたくなかった。間近で見ても信じられなかった。


 止まった時間。凍り付いた光景。


 その中で唯一ナイフを振りかざしていた少女は急に動きを止め、ゆっくりと俺の方を向いた。


「た、助けて啓太……」


 すぐに綾香だとわかった。名前の呼び方の違いじゃない。怯えた表情でへたり込む彼女を見て、きっと本能が彼女は正真正銘の綾香だと判断した。


「綾香!」


 だから咄嗟に駆けつけようとしたが、


「い、いやああああっ!」


 悲鳴とともに、なぜか綾香は俺を容赦なくナイフで斬りつけて来た。


「う、ぐっ……」


 激痛が脇腹に走る。

 深くはないが、決して浅くもない感触。静香の血で染まったナイフは俺の血で上書きされている。それを見た綾香は髪を掻きむしって完全に取り乱していた。


「やめて、もうやめてよ黒子ぉ!」


 張り裂けるような叫びが轟く。だがそれも、


「く、くく、くひゃひゃひゃははははひゃひゃッ!」


 一瞬で狂ったような叫びに塗り替えられた。

 猛烈な寒気を覚える。人の肌を剥いで生まれたような剥き出しの狂気。耐え切れなくなったと、愉快で仕方ないと彼女の全身が表現しているようだった。


「貴方の親しい人が殺人者になってしまいましたが……今どんな気持ちですか?」

「く、黒子……!」


 口調の変化とともに、ニヤリと綾香の口の端をつり上げられる。それは無邪気な笑みのようで、実際は邪悪。その返り血にまみれた服からして禍々しさしかない。


 悪い予感が、悪夢が現実になった。

 やっぱり……黒子が綾香を乗っ取っていた。


「綾香の身体を……返せ!」

「おっと、動いたら死にますよ」

「なっ……」


 淡々とした宣告に足が縫いづけられた。

 最悪の脅迫だ。綾香はひょいと欄干を超えて屋上の淵に立っていた。


 綾香は死の淵で踊るようにくるりと回り、にこやかに笑みを浮かべている。必死で止めようとする俺の姿を馬鹿にするように、愛おしむように……


「この子に死んでほしくなかったら、そこの死体をそのナイフで滅多刺しにしてください」


 綾香がナイフを手放して、カランとした音とともに俺の足元までナイフが転がって来る。


 言ってる意味がわからなかった。


「な、なんでそんなことを……」

「早くしてください。5・4・3」


 考える暇すら与えてくれない。

 綾香がカウントダウンを始めたのを見て、俺は慌ててナイフを手に取った。


 握った瞬間、べっとりとした感触と不快感が全身に行き渡る。


 目の前で横たわる静香の無残な姿に視線を合わせるのも嫌だ。それなのに無理矢理向き合わされて脳がやめろと悲鳴を挙げる。出血で荒くなっていた息が、さらに乱れていく。


 だが、時間がない。逆らうこともできない。脅しじゃないと実際に殺して見せたのだ。


 やらなければ、綾香が殺される……!


「う、あああああぁああああぁっ!」


 瞬間、嫌な感触が弾けた。 

 頭の中の常識が、静香の身体が、色んなものが。


 紅の液体が全身に絡みつく。

 ずぶりとナイフが肉に深く食い込んでいく。肉片が、臓器が、外に飛び出していく。双子だと見分けがつかなかった彼女を、人間とすら見分けがつかないようにしていく。


 一回振り下ろす度に、自分の何かが壊れていくような気がした。


 それでも繰り返す。過ちを。許されない行為を、許されるまで繰り返した。


 そして、とうとう滅多刺しと呼べるまでナイフを振り下ろした。やり終えたのだ。


 俺は静香を、滅多刺しにしていた。


「あ、ぁあ……」


 全身の力が抜けていく。

 手のひらからナイフがこぼれ、涙も頬を伝ってこぼれていた。


 もう目の前の無惨な姿の静香を見る勇気もない。それなのにこんな姿にするのには勇気を振り絞れた事実に、頭がおかしくなりそうだった。


 嗚咽がとまらない。気を抜けばすぐにでも胃液をまき散らしそうだ。


 どうして……こんなことに。

 なんで静香をこんな風に刺さなくちゃいけないんだよ……


 意味がわからない。罪悪感と後悔でもう頭の中はぐちゃぐちゃだ。

 それでも、そんな打ちのめされた俺を見ても黒子は良心が痛むことはなかったらしい。むしろ口元を抑えて笑みを堪えきれないでいた。


「ふ、ふふふふ。あはははははははッ。いやあ、本当にやっちゃうなんてねえ。なんて酷い人なんでしょう。私と同じことをした! あははははははははッ! 嬉しい!」


 どんな神経がしたら笑えるのか。

 満足げな高笑いをする彼女に嫌悪感を隠せない。こみ上げた怒りが今にも爆発しそうだ。


 だけど、それを今表には出せない。

 今目の前の少女の機嫌を損ねたら、こんな苦しい思いをしてでも成し遂げたことが全て無駄になってしまう。唇が引きちぎれそうなぐらい噛みしめて、我慢した。


「そんな死体を惨たらしく損壊させてまで、この少女が大事ですか?」

「当たり前だ。言われた通りにしたぞ。だから……!」

「うふふ、約束でしたもんね。で・も……」


 そこでわざとらしく綾香は区切って、


「貴方、私との約束破りましたよねえ?」


 口元を歪ませた。


「な……」


 ゾクッと、悪寒がした。

 言葉の続きを聞かなくても、もうその後の行動の続きがわかる気がした。


「なら……私も一度約束を破ってもいいですよねえ?」

「や、やめろ……!」

「ねえ啓太。私のことが大切なら後を追って来てね?」


 そう狂気じみた笑みを浮かべて、綾香は俺の視界から姿を消した。

 

「…………ぁ」

 

 気づいた時には地面に膝をぶつけていた。

 削り戻りで過去に戻る時よりもぐにゃりと視界が歪んでいく。

 本当に……飛び降りてしまった。


 それでも現実感がないのはまだ確認してないからか、それともこの非現実的な光景を脳が拒絶しているのか。


「きゃあああああああああああああッ!!」

「誰か、救急車をッ!!」


 だけど、欄干の向こうから悲鳴が挙がって、嫌でも現実に向き合わせて来る。

 おそるおそる覗き込むと、その校舎裏のアスファルトの上に少女が仰向けに倒れていた。


 木の枝葉がクッションになったとか、花壇の柔らかい肥料が衝撃を和らげたとかはない。


 奇跡なんて絶対に起きないと主張するように赤い血だまりを広げ、綾香の身体は人間ではありえない方向に曲がっていた。


 死んだから。


「う……ッ ああああああああああああああぁあああああああああああぁああッ!」


 もう、耐えきれなかった。獣のように咆哮していた。


「どうして、どうして、どうしてッ! わけがわからない。意味がわからないッ! 俺が話したから綾香も静香も黒子に殺されたのか? 俺のせいなのか? 俺が、俺があぁッ!」


 頭の中がぐちゃぐちゃで、ずっと喚き散らし続けそうになったが、


「……いいや……まだだ。まだやり直せる……!」


 頭を殴ってなんとか理性を保った。今はこんな嘆いてる場合じゃない。

 本来なら状況は絶望的。でも俺には奇跡の力が、『削り戻り』がある。絶対的である死だって過去に戻って覆すことができるのだ。


 それでも、『削り戻り』も絶対に成功するわけじゃない。失敗することも当然ある。


 腹部の出血と二人の死に対する動揺で、コンディションは最悪。削り戻りの代償で俺まで死ぬかもしれない。


「それでも……!」


 ここで過去に飛ばない選択肢なんてない。時間が経てば経つほど俺に不利。

 なら躊躇う理由はない。俺の命は二人に助けられたものだ。ここで命を惜しむ道理が存在しない……!


 すぐさま両手を組み合わせる。そしてその瞬間、俺の意識は闇に奪われた。

 奪われたものを取り返すために。 

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