9. 死人の別人

 あれから二週間、ちょくちょく様子を見に行ったが黒子は屋上に姿を現さなかった。


 俺の能力を漏らしたからか、胃の中を漏らしたのが恥ずかしいからなのか。いずれにしても流石に心配になるし、あんなに屋上を気に入ってたのに俺のせいで来れなくなったようで申しわけなくなる。


「でも教室に行ったら嫌がりそうだからなあ……」


 流石にこれだけ時間が経てば俺に関する話題も収まっているけど、一年の教室で人探しなんてしたら再燃しかねない。


 しかし、そうなると手詰まりだ。不登校になってたりしてなきゃいいけど……

 靴箱の中を確認すれば登校してるか否か一発でわかりそうだが、流石に違う学年の靴箱を漁るのは怪しすぎる。新聞部に取り上げられるリスクを考えると秒で却下だ。


「ちーす。お邪魔するわよ」


 その聞き慣れた声にはっとした。

 六月の上旬。数週間後に控える期末テストに向けて勉強する生徒が出始めた昼休み。


 そんなこと知ったことかとばかりに、教室の扉からまた綾香と静香がずけずけと俺の席までやって来た。割と頻繁に出入りして来るからか、もうクラスメイトも慣れたらしい。前までに比べると視線がそれほど集中していない。


 勇敢な男子陣が二人に声を掛けた時もあったが、綾香に睨まれて見事に撃沈していった。害鳥駆除の鷹匠のように追い払うのも手慣れたものである。俺もたまには逃してほしい。


「またお前らか……上級生の教室にどんだけ出入りするんだよ。俺のこと大好きか」


 うんざりしながらそう言うと、綾香はふんと鼻を鳴らしていた。


「うぬぼれるんじゃないわよ。あんたが教室でも最近挙動不審だってあの爽やかゲス野郎から聞き出して、心配してやって来たんじゃない」

「爽やかゲス野郎……義弘のことか。お前先輩に対する敬意ゼロかよ」

「人を地雷呼ばわりする奴に敬う必要ゼロでしょ」

「まあ確かに」 


 そこは特に異論なし。

 姉妹が来る気配を察知したのか、義弘は今席を外して教室にいなかった。まあ帰って来てもこの姉妹をかなり苦手としてるから、すぐさま回れ右して立ち去るだろうけど。


「でも最近ケイ君本当に変だよ? 話しかけても上の空だし。何か悩み事でもあるの?」


 食い気味に静香が訊いてくる。確かに最近黒子のことばかり考えていたような気がするが、そんなにぼんやりしてただろうか。


「いや別になんでも……」

「相談してよ。力になれるかもしれないじゃん」


 普段は能天気な静香にしては珍しく真剣な表情だ。そう正面から力強く言われると弱い。


 鳥の糞を浴びた光の件も俺は助けるどころか、むしろ変な風に悪化させてしまった。それに比べて二人には昔俺を助けた実績があるし、説得力は十分ある。


 ……まあ、特定されないようぼかせば相談しても大丈夫か。


「えーと、実は一年の女子にクラスで孤立してる子がいるんだよ。その子と放課後とかに会ってたんだけど、最近姿を見せなくてさ……」

「一年の女子ってアンタ……」


 そこで綾香の眼差しがキッと鋭くなった。

 やべ、そういや一年の女子に手を出すなって釘刺されてあったっけ。


「や、約束を破ったのは悪かったよ。でも誓ってやましいことはしてないって」

「……」


 綾香の手が出る前に慌てて弁明したが、依然として眼光は鋭い。

 耐えきれなくなって視線を逸らすと、静香の方は理解を示すようにうんうんと頷いていた。双子でも人に対する優しさの配分は違うようだ。そこもそっくりにしてほしい。


「それは確かに心配だよね。で、その子の名前はなんて言うの?」

「誰にも言わないよう約束してるんだ。匿名希望で頼む」

「ケイ君……そんな孤立してる子だったら調べたら遅かれ早かれ名前もわかっちゃうって。面倒くさいし今教えてよ」

「うぐっ……」


 呆れたような表情で詰め寄られる。確かに痛いところを突かれた。


 言われてみればあの可視化できそうな暗いオーラを見れば誰だかわかりそうだし、ここまで来たら隠しても時間の問題か。


 好奇心旺盛な静香に下手に濁して、目立つ形で捜索されても困る。新聞部で取り上げられたりでもしたら、俺が黒子に刺されかねん。


 ……もはやここまでか。黒子との約束を破る形になったのは悪いけど仕方ない。二人ならまあ他言はしないだろうし、むしろ力になってくれるだろう。


「……そうだな。名字は忘れたけど黒子って名前の子だ。前髪が長くてちょっと暗い感じの子なんだけど知ってるか……」


 そこまで言って、思わず息を呑んだ。

 なぜか二人の表情が一気に強張っている。驚愕に目を見開いて、もし今なにか持っていたら家宝の皿でもなんでも構わずに落としてしまいそうな、すさまじい狼狽ぶりだった。


「黒、子……?」

「え、なんでそんな驚いてるん……グエッ!」


 瞬間、綾香に勢いよく襟元をつかまれて一気に呼吸がむずかしくなった。


「どうして……その名前を……!」

「く、苦しい……離せよッ! し、静香……!」


 そう助けを求めたが、静香は呆然と固まったまま動こうともしない。クラスメイトも薄情で綾香のあまりの威圧感に慄いて完全に怯んでしまっている。


 もうカニのように泡吹いて失神する寸前だったが、その前に綾香がつかんでいる手を放してくれた。酸素が一気に喉に入り込んできて、飛びそうになっていた意識がなんとか戻ってくる。


「ゲホッ、ゲホッ! な、なにすんだよ……」

「…………くっ!」


 俺がむせている間に、逃げるように綾香が教室を駆け出て行った。追いかけたかったがまだ意識が朦朧としていて、視界がうまく定まらない。 


 なんなんだよ……そんなおかしいこと言ったか俺。


「いったいどうしたって……」


 そう静香に訊こうとして、ぞっとした。

 静香は綾香以上に憎悪と憤怒に満たした表情を浮かべていた。


 蛇に睨まれた蛙のようなとてつもない緊張感。この場で吐いた方がマシだと思えるくらい、過去最大級に居心地が悪い。


「し、静香……?」


 おずおずと尋ねた瞬間、静香の表情がスッといつものように戻った。

 それが怖かった。まるでスイッチ一つで簡単に表情を切り替えられるようで……


「ごめんケイ君。私ちょっとお姉ちゃんのことを追いかけて来る」

「お、おいちょっと待てよ!」


 そう廊下を出て行こうとする静香の肩を慌ててつかむ。

 ふざけるな。こんなわけのわからないまま放置されてたまるかよ……!


「お前、黒子のことを知ってるだろ」

「手を離してくれる? ケイ君」

「お前がまず黒子のことを話してくれ。なんで名前を聞いただけであんなに怒るんだよ」

「……ありえないからだよ」

「ありえないって何が」


 そこで会話が途切れて一瞬、不気味な静寂が場を満たした。

 張り詰めた空気に正しい呼吸を忘れそうになる。ただ問い詰めているだけなのに、こっちが追い詰められているような気分。


 いやなにに怯える必要がある? 相手は静香だぞ……!


 そんな重い静寂に押しつぶされそうになった時、ようやく静香が目を伏せて、呟いた。



「だって、その子もう死んでいるんだもの」



 一瞬、静香が何言ってるかわからなかった。


「…………は?」

「ケイ君が昏睡した二週間後ぐらいだったかな。飛び降りて自殺したんだよその子」

「じ、自殺……?」

「うん。それなのに、死人に会ったなんて不謹慎な嘘言われたら、気を悪くするのは当然だよ。お姉ちゃんがキレて出て行くのも無理ないね」

「ち、違う! そんなわけがないッ!」


 認められるわけがない。 

 確かに会った。確かに話したのだ。


 それが……現実にはいない? 

 そんな馬鹿な話があってたまるか! 


「俺は屋上で確かに会った! こう見えて俺は鋭い方なんだぞ。そんな話に騙されるか!」

「騙されるか……? ふ、フフフフッ、フフフフフフフフフフフフフフフフフッ、あははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははッ!」 


 心臓が止まるかと思った。

 急に静香は口元を歪めて、狂ったように笑い声をあげていた。


 だが、こんな風に笑う奴を俺は知らない。

 静香がこんな突拍子もなく気持ち悪い奇声と笑みを浮かべるわけがない。俺の本能がこいつは宮本静香ではないとしきりに訴えている。


 じゃあ、こいつはいったい誰……?


「騙したのは貴方の方じゃないですか」

「え……?」


 その口調の変化と冷たい声音に全身の毛が逆立った。


 黒、子……?


「私との約束……破りましたね」


 胸の中が冷え切っていく。得体の知れない恐怖で全身の感覚が失わされていく。

 そんな俺の胸中などまるで眼中にないように、静香は、いや目の前のそいつは、


「絶対に許さない」


 そう俺に断罪の宣告を下した。




 「……あれケイ君。私……どうしてこんなところに?」


 あの後、静香はかくんと項垂れると、まるで取り憑かれた何かから解放されたようにきょとんと困惑しながら辺りを見渡していた。


「お前……覚えてないのか?」

「覚えてないって……なにを?」


 不思議そうに首をかしげる静香に思わず目を逸らした。

 どうやら教室に入ってからの記憶が完全に抜けているらしい。さっきまで豹変していたことも何も覚えていないようだった。


 閉口していたクラスメイトたちも俺も何も言えないので、自然と教室にまた静寂が生まれる。そんな不自然な空気に静香はさらに深く首を傾げていた。


 その脳天気な仕草すら、さっきの豹変を見ていると悪い前触れのようで不気味だった。

 そんな静まりきった空間を打ち破ったのは、昼休み終了のチャイム。


「あ、やばっ、次移動教室じゃん」


 それと同時に静香は教室を慌てて出て行った。

 黒子のことを問いただしたかったが、また名前を出した途端に狂った笑い声を上げられそうで恐ろしくて無理だった。それにまだ足が硬直していて動かない。


 あれが静香の身体を張った渾身のギャグならまだ笑い話で済むが、それにしては薄ら寒すぎる。俺のクラスメイトをドン引きさせてまでするほど静香も馬鹿じゃない。それに綾香だっておかしかった。あの気の強い綾香が静香の冗談であそこまで動揺するわけがない。


 それになにより、今一番の困惑は、


「自殺って……なんだよ……」


 それが本当なら……屋上で出会った黒子は幽霊だったってことになるじゃねえか。

 じゃあ屋上を好んでいたのは単に一人でいられる場所だからじゃなくて……屋上から飛び降りて自殺したから?


 背筋がさっきから冷たい。

 どういう理由で死人が現実でさまよってたのかわからないが、黒子が静香の身体を乗っ取って、わざわざ俺の前に現れた理由は一つしか考えられない。


 俺が、約束を破ったから。

 黒子のことを誰かに話したから、俺を……呪いに来たのだ。


「ハ、ハハハ」


 思わず乾いた笑いがこぼれた。

 いやまさか、そんな……馬鹿なことがあってたまるかよ。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る