第6話 (その2)

 兄がそのようにして屋敷をあける事自体は取り立てて珍しいことでもなかったし、元々その間のメアリーアンの世話のために私は屋敷に滞在しているのだから、兄の態度とは別に、私はその時までは事の重大さについてあまり深く考えてはいなかった。兄がどこへ行ったのかにも、特に興味を払ってもいなかった。おそらく依頼主なり、同業の誰かしらなりに会いに行ったのだろうとは思ったが、行く先などまったく私のあずかり知るところではなかったのだ。

 様子が変だと気付いたのは、私ではなくまずメアリーアンだった。彼女には窓の側には立たないようにかたく言い含めておいたのに、その日に限ってカーテンの隙間からじっと表の様子を窺っていたのだった。何事か、とつられて外を見やると、そこに見慣れない黒塗りの自動車が停められているのが見えた。ノーツヴィルのような小さな町では、そういった自動車自体あまり見かけないものだった。

 それでも、多少不審に思いはしたものの、屋敷の周りに他に邸宅がないわけではなし、近所の誰かを遠方から訪ねてくるものでもあったのだろう、ぐらいにしか気に留めなかった。自分やメアリーアンの身に危険が迫っているとは、なかなか想像出来なかった。

 兄が出かけてから三日目の朝、屋敷に手紙が届けられているのに気付いた。兄宛の郵便物であれば、もちろん私が内容を確認するわけにはいかないが、それは宛名が違っていた。

 しかもその手紙には宛先の住所も差出人の名前も書かれてはおらず、私の知らないうちに玄関の扉の下の隙間からすっと差し入れられていたのだった。ただ表書きに「メアリーアンへ」とだけ、兄の字で書き付けてあった。

 兄が出かけるさいに落としていったのではないか、とさえ疑ったが、そうではないのは中身をみればすぐに分かった。そこにはただ一言だけ、こう書かれていたのだ。

 逃げろ、と。

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