第5話(終) 私の心

 数日後、拓真は原付バイクで野菜の配達を行っていた。

 行き先は、あろうことか『日の出食堂』からだった。

 憂鬱だった。

 あの時、拓真はあまりにも感情的になり過ぎていた。自分が借金を返すと由紀恵の前で公言し、その日の内に泥棒を働き、契約書から金まで一切合切を、揃えて問題解決を行ったのだから。

「もろバレしてるよ」

 自分のアホさ加減に、拓真は嘆く。

 今更どんな顔して会えばいいのか。

 しかし、そうこうしている間にも時間は流れていく。

 拓真が原付バイクを止めて、恐る恐る『日の出食堂』に入る。

 彼の挨拶にいつもの元気はなく、新入りの小僧のように小声で挨拶をおこなう。野菜を持参して、暖簾を潜ると由紀恵が笑顔で出迎えてくれる。

 拓真は、鬼にでも遭遇したように身体をビクつかせるが、由紀恵はいつもと変わりない様子で出迎えてくれた。野菜を見ていた由紀恵だったが、ふと切り出す。

 拓真の心臓は早鐘を打っていた。

 緊張していたせいもあるだろう。

 だが、それ以上に彼女がいつも通りだったことが一番大きかった。

 このまま何事もないことを願っていたが、核心を突かれる。

「そうだ榊君。この前、家に泥棒が入ってきたの」

 拓真は驚く。

 やはり気付いていたのだ。

 いや、気がつかない方がアホだろ。

 彼は、申し訳なさそうな表情を浮かべた。

 だが、そんな彼に彼女は優しく微笑む。

「え。そ、それは……、だいじょうぶ、でしたか」

 泥棒が入ってきて大丈夫なわけがないのだが、今はこう言うしかない。

 由紀恵は微笑む。

「大丈夫じゃないわよ。大変なものを取られちゃったんだから」

 拓真は呆然とする。

 由紀恵は悪戯っぽく笑みを浮かべると、拓真に向かって距離を詰めて俯き、上目使いに拓真を見上げる。

「私の心」

 由紀恵は頬を赤らめていた。

 拓真の胸が高鳴る。

 由紀恵は厨房に向かって走り出し、振り向く。

 そして彼女は言うのだ。

 ――私の大切なもの、返してもらうからね。

 由紀恵は花咲くような笑顔を見せていた……。

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木鼠は誰が為に kou @ms06fz0080

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