同情 07

 あの女に叱られてから2日が経った。


 あの時晴らした鬱憤も、腫らした瞼もきれいさっぱりなんて言い方はでいないけれど私以外は分からないくらいには消失している。


 明日行こう、明日行こうなんて考えてはいても心と体はなかなかリンクしてくれなくて・・・・なんて、またまた言い訳をしてしまっている。


 結局何も変わっていないんじゃないかなんて自己嫌悪に陥りそうになったけれど、あの女に抱いた怒りを少しづつ思い出せばなんだか元気が出てきた。


 たしかに私が抱いた怒りはあの女に見透かされた通り自分本位の情けないものだったけれど、当初抱いていたあの横取りされたような苛立ちだって嘘じゃない。


 そんな苛立ちが私の心と体の起爆剤になって、今日はいけそうな気がする。


 まぁ、この2日間はあの女があいつの家に向かっていたから行ってないってのもあるんだけどね。


 それを認めるとなんだか私があの女に服従してしまっったみたいで腹が立つから見て見ぬふり。


 ・・・・・・・・ったく、あの女は優しいのか怖いのかほんとわかんないなぁ。


 多分今日からあの女は来ない。


 それだけは分かった。


 だって今日、ここ最近見かけたあの女の背中がどこにも見当たらないからね。


 私は茜色に染まる夕方の空に目を向ける。


 あの時交わした約束を忘れたつもりはない。


 だけどこの約束を守っているだけじゃ私は前に進めない。


 塔に囚われた姫が逃げるそぶりすら見せず、めそめそとしているのと同じだ。


 助けてくれる王子様を待つことはやめた。


 王子様が助けてくれるのは物語や童話の中だけ。


 現実はそう甘くない。


 だからこそ私は動かなければならない。


 悲劇のヒロインのままじゃだめだってことを不本意ながらあの女に教わった・・・・・・・・いやこの言い方はなんだか違うな。


 気付かされたっていう方がしっくりくる。


 約束を破ることはその分罰が下る。


 せめてこの真っ赤な空のような『惨憺』な状況にはならないように危ない時は逃げよう。


 そんなことになったらあいつはもう立ち直れないだろうからね。


 


 

 未だに昨日の雨の香りが残る夜。


 2日前と違い今日は暖かい私の部屋が体を包み込んでくれる。


 お風呂上りに着替えたパジャマの甘い香りが部屋を充満し、気持ちのいい満腹感が私をベッドへ誘う。


 誰かに委ねたい使命をだれにも任せられないことを暗示させるかのようにこの部屋では孤独で。


 夕方のあの決意は一体何だったんだろうなぁ。


 時間の経過とともに焦燥感は増す一方なんだけれど、もしかしたらあいつ寝てるかも、こんな時間に迷惑じゃないかななんてことも考えちゃってる。


 駄目だよね。分かってるんだよ。だけどね・・・・・・・・きっかけが欲しい。


 一縷の望みをかけて私はあの古本に手を伸ばす。


 ぺらぺらとページをめくる。


 なんてことないミステリー小説。


 何度も読んだ。擦り切れるくらい読んだ。


 凄腕の探偵が誰にも解けない謎を解明し、犯人を見つけ、その謎が一体どういったものだったのかを周りの人間に説明し賛辞を浴びる。


 どれだけ読んでも感受性の豊かでない私の感想は「すごいなぁ」だった。


 たくさんの人間に褒められるっていいなぁとか、社会的地位のある人に認められる気持ちってどんな感じなんだろうなんて想像する。


 だけど今、まるで悟りを開いたかのように私の中に謎が生まれた。


 この探偵は本当に凄腕なんだろうか。


 たしかに謎を解く力に長けていることはこの物語を読むことで理解できる。


 だけどこの探偵に、まるでミステリーを解く姿を1つのショーのように見せる探偵に犯人の『希望』を潰すほどの責任があるのだろうかと思う。


 犯人だって犯行動機ってものがある。


 怨恨、嫉妬、報復、痴情など様々な動機がある。


 もちろんどんな理由があっても人を殺してはいけないし、人に迷惑をかけてはだめなんだけど。


 そんな犯人も仕方は間違えているけれどやっぱり『希望』を求めて犯行に及んでいる。


 それはむしろ誠意のある行動じゃないかって思う。


 すごく純粋でひたむきで真っ白なんじゃないかって思う。


 そのような神聖な行為に対して凄腕と呼ばれる探偵は、まるで親に買い与えられたゲームのように、偶然の娯楽を神から与えられたかの如くキラキラした瞳で犯人の『希望』を否定している。

 

 それはあの女のいうところの責任が希薄になり、自己中心的な方向へ走ってしまっているというやつなのではないだろうかと思う。


 誰かのため、犯人のせいで犠牲になった被害者のためというよりかは、自分が悦に入るため犯人の背景を鑑みることなく真っ向から否定する姿勢に私はつい最近までの自分を照らし合わせてしまった。


 物事の上澄みだけを掬い取って、被害者を救って、何かをやった気でいる。


 思いがいつのまにか確信に変わり、違和感がいつの間にか日常に変わる。


 ・・・・・・まるであの時の私。


 あいつがこの本に落書きを残したことは偶然なんだろう。


 だけど私は今、私を俯瞰して私自身を全てとは言えないけれど理解できた。


 あの女にさんざん言われて気付かされて、そして今私は私自身で気付くことが出来た。


 今なら私はあいつを否定するんじゃなくて指摘、もしくはそれ以上のことが出来るんじゃないか。


 きっかけも責任もそして自信もついた今ならもう言い訳はできない。


 私はようやくベッドから体を起こし、隣の家の窓から洩れる光に向かって思い切り声を上げた。


 「まー君のばかぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 彼の部屋へ向けた私の声は夜の闇に轟き、階下でくつろいでいた母の怒声が私の部屋へ向けて聞こえる。


 だけどそんなこと気にしていられない。


 私は声を出すために開けた部屋の窓から自撮り棒をもって、明かりの漏れる部屋の窓を何度も叩く。


 「いるのは分かってるのよ!早く出てきなさい!まー君!」


 何度も何度も叩いた。何度も何度もあいつの名前を呼んだ。


 「ねぇ!いるんでしょ!いつまでうじうじしてんのよ!早く出てきなさい!」


 「うるせぇ!今何時だと思ってんだ!馬鹿かお前は!」


 何度も何度もしているうちに我慢の限界が来たと言わんばかりに、あいつは窓から顔を出し怒鳴り声をあげた。


 よかった。もう少しで母親が私の部屋に突入するところだった。


 私は私の部屋の扉の前まで迫ってきている足音に「ごめんなさい!」なんて告げて部屋の侵入を阻止した。


 そしてもう1度あいつに向き直る。


 「何の用だよ」


 気怠そうなあいつの声は私の記憶よりも少し野太く、困惑と苛立ちを織り交ぜた顔はやっぱり私の記憶と違いどこか大人っぽさを感じる。


 相変わらず華奢な体だったけれど、今は最早やつれていると言って差し支えないほどに歪で、肌は日に焼けた部分が一切ないと言えるくらいに真っ白だった。


 あいつの今を見るといかにあいつの送ってきたこの4年間が『惨憺』だったのかを見せつけられるようだ。


 そんなあいつの人生に水を差し、あまつさえ利用するようなことをした私があいつにかける言葉なんて1つしかないじゃない。


 「ごめんなさい!」


 私は深々と窓に向かって頭を下げる。


 あいつが今、どんな表情でいるのかは分からない。


 まださっきみたいなごちゃごちゃした表情でいるのかな?怒ってるかな?自分勝手って思われてるかな?


 私はまだ怖かったからさらに追い打ちをかける。


 「約束も破ってごめんなさい!」


 「はぁ?約束?何のことだ?」


 「え?」


 私は思わず間の抜けた声が出た。


 それと同時に彼の方へ顔を上げる。


 「約束だよ。私が4年前にまー君の家を訪れたときの」


 「お前が来たことは覚えてるけど・・・・・・・・僕、お前と何か約束したっけ?」


 心底分からないという表情を浮かべ、うーんと唸るあいつがとぼけているとは到底思えない。


 あぁ、怯えていたのは私だけだったのか。


 あいつにとって私の訪問なんて夜空に浮かぶたくさんの星の1つにすぎないんだなぁ。


 なんだ、てっきり月くらいに思ってくれていたのかと思ったのに。


 ・・・・・・・・なんだかむかつく。


 「ふぅーん。忘れたんだ。へぇー。そうだよね。だってまー君、小学4年生くらいから私と全然お話ししてくれなかったもんね。私のことなんてどうでもいいんだ。どうせ私のことなんて、恋愛ドラマのヒロインの親友で最後の最後に主人公に恋しちゃって振られる女の子くらいにしか見えてないんだ」


 「悲観するのかと思ったら割といいポジション!どっちだよ。自己肯定感高いのか低いのかいまいちわからないよ!」


 「ふぅーんだ!分からなくていいよぉーだ!」


 違う。私はこんなこと言うために勇気を振り絞ったんじゃない。


 少し魔がさしてしまった。


 興奮で上がった息を今1度鎮める。


 「・・・・・・・・本当に覚えていないの?」


 私がそんな風に問いかけるとあいつは必死に首を傾げて考えてくれる。


 うーんと唸り声をあげて真剣に考えてくれている。


 だけど返事は私の欲しかったものではなくて「すまない」という謝罪の言葉だった。


 「そっか、まぁ別にいいよ。むしろありがたいっていうか・・・・ね。今日はそんなこと言いたくてまー君に声かけたんじゃないから」


 「本当にすまない。もしよかったら教えてくれないか?その約束を」


 「本当に大丈夫だから。だけど教えることはできないな」


 「・・・・・・・・そうか」


 「うん」


 少しの沈黙の後、あいつは気まずそうに頭を掻きながら口を開いた。

 

 「それで、僕に何を言いに来たんだ?」


 「うん。そのね・・・・私、毎日まー君に学校からのプリント届けてるでしょ」


 「あぁ。いつもありがとう」

 

 「いいのいいの。それでね、そのことなんだけど・・・・・・・・」


 私は拳に力を入れる。


 静かな町で静かだった家の前に、私の心臓の音と息を吸って吐く音と唾を飲む音が大げさに聞こえる。


 あいつの目が私にだけ向いている状況に目を逸らしたくなる。


 今すぐ窓を閉めて、カーテンも閉めてあいつの部屋から洩れる光すらもシャットダウンしてしまいたい衝動に駆られる。


 わかってる。あとは言うだけ。


 だけど今から言うことはあまりにも残酷で。


 それと共に大きな責任も伴う。


 否定でも指摘でもなくてこれからするのは命令。


 大きな責任なんて言ったけれどそんな覚悟でできることじゃない。


 命を懸ける。それくらいの覚悟がないと・・・・・・・・


 「おい。大丈夫か?」


 彼の目が私を心配し始めている。


 だめだ。私はまた人に『同情』を求めている。


 心の奥底で仕方ないなんて言いながら、誰かのせいにして自分を慰めている。


 せっかく自分から行動したのに誰かにやらされている自分を私の中で勝手に作り出している。


 私は弱者を演じている。


 はぁ。だめだ。全然成長していない。


 「おい!」


 「な、なに?」


 「言いたいことがあるなら言えよ。4年前みたいに自分の中で消費するのだけはやめてくれ。あれは気分が悪いんだ」


 あいつは言いにくそうに、だけれど強い言葉で私に言う。


 まただ。また誰かに動かされようとしてる。

 

 結局こうなのかという自己嫌悪と同時に、どうしてそこまで覚えているのに約束のことは忘れてるんだろうという苛立ちが沸々と湧き上がる。


 私はどうやら怒りっぽいみたいだ。


 だけどそんな怒りが蛮勇を生み出してくれた。


 ・・・・・・・・私って単純だなぁ。


 「私、もう学校のプリント届けるの辞める」


 「そ、そうか」


 「というかもう辞めてる。気づいてるでしょ」


 「あぁ、まぁ最近ないなって思ってた」


 「事後報告でごめんなさい」


 「全然かまわないよ。むしろいつも面倒なことをごめん」


 「・・・・・・・・そうだよ。本当に面倒だった。先生にも半ば強制的に無理やりプリントを渡されて。嫌な顔をしても見えない振りされて。何も言わせない空気を作られて。まー君のこと知らない子は毎回毎回私のところに来てどうして来てないの?なんて聞いてくるんだよ?そんなの直接聞きなよとか、他の子に聞きなよって何度も言いたくなった。知らないよって不愛想に流したかった。でも私は弱いから、私は弱者だからそんなことできるわけもなくて、当たり障りのないことを言って誤魔化してってして・・・・・・・・どうして私ばっかりこんなにも神経をすり減らさなきゃならないんだろうって」


 「ごめん」

 

 私はまるで今まで溜まっていた愚痴を、体の中にため込んでいた毒素を吐き出すかのようにあいつに向かってまくし立てる。


 あいつは下を向いて受け入れて、ごめんなんて言っているけど、本当に謝らないといけないのは私で。


 私はクラスメートや先生にあいつのことを聞かれるたびに、私はあいつがいなければこんなことにはならなかったなんて考えていたんだから。


 だけどそんなのお互い様でしょ。


 あいつも絶対に心のどこかで私のことを邪険に思っていたし。


 「だから、まー君は罪滅ぼしをしなくちゃ駄目だよねー?」


 「えっ」


 ふふっ。驚いてる驚いてる。


 「私ね、昨日も一昨日もね先生にプリント渡されてるの。だけどそのプリントはまー君に渡していない。ならどこにあると思う?」


 「ゴミ箱とか?」


 「ぶっぶー!」


 「昨日の雨でふやかしてもう跡形もないとか?」


 「ずいぶん具体的だね!ちょっと怖いよ。まー君普段そんなことしてるの?」


 「僕じゃないよ。僕じゃない誰かの話」


 「・・・・・・・・そう」


 ちっ、絶対あの女のことだ。


 「もう答え言うね。答えはまー君の机の中」


 「は?」

 

 「卒業式の日。私、式が終わっても教室で待ってるから。あとは言わなくてもわかるでしょ?」

 

 「・・・・・・・・・・・・」





 あいつはその後も何も答えなかった。 

 

 私はおやすみとだけ伝えて窓を閉め、カーテンを閉じる。


 私にはこれくらいしかできない。


 命令するんだと意気込んだものの、結果としてなんだか遠回しな言い方になってしまう。


 だけど、だけど、これでいいんじゃないかって思う。


 あの女のようなことは私にはできない。


 けれど私には私にしかできないことがあるんじゃないかなって思う。


 静かな家に、死んだ家にあの女は光を灯した。


 チャイムを鳴らしてあいつを引きずりだすっていう強引で、強い手段で。


 私はあいつに何が出来ただろうって考える。


 私は教室にぽつんと佇むあいつの軽い机に、そしてあいつに重みをあげた。


 夜中にあいつの名前を叫んで、あいつの窓を叩くっていうやけくそ交じりの弱い心持で。


 あの女と張り合うつもりはない。


 だけど私もあの女も、あいつを変えたいって意味では同じ。


 それならあの女と私を比較した結果は同点なんじゃないかな?


 たまには自分を認めてあげることだって大事でしょ?


 私は悲劇のヒロイン。


 だけど王子様なんて待たない。


 待っているのは強い自分。


 あの女に一泡吹かせられる強い自分。


 そんな自分を夢見て今日は古本片手におやすみ。


 


 


 



 


 


 


 


 


 


 


 

 

 


 


 

 


 


 


 


 

 

 


 


 


 


 


 


 

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