同情 06

 16時50分


 ロマンスの神様が降臨したと錯覚した曲がり角にてターゲットを捕捉した。


 2日ぶりの出会い。


 程よい緊張感と怒り。


 それは私に冷静さを持たせてくれた。


 私の住む町でヒステリックを起こすことはなさそう。


 お母さんに心配かけるのは嫌だからね。


 私は肩掛け鞄を背負いなおす。


 日が落ちるのが早くなった空は夕暮れの色に染められていて、街灯はすでに私の視界をサポートしてくれていた。


 日が過ぎるほどに寒さを増す季節からバランスをとるかのように町中は温かい香りに包まれている。


 息を大きく吸い、鼻に香りをため込んで吐き出す。


 白い息が口からあふれ出る。


 それを二酸化炭素だなんていうのはあまりに無粋じゃない。


 今日はこれを取り込みすぎた幸せのおすそ分けなんて言ってみたり。


 「幸せのおすそ分けだなんて光栄だな。それはプライスレスかな?」


 「皮肉ですか?生憎、将来は誰かに譲るつもりですので。もちろん永遠の愛とともに」


 「なんでも否定したがるのは思春期の性ってやつかね」


 「それはお互い様でしょ。あなただってこれからあいつを否定しに行くんだから」


 「否定?・・・・ハハッ、おもしろいね。否定か。君は0か100でしか物事を考えられないんだね」


 「っ!はぁ?意味わかりません。せつめ」


 「すまない。時間がないんだ。これから約束があるんでね」


 「あいつとのでしょ」


 「そうそう。理解が早くて助かるよ。それじゃあ」


 「ま、待って!」


 「安心したまえ。君との時間もばっちりとってるさ」


 彼女は薄ら笑いを浮かべ体の向きを変えた。


 その瞳には私が映っていたけれどあの女が見ていたのは私のダイナマイトボディじゃなくて私の中。


 心の奥底を無遠慮に覗き込まれた。


 あぁ。腹が立つなぁ。


 すべてを分かった気でいるあの女には心底腹が立つ。


 神にでもなった気なのだろうか。


 何も知らないくせに。


 私がどれだけ苦労したか。


 毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日・・・・・・・・


 私だって忘れたかった。気づかないふりしていたかった。知らなくてよかった。


 それなのに。それなのに。


 仕方ないじゃん。


 だって幼馴染だよ。

 

 親同士仲いいんだよ。


 家が隣なんだよ。


 そんなの仕方ないじゃん。


 「・・・・仕方ないじゃん」



 



 あいつらがあいつの家に入ってからどれくらいの時間が経っただろう。


 強烈な暴力と、苛烈な怒鳴り声と人混み。


 このまま家に帰るのはなんだかなぁって感じで、あの女と遭遇した曲がり角で様子をうかがっていたんだけど・・・・見ない方がよかったかもしれないと少し後悔している。


 決意が揺らぐ。


 私もあんな風に滅茶苦茶されるのかなぁと思うと足が震える。


 約束しちゃったのは蛮勇だったのかもしれない。


 せめて見えるところは殴らないでほしい。


 言い訳するのが面倒だからね。


 「あっ」


 出てきた。


 爽快な顔をして死んだ家から出てきたあの女は、あいつの家を振り返ることなく私の方へ向かってくる。


 どれくらい待っただろう。


 辺りはもう真っ暗で、空には星が散りばめられている。


 太陽の姿はもう捉えられないけれどその代わりに大きな月が空に浮かんでいた。


 寒さは先ほどよりも増し、手足がかじかむ。


 何呑気に歩いてるんだ。こっちは待ってるんだから走れよバカ!


 なんて鼻をすすりながら心の中で叫ぶ。


 「ほんとにここにいた」


 「当たり前でしょ。約束したんですから」


 「まぁ、そうだね。たしかに時間も場所も指定しなかったからそこで待つしかないな」


 「あなただって真っ先にここに来たじゃないですか」


 「それもそうだ。はっはっはー--!」


 目の前の女は大きな笑い声をあげる。


 だけど目の奥は笑っていない。


 怖いくらいに私を見据えている。


 まるでゴールを見据える競走馬のようにその目は私にだけ向いていた。


 彼女のポニーテールが風に揺れる。


 聡明な印象を抱かせる整った眉が瞬きと連動して動く。


 真っ赤になった拳は歴戦の武闘家を思わせるくせに、少しはだけたセーラー服から見える谷間がやけに色っぽい。


 寒さのせいか頬がほのかに色づいているのも相まってなにかを掻き立てられる。


 ちっ!むかつくなぁ。


 「舌打ちなんてひどいじゃないか」


 「これだけ待たせられたんですから当然でしょう。むしろこれで済んでありがたいと思ってください」


 「そういうものなのか」


 「そういうものでしょう」





 それから私たちは互いに見つめあい、夜の街灯の下で無言の時間が流れた。


 おそらく数分という短い時間だったけれどすごく長い時間を過ごしたと錯覚するほどに気まずい時間だった。


 周囲に人の姿は見当たらず、家の中の温かい明りがこの町を包んでいる。


 私のせいで途切れた会話だったんだろうか。


 次はあなたの番でしょなんて思っていたのに、いつしか私が悪いんじゃないかと思わせられた。


 ここで私から話せば負けだなんて意地になって無言を突き通していたけどもう無理そうだなぁ。


 寒いしね。


 「そ、それで・・・・さっきの続きですけど、0か100でしか物事を考えられないってどういう意味ですか?説明してください」


 我ながら下手な話の切り出し方だなぁって思うけれど。


 それくらいの方が愛嬌があっていいじゃないと切り替える。


 「フフッ。そうだねぇ、まぁそのままの意味なんだけど」


 彼女はあからさまに私を小馬鹿にした笑みを浮かべそのまま話し続ける。


 「私は彼を否定するつもりは一切ない。無論、死に対して肯定的な価値観を抱いているとかそういう事ではない。ただ私は彼のやり方を指摘したまでだよ」


 「指摘と否定なんて微々たる差でしょう。私には違いが分かりません」

 

 「そりゃあ君には分からないだろう」


 街灯に照らされる彼女の表情はやっぱり気味の悪い薄ら笑い。


 人を小馬鹿にしたような、まるですべてを悟っていると言いたげな、目の前の正解をどうして拾えないんだろうと私の無能を憐れんだような。


 そんな表情。


 なら、私はどんな表情をしてるんだろう。


 眉間に皺を寄せて怒りの表情?何言ってんだって疑問を浮かべる表情?それとも・・・・・・・・不安な表情?


 とにかく、彼女と話していると心が不安定になる。


 せめて、せめてのまれないためにも気丈に振舞おう。


 「どうして分からないんですか」


 口調を強める。


 猫が毛を逆立てるように、私は制服の袖を強く握る。


 これがせめてもの抵抗。


 「だって君、責任感ないじゃん」


 「い、意味わかんない!」


 彼女からの唐突なセリフは私から冷静さを剥ぎ取り、その代わりに分かりやすい怒りの感情を声に乗せた。


 しかし彼女はそんな私をあしらうかのように平静で、表情一つ変えずに淡々と口を開き続ける。


 「否定っていうのは責任感がなくてもできるんだ。間違っているなんて言うのは簡単だからね。でもね指摘するには相手の人生に介入する責任が伴うんだよ。だから君には分からないんだ。彼に対して全く責任を持てていない君にはね」


 「知ったような口を・・・・・・・・あなた何も知らないじゃないですか。私は!私は、あいつが学校に来なくなってからずっとプリントとか届けてた。あいつの家に真っ先に向かったのは私だし、その時に怖いこと言われてもめげずにあいつと向き合ってた!」


 それにそれに・・・・と私はこれまでの成果を、私があいつににかけてきた時間を声が枯れるまで叫んだ。


 むかついた。どうして私の苦労が分からない。私がどれだけ悩んだか。


 親や先生に板挟みにされて、何かと近いことを棚に上げて期待されることの辛さだって知らないくせに。


 あいつもあいつだ。


 いつまでくよくよしてるんだ。


 また私がこんなよくわからないことに巻き込まれてるじゃない。


 いつまで私はこんなことしなきゃならないんだ。


 責任感がない?あるから今もこうやって知らない女と戦ってるんじゃない。


 毎日ファイルを届けてるんじゃない。

 

 なんなんだ。どうして誰も気づかないんだ。


 1番可哀そうなのは私じゃないか。


 「・・・・そろそろそういうのは辞めようか。見ていて腹が立つ」


 「腹が立っているのは私だ!」


 「なら、君はどうして怒っているのかい?」


 「何も知らないあんたが私に知った口きいてくるところと、そんなあんたにあいつが媚びているところです」


 「ふぅーん。やっぱり君はどこまでも弱者だ」


 「どういうことです?」


 「だっておかしいと思わない?君は彼を助けるために行動してきたんだよね。それならどうして彼を助けようとしている私にこんなにも反抗的なのかな」


 「それは・・・・・・・・」


 「やり方がどうとか、そういうことに怒っているわけじゃないんだもんね。彼への過剰な暴力のせいで怒っているとは一言も言わなかった」


 彼女は1歩私に詰め寄る。


 「何も知らない私だから怒っているって本当なのかい?なら、今から君に色々教えてもらえば私は君とも仲良くなりつつ彼と接触できるのかな」


 じりじりとまた1歩私に詰め寄る。


 「まぁ、生憎私は君のことを好きになれそうにないんだけれど。そんなことはいいんだ。返答がないってことは、君たちのことを知ったうえで彼に接触しても君は私に反抗的な態度をとるってことだよね」


 また1歩また1歩私との距離は縮まる。


 私はじりじりと彼女に押されているかのように下がり続け、ついに背中が壁にぶつかった。


 「じゃあもう1度聞く。君はどうして怒っているのかい?」


 「わ、私が・・・・・・・・」


 目線がどんどんとコンクリートに吸われる。


 視線が揺れる。


 頭が真っ白になる。


 何か取り返しのつかない悪いことをしてしまったかのように不安になり、それと同時にどうしようもなく何かにすがりたくなる気持ちが芽生えた。


 私の善意に見えない何かが迫ってきて、その真偽を執拗に問いかけてくる。


 分からない、怖い、そんな不確実で不確定な要素が充満し、気付けば私はその場にしゃがみこんでしまっていた。


 「自分のことを話すのは恥ずかしい。ならば僭越ながら私が正解を君に突き付けてあげる。本当は君の口から出てくることの方が望ましいんだけれど」


 そんな前置きを意気揚々と告げ、彼女はしゃがみこむ私に聞かせるために彼女自身もひざを曲げた。


 私の視線は変わらず地面に吸われているままだったけれど、彼女は可能な限り私と視線を合わせ口を開く。


 その時、私の逃げ場がなくなった。


 「君は君の居場所が奪われそうになったから私たちに怒っているんだ」


 感情のこもっていない声色が私の耳を体を脳を心を貫いた。


 その声をたどるように私の瞳は彼女の方へ向き直る。


 街灯に照らされているはずなのに彼女の瞳には光が消えてなくなっていて、というか最初からなかった気がした。


 三日月のように不自然な口元は気味が悪い薄ら笑いを浮かべた表情を形作り、私はそんな彼女の視線に畏怖の念を抱き、か弱い私は私自身をどこかへ置き去りにして走り去ってしまった。


 私は私にすがりきることが出来ず、私から逃げた。


 今、私の体は空っぽで、そんな私の口は彼女に導かれるままに開かれる。


 「私は弱者です」


 「知ってる」


 「人の頼みごとを断れない未熟物です」


 「知ってる」


 「私はそんな私が可愛いくて可哀そうで仕方ないです」


 「知ってる」


 「あいつの世話を焼くことがいつの間にか私の・・・・私の居場所になって・・・・世話を焼いている自分を勝手に悲劇のヒロインみたいに勘違いして」


 「それで?」


 頬が濡れる。


 逃げることを諦めた私が帰ってきたみたい。


 そもそも逃げ場なんてなかったんだって悲しい顔をしている。


 「・・・・・・・・あいつに『同情』したふりを続けて、仕方ないなんて嘆いて・・・・・・・・本当に『同情』していたのは私自身に対してなのに」


 彼女は私の頭にポンっと手を置き、そのまま体を沿うようにして背中をさする。


 「私、ほんと少女漫画脳だ。幻想を現実と勘違いしちゃった痛い女だ」


 「仕方ない。君は悪くない」


 彼女はそんな甘い言葉を投げかけながら私の背中をさすり続ける。

 

 ・・・・・・・・ほんと、この女はどこまでも意地汚いなぁ。


 最後まで私を試してくる。


 私は頬に流れる何かを拭い、本当の意味で彼女に向き直る。


 「悲劇のヒロインは諦めが悪いんです。だからこそ『運命』を掴み取るんです。私は今やらなきゃならないことを見つけました。だからいつまでも仕方ないなんて言ってられません」


 「ふぅーん」


 「はいくらでもあります。だからこそ私は今できる最善を尽くします」


 言いきった。言いきれた。言い過ぎた?いやいやそんなことないよね。


 「痛いっ!」


 背中に衝撃が走る。


 寒さで痛みの広がりが速い。


 じんじんとした痛みが背中を蔓延した後、体中を熱が覆った。


 彼女はそんな私を見下ろすように立ち上がり、腰に手を当てる。


 「馬鹿げた幻想は未だ健在ってところだけど、それも君ってことなんだろう」


 彼女は1人でに首肯を繰り返し勝手に納得している。


 「だけどそんな目元を腫らした状態じゃだめだ。私の辞書には、外見の良さってのは女の最大の飛び道具だと記されている。だからこそ君もコンディションの整った、最大限飛び道具が活かせる状態で臨むべきだ」


 「なんですかそれ。外見至上主義ですか」


 「女なんて見た目が9割だろう。中身なんて見た目がよくなければそもそも見てもらえない」


 「うわぁー。あなたよくそんなので生きてこられましたね」


 「ふんっ。私は体も鍛えているからな。そうそう簡単には死なないし逃げないし負けないさ。・・・・あいつみたいに」


 「え?」


 「なんでもない。早く帰れ。親が悲しむぞ」


 「そうですね。それじゃあ。おやすみなさい」


 「あぁ、おやすみ」


 そうして私たちは曲がり角を境に帰路へ向かった。


 あぁ、体が重い。


 やっぱり私はバランス感覚が鈍いみたいだなぁ。


 


 


 


 

 


 


 

 

 


 


 


 


 


 


 


 


 

 


 


 


 


 


 




 


 


 


 

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