同情 05

 11月28日


 あの手紙を見てから休日を挟んで2日経った。


 心を落ち着かせる期間としては十分なはずだったんだけど・・・・・・・・あの時に感じた明確な怒りは消えなかった。


 沸騰したお湯から沸きあがる泡のように私の怒りは止まることを知らない。


 それなのにそんな私の気持ちを無視するかのように、近づくもの触れるもの何もかもを拒絶し、背中の甲羅に閉じこもる亀の如く家から1歩もでないあいつに私以外の誰かが救いの手を差し伸べようとしている。


 私の苦労も知らないで。


 あいつの事情も知らないで。


 何にも知らないで。


 まるで今までの私の行為が不正解だと言われた気がした。


 この手紙の差出人が自分自身こそが正解で、自分のやり方こそが相応しいと傲岸不遜に佇んでいるのが目に見えるようだ。


 やっぱり腹が立つ。


 そもそもこの問題に正解も不正解もないじゃない。


 あいつからこの問題が解消されたからと言って正解というわけではない。


 あいつが社会復帰できたからって正解ってわけでもないと私は思う。


 それに、あいつが私や手紙の差出人のやり方のせいでさらに塞ぎこんでもそれは不正解じゃない。


 この問題の正解はあいつの両親が亡くなってしまったという事実を無くすことで、不正解はあいつの両親が亡くなってしまったこと。


 だからこそこの問題に正解も不正解もない。


 なぜならもうどちらも修復不可能で、時間切れで、過ぎ去った事実だから。


 思い出は時間とともに風化するけれど、現実は教室の床に染みついた汚れのようにこすってもこすっても残り続ける。


 もはや何の汚れか分からなくなった黒ずみはどんな強い薬剤でこすっても取れない。


 こすり方を変えても、強くこすってもその汚れの前では無力で、ただただ自分自身が惨めになるだけだ。


 唯一の方法はその汚れのためだけに床を張り替えること。


 だけどそれはどう解釈を変えても人間相手では不可能で。


 なら、あいつの中にこべりつく黒ずみは教室の床よりも厄介じゃない・・・・


 しかしそんな黒ずみを手紙の差出人は取り除こうとしている。


 それもおそらく強制的に。


 どんなやり方をするのかは分からないけど、どんな結果が待っているのかも分からないけれどやっぱり腹が立つものは腹が立つ。


 だってあれだよ。


 例えるなら、無理だと分かっていても仕方なくこすっていた教室の黒ずみを突然私以外の誰かが奪い去っていった感覚。


 もっとむかつく例え方をするなら、無限にも思える長蛇の列を並ぶ私の前に横入りしてこられた感覚。


 それも悪びれる様子もなく、焦った様子もなく、淡々とまるでこれが正解であんたが呑気でいるのが悪いって言われたような。


 そんな私はこうやってむかつくむかつくって心の中で自分に愚痴って、そしていつも通り「仕方ない、仕方ない」って諦めるんだろうなぁ。


 そうやって2日間の休日は心を鎮めようとしたんだよ。


 でもね・・・・・・・・今回は収まらなかった。


 私はあいつにそして手紙の差出人・・・・・・・・もうごまかすのは辞めよう。


 あの女だ。あの女に言ってやろう。


 どうせあの本がきっかけなんだろ。


 どうせあいつに『同情』したんだろう?


 あわよくば思いっきり殴ってやろう。


 ・・・・・・・・なぁんてこんなクリームパンみたいな拳じゃ無理かぁ。


 うん。殴るのは諦めよう。


 負けそうだし。


 でも、だけど、今回ばっかりはそれくらいの気合で臨もう。


 だってこれは仕方なくないんだから。



 

 教室にぽっかりと空いた穴。


 誰よりも軽い机と温もりのない椅子が私の瞳によく映る。


 その姿がまるで従順で健気で可哀そうな犬のように見える私はやっぱり少女漫画脳なんだろうか。


 誰もいないはずなのにどうしてか異彩な存在感を放つそれらの所有者は1度たりとも現れない。


 なにか物語が生まれそうな主人のいない机と椅子から紡がれるのはやっぱりバッドエンド。


 最後の最後に病気で死んだり、束の間の幸せの後の交通事故だったり。


 この世はバランスをとりたがる。


 だからこそ私もあいつに対していつまでも『同情』している場合じゃない。


 仕方ないなんて言ってられない。


 私の人生はあいつのためにあるわけじゃない。


 あいつの方へ偏ってしまった今が長引いたせいで感覚が麻痺している。


 異常を正常だと無意識に認識違いを起こしている。


 事実、学級の皆はもう教室の穴に見向きもしない。


 最初は訝し気な視線や好奇心旺盛な視線が飛び交い、幼馴染の私に無遠慮な質問が来ることもあったけど、中学生活も終盤を迎えた今そんな質問をする生徒は1人もいない。


 もちろん受験や将来のことに必死でそれどころじゃないっていうのもあるんだろうけど、それ以前に皆は前を見ているんだと思う。


 隣を気にする余裕は人生において無駄だという事を無意識のうちに理解してるんだろう。


 前に進むために無駄な重りは捨てて、バランスのいい体で1歩1歩進んでいる。


 私みたいに誰かの視線におどおどしたり、頼まれごとを断れなかったりっていうのはあまりに情弱で皆に対して失礼で人生において慢心しているんだろうなぁ。


 「伏見。今日もよろしく」


 「えっ、あっ・・・・・・・・はい」


 先生から今日も手渡されるファイル。


 あまりに軽いそのファイルだけれど、このファイルが今日私たちが学び得たものなんだと考えると実はあいつの方が賢い生き方をしているんじゃないかと勘違いする。


 だけどあいつは過去に私たちが経験した以上の重みを背負ったんだと考えるのなら、やっぱりこの世はバランスをとっているんだなぁなんて勝手に納得してしまう。


 「おい。大丈夫か?体調悪いのか?」


 「いえ、全然元気ですよ」


 「そうか。なんだか伏見とこうやって話すのは久しぶりだな・・・・・・・・おっと今日は会議があるんだった。じゃあな。気をつけて帰れよ」


 そして先生は教室を後にした。


 気を付けて帰れよ・・・・・・・・か。


 やっぱり先生は馬鹿だなぁ。


 できれば今日は気を張って帰れよと言って欲しかったなぁ。


 私はあいつの机に僅かな重みを返し、教室を後にした。


 なんだか今日は体が軽いなぁ。


 


 


 


 


 




 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 

 

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