運命 01

 朝の強い日差しを受けて制服に袖を通す。


 茹だるような夏の暑さにも慣れてきたころ、僕は自分の部屋を後にし洗面台へ向かう。


 階段を1歩1歩下りながら、今日の予定を頭の中で繰り返す。


 洗面台の三面鏡に映る自分の顔に思い切り水をかけ、今日をやりきるための気合を入れる。


 様々な音が家の外から漏れ出るのを聞きながらの朝食は優雅なのか、それとも貧乏くさいのか。


 鳥の囀り、木々のざわめきなんて言えば、まるで森の中のログハウスにてブラックコーヒーをすすりながらパンケーキを呑気にナイフとフォークで食している風景が浮かんでくるけれど・・・・・・・・


 今、僕の耳に流れ込んでくる音は誰かが自転車のスタンドを蹴り上げる音や、朝が弱い子供に辟易しつつ怒りを隠せない母親の怒鳴り声、そして・・・・・・・・1つ上の階の僕の部屋の窓を何度も叩きながら「まー君」なんて大きな声で叫ぶ女の声といったあまりに俗物的で、どこまでもリアルで。


 だけど静かすぎるよりもいいのかもしれないなぁなんて考えている自分もいて。


 ・・・・・・・・まぁそんなこと認めるつもりは毛頭ないんだけど。


 僕は焼くのすら面倒くさがったフニャフニャのトーストを飲み込み、腹に力を入れる。


 目線はこの部屋の1つ上。けれど僕の目には見慣れた天井。


 その方向へ向かって馬鹿みたいに叫ぶ。


 「うるせぇぇぇぇぇぇぇぇ!」





 もう1度歯を磨き、忘れ物がないかと最後の確認をした後、僕は扉を開ける。


 家の中よりも強烈に僕の体を刺激する紫外線は、僕の白い肌には顕著に影響するわけで。


 だけどそんなうざったい日差しよりも数倍目を細めたくなるような存在が僕の前に佇む。


 「遅いぞまー君!レディを待たせるなんて思い上がりすぎなんだからね」


 「朝から面白い冗談を言えるようになったんだな、自称レディ。いいか、レディは自撮り棒を自撮りするために使うんだ。お前がやったことはテレビのリモコンを孫の手みたいに使う憔悴しきったどこかの母親と同じだ。雑なんだよ。優雅さのかけらもない」


 「ぐぬぬぬ・・・・うるさいのよ。そんなんだからいつまで経っても友達いないのよ」


 「友達がいないんじゃなくて、友達がいらないだけだ。勘違いするな」


 「ふん。まー君にはね愛嬌がないのよ。人間も犬や猫なんかの愛玩動物と一緒で愛嬌がなければ死ぬまで一生野生を生きなきゃならないものよ。だけど犬や猫なんかと違って野生に対応していない人間は生きていけないわ。だからまー君はクラスというコミュニティで孤立してるのよ。そしていつか限界が来るわ」


 まるですべてを悟りきり、人生は2度目だなんて言いたげな態度で僕の欠点やこれからの生き方、コミュニティでの振舞い方なんかを語る彼女こそが僕にとって目を細めなければ見ていられない対象で日差しよりもうざったくて、そしてまぶしい存在だった。


 夏の乾いた風が揺らす黒髪は後ろで1つにまとめられている。


 そのおかげであらわになった首元からは清涼感と共に、どこか蠱惑的な魅力があふれ出ていて危うい。


 まるでウズラの卵のような眼は幼さを醸し出しながらも、僕を見据える瞳からは形容しがたい大人っぽさがにじみ出ていてアンバランスだった。


 全体的に丸っこい印象のある彼女だけれど、けして太っているというわけではなくて、むしろその現実的で包容力のあるフォルムが僕を踏み込んではいけない場所へ誘う。


 可愛げのある彼女は分け隔てなく誰とでも接する姿から異性にも好かれ、そして異性に好かれていることを鼻にかけないところが同性にも好かれる。


 気味が悪くなく、自然な謙遜が彼女の立ち位置を守り、それこそが彼女が今まで試行錯誤を繰り返し身に着けた処世術なんだろうと思うと感心する。


 そんな柔らかい印象を持つ彼女は僕なんかと違って男女ともに誰からも好かれていた。


 嫌いな人を探す方が難しいくらいに皆が彼女に対して好意的な印象を抱いていた。


 だけどそんな彼女に僕は悪態をつき、素直にならない。


 場所を選ばず僕のような排他的な存在に首をつっこむ彼女は、第三者から見ればそれこそが唯一の汚点だった。


 学級という、ある種世界の縮図とも呼べる場所で自ら汚点を作るような彼女を守るためにも僕は彼女とある一定の境界を築かなければならない。


 守るなんて大それたこと言う資格はないかもしれないけれど、彼女の日常をこれ以上汚さないためにもそこははっきりとしておいた方がいい。


 そう思って僕は彼女を突き放すんだけれど。


 「ほら、遅刻しちゃうよ!急いで急いで」


 今ではまるで思春期真っ只中のややこしい子供を持つ母親のようになってしまった。


 「罪滅ぼしのつもりか?」


 僕を引っ張りながら走る彼女の手を払いのけ立ち止まる。


 僕と連動するかのように立ち止まった彼女の立ち位置は僕より前で、どこか僕は置いてけぼりにされた気分に陥った。


 彼女の背に向かって行った僕の声は多分届いている。


 けれど彼女は僕の方を振り返らずにもう1度僕の手を強く握った。


 「私の罪は何をしても消えないよ。だから私は罪滅ぼしなんてしない。だけどそれは罪を忘れたってわけじゃない。私は罪を背負いながら、最後まで背負いながら生きていくことを決めた。私は後ろを振り返りながら生きるのを辞めて前だけ見ることに決めたの」


 そして彼女は走り出す。


 運動の苦手な彼女はやけに体を揺らしながら、だけど1歩1歩確実に風を切りながら進んでいる。


 荒い息の中、彼女はもう1度僕に向かって言葉を紡いだ。


 「だからまー君もいいかげん前を向きなよ。まー君にだって幸せになる権利はあるんだよ」


 僕はそんな彼女のセリフを耳にしながらも、頭の中は『惨憺』な彼女のことで一杯だった。


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 

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