第六話「終着点」

 それからいくつかの戦闘を経て、一行は大広間に辿り着いた。周囲の壁には螺旋階段のような装飾が施され、地面から遙か遠くの天井付近まで、ぐるりと伸びている。

 明らかに、これまでとは違う特殊な造り。空気やその匂いまでもが違って感じると、アデルは周囲を見渡しながら思う。だが、その違いだけでなく、理由までもを感じ取っていたのはアルドだった。部屋に踏み入るなり、剣を抜き放ち、身構える。


「……いかにもって感じだな!」


「ええ! 恐らく、ここが最後だと思います!」


 頷くアリッサに、アデルは戸惑いながらも訊ねる。


「そういうのって、わかるものなの?」


「もちろん例外はありますが、ダンジョンの構造は、段々洗練されてきていますからね! あまりに奇抜な構造だと、クリアも困難になってしまいますし、心構えという点でも、あからさまな方が落ち着くと言いますか、盛り上がるといいますか……古今東西、ダンジョンの最終目的は、冒険者にクリアしてもらうことにあって──」


 アリッサは急に振り返る。その視線の先、広間の中心で、空間が歪んでいた。

 まるで渦巻きのように収束し、そこから球体が現れた。完全な、黒い球体。


「なんだ? どんな化け物が出てくるかと思ったら、最後は玉っころかよ!」


「逃げてっ!」


 アリッサが声を張り上げる。必死に。


「何をそんな──」


 アリッサは駆け出す。黒い玉から黒い線が延びる。それがまっすぐ、アルドに伸び──

 ドン。アリッサはアルドを突き飛ばし。代わりその黒い線を両手で受け止める。


「バグってますっ!」


「ば?」


「アデルさんを連れて、早く逃げてください!」


「逃げるって、それに、アリッサは──」


「早くっ!」


「……でもさ、逃げれそうもないぜ、こりゃ」


 アルドは立ち上がると、剣を構え直す。上空から、巨大な四つ足の獣が降り立った。見た目こそ、これまで何度もアルドが切り捨ててきた狼のような魔獣だが、その大きさは見上げるほど。さらに、尻尾が何本も揺れていた。咆哮。ビリビリと、空気が揺れる。アリッサはそれを横目に、首を振る。


「ボスまで健在なんて──」


 黒い玉から新たな線が無数に、幾重にも伸び、アリッサに襲いかかる。


「アリッサっ!」


 アデルが叫ぶ。次の瞬間、黒い線が無数の断片となって、空に舞い上がった。

 アリッサが掲げた両の手は、もはや手袋に覆われていなかった。

 ──機械の手。皮も肉もない、剥き出しの金属。螺子に歯車。漆黒の爪。


「……うう、お師匠様、ごめんなさいっ!」


 アリッサは機械の手を祈るように重ね合わせ、頭を下げると、黒い玉に向かって飛翔。迫り来る黒い線をことごとく弾き、切り裂き、黒い玉へと肉薄していく。その一連の動きが、アデルには影が走ったようにしか見えなかった。一体、何が──


「アルドさんっ! そっちは任せますっ!」


「……しゃーねぇ、任されたっ!」


 アルドは身の丈の何倍もあるような魔獣に斬りかかる。アリッサとは違い、アデルでも何とか目で追える動きではあったが、その迫力は、身がすくむ程であった。

 巧みに魔獣の攻撃をかわし、切りつけていくアルド。魔獣が血しぶきを上げる。だが、その傷口が、みるみるうちに塞がっていく。


「なっ、回復していきやがるっ!」


 ──ズドン。黒い玉が壁に衝突し、めり込んでいる。

 アリッサの機械の手がそれをなしたことは、波打つようにうごめき、なおも黒い球を切り裂かんと猛り狂っている爪先から、明らかであるとアデルには感じられた。

 だが、両手と 綱引きするように腰を落としたアリッサは、頭を振って叫んだ。


「こっちもダメですっ! ギミックを解かないとっ!」


「なんだそりゃ?」


「倒すための方法ですっ! 必ず用意されているはずですが、逆に言えば、それを解かないと、絶対に倒せないということでもありますっ!」


「マジかよーっ!」


 黒い玉は壁から離れ、新たな線を幾重にも放ち、アリッサに向かう。いくら切断されても、それは無尽蔵に伸びていくのだった。魔獣はアルド丸呑みにせんとばかりに口を開け、飛びかかり、それをアルドが転がってかわすと、獲物を仕留め損ねたことを悔しがるように、尻尾を地面に叩きつけるのだった。それらの戦いを、アデルは呆然と眺めていた。そして思う、どうして自分は無事なのだろう、と。

 あの黒い玉が、自分に向けて黒い線を延ばせば、あるいは、魔獣が自分に飛びかかれば、一瞬のうちに、命が奪われることは間違いないのに。だが、黒い球も、魔獣も、自分には目もくれない。……まるで、自分がそこに存在していないかのように。

 はっとして、アデルはポケットに手を伸ばす。取り出したのは、白い玉。この玉の、お陰なのだろうか? そうなら、きっとこの玉には、特別な力があるのだろう。

 ……投げつけみようか? だが、すぐに考えを打ち消す。黒い玉は無理にしても、魔獣には当てられるかもしれない。ただ、それで何も起こらなかったから、むしろ、これを手放した瞬間、自分が狙われたら……。

 だが、じっとしている訳にもいかなかった。今、安全に、考えることができるのは、自分しかいなかった。自分に何ができるとも思えない。だが、やらなければ。

 ──そもそも、なぜこの白い玉は現れたのだろう?

 

ダンジョンの最終目的は、冒険者にクリアしてもらうことにあって──


 ──ふと、アリッサの言葉が蘇る。

 やはり、この玉がクリアの鍵であろうと、アデルは見当を付ける。後は、これをどう使うか……余りにも難解な使い方だったら、使い方に気づかれことがなく、クリアすることができない。それなら、やはり、投げつけるのだろうか?

 アデルは改めて部屋を見渡す。何かないか……それが何かはわからないが、一目見たら、それだとわかるような何かが。壁に目が留まる。壁が大きく窪んでいる。それは、黒い球がめり込んでできた窪みだった。……そう、あんな感じに、はめ込めるような場所はないものか。

 だが、白い球は小さく、それをはめ込む窪みがあるとしても、それを探し出すのはとても現実的ではなかった。もうどうしたらいいのよと、アデルは天を仰ぐ。

 螺旋階段のような装飾が、地面から天井付近まで、ぐるりと……ん、螺旋階段? アデルは顔を引き戻し、その装飾の始まりを探す。それは、地面まで続いていた。

 その板のような装飾を上り続ければ、一番上まで辿り着くとができるだろう。そこに都合良く、白い球を入れる窪みがあるとは限らない。だが、もうそれしか思いつかなかった。そこに何もなければ、上から白い玉を投げ捨てればいい……そう心に決め、アデルは階段の始まりに向けて走り出した。


 上り初めてすぐに、これは階段だと、アデルは確信した。上りやすい、適度な間隔。板が壁に突き刺さっているだけという、欠陥建築としか思えない足場が、自分一人が乗っただけで崩れ落ちるような柔なものではないということも、わかった。飛び跳ねても、びくともしないだろう……試しはしなかったが。

 だが、その道のりは険しかった。広間の外周をぐるりと何周も、急勾配でもないものの、その分、上り切るにはかなりの時間が必要だった。

 その間にも、アリッサとアルドの戦いは続いていた。それが効果はないとしても、何度も攻撃を繰り返すことが、その答えであるかもしれないと言わんばかりに。

 黒い玉と魔獣、そのいずれかがこちらに飛ばされてきたらという不安はあったが、やがてアデルは、そんなことを考えることもなくなった。

 上を目指す。一歩一歩、確実に、着実に、上り続ける。それ以外のことは、何も考えず、ただ上り続ける。そこに、不思議な心地良さすら感じるアデルであった。


 ──永遠に続くかと思えた道も、終わりがやってきた。

 アデルは眼下を見下ろす。戦いはなおも……くらっとして、壁に手を突く。

 今や、ゴールは明らかだった。そこにはあからさまなレリーフがあり、窪みも見えた。あそこに白い玉をはめ込めば、何かが起こる。アデルは確信していた。

 ただ、問題もあった。歯抜けのように、足場が一つ欠落していたのである。それでも、次の足場までは、ピョンっと一っ飛びすれば届きそうな、何でもない距離ではあった。……ここが、広々とした地面の上だったならば。今やアデルの足はガクガクと震え、その一歩を踏み出せずにいた。万が一、足を踏み外したら、落ちたとしたら、まず命はないだろう。

 ……今更ながら、自分は何をやっているのだろうと、アデルは思う。首尾良くあの足場に飛び移り、全てが終わったとしても、またこの階段を下っていくというのだろうか? それはきっと、上ること以上の恐怖だろうし、足場がこのままであるという保証もない。

 そもそも、なんでこんなところにきてしまったか。ダンジョンなんて、何の興味も関心もなかった。旅行鞄を鑑定師に調べて貰おうと思ったのも、何でもない、ただの鞄であることを確かめたかっただけなのだ。……いや、本当にそうだろうか? うん、そのはずだ。

 それなのに、今はこうして、馬鹿げた窮地に陥っている。作られたダンジョン。あれもこれも、全て作られたものだ。そんな嘘の世界で必死になっている私達は、一体何なのだろう? ……やっぱり、ダンジョンは最悪だ。

 ──だけど。そんなことを考えている場合ではなかった。戦いはなおも続いていたが、いつまでもというわけにはいかない。ギミックとやらを解くことができれば、二人を助けられるかもしれない。今は、それだけでよかった。何が、自分が、どうなろうと、やるしかない。

 アデルは深呼吸をして、軽やかに飛んだ。ごく自然に、次の足場へと辿り着く。元々、無理な距離ではなかったのだから、当然の帰結ではある。だが、アデルは全身から力が抜け落ちていきそうだった。震える手で、ポケットから白い玉を……つるっと滑り落ちていくそれを、とっさにスカートの裾を持ち上げ、受け止める。込み上げる安堵と笑い。アデルは震えが治まった手で、白い玉を窪みにはめた。

 

 ──その変化は突然だった。黒い玉は伸縮を繰り返し、やがて四面体に変形。一方、魔獣はその身がみるみると縮み、目線の高さはアルドと同じになった。

 アリッサとアルドは驚いたものの、それが意味することを感じ取っていた。


 ギミックが、解けた。


 アリッサは四面体に向かい、その機械の手を振るった。


血風乱爪ブラッディークロー!」


 アルドは魔獣の首に、渾身の一撃を叩き込む。


速覇断切ソニックスラッシュ!」


 四面体は砕け散り消滅。お、終わった~と、アリッサは額の汗を拭う。だが、その機械の手はまだ暴れ足りないとでもいうように、わしゃわしゃとうごめいていた。

 魔獣の首と胴は二つに分かれ、煙のように消えていった。……死体が残らないのはありがたいぜと、アルドはその場に腰を下ろした。


 ドンと、広間全体が揺れた。壁に大穴が開き、白煙の中から、短い銀髪を掻き上げ、褐色の肌をした女性が歩み出てくる。ゆったりとした、鑑定師の制服。おもむろに両手を伸ばし、上空から落ちてきたそれを、揺るぎなく受け止める──それは、アデルだった。


 アデルは固く閉じていた目を開く。間近に顔。銀髪の女性。深紅の瞳。その圧倒的な美貌に、アデルは今し方、死の淵にあったことも忘れ、ただ、見とれていた。


「大丈夫か?」


「は、はい……」


「投げるぞ」


「え?」


 ポイッという感じで、アデルは宙に浮き、ドシンと地面に落ちた。鈍い痛み。

 アデルが腰を摩りつつ顔を上げると、銀髪の女性に向かって、アリッサがその機械の手を突き出しているところだった。それを銀髪の女性は、アリッサの手首を掴むことで止めていた。右も、左も。

 猛り狂う十本の狂気を目前にしても、銀髪の女性の美貌が歪むことはなかった。一方のアリッサは、両手の凶暴さとは裏腹の笑顔で、しきりに頷く。


「鑑定師って、お師匠様のことだったんですねっ!」


 お師匠様……じゃあ、彼女がアシュラ・シュラ・シュタインなのねと、アデルは思う。世界でただ一人、魔族のダンジョン鑑定師。その美しさも、さもありなん。


「お師匠様? お前、こんな物騒なものを、どこで?」


「ごめんなさいっ! 勝手に封印を解いちゃって……」


「よくわからんが、まずはこいつを黙らせるか」


 アシュラは頭を振り上げると、その額をアリッサの機械の手に落とした。


神魔必滅ラグナストライク!」

 

 ドズンと重低音が響き、アリッサの機械の手は、それまでの暴れっぷりが嘘のように、垂れ下がった。アリッサは両手をぶらぶら振りつつ、アシュラに頭を下げる。


「お師匠様、ありがとうございますっ!」


「……三秒だけ、時間をくれ」


 アシュラは宣言通り三秒経つと、頷いた。


「……オレハ、オマエノ、オシショウサマダ!」


「そうですよっ! 何を言ってるんですか、もう~お師匠様ったら~!」


 棒読みが過ぎるとアデルは思ったが、アリッサは気にしていないようだった。アシュラはアリッサが握ったり、開いたりを繰り返している両手を指さす。


「それを封印するものがあるだろう? さっさとつけることだな」


「あ、そうでしたっ!」


 アリッサは制服のポケットから黒い革手袋を取り出し、機械の手にいそいそとはめていく。アシュラは大広間を見渡し、その激闘の痕跡に、切れ長の瞳をなおも細める。


「彼女があんまり心配するものだから強行したが、取り越し苦労だったな」


「彼女?」


「アーノルドっ!」


 煙の晴れた大穴から駆け出してきた少女が、座り込んでいるアルドに飛びかかる。


「うわっ! アデルっ!」


「アリスよっ! 一人で行くなんて、何考えてるのよっ! 心配したんだからっ!」


「わかった! 分かったから、殴るなって!」


 アルドに馬乗りになっていたアリスは、振り下ろした拳をピタリと止める。


「……それで、誰よ、アデルって?」


「それは……あ、いたいた」


 アルドはアリス腰を掴んでひょいと脇にどかし、立ち上がると、座り込んでいるアデルに向かって駆け寄り、手を差し出した。


「おい、無事か?」


「あ、え、ええ……」


 放心したようにその手を取り、立ち上がるアデル。その前に、アリスが立つ。その服装こそ魔術師のローブとドレスで異なっていたが、その金髪、青い瞳に至るまで、二人はそっくり、生き写しだった。違いと言えば、アリスの泣きぼくろただ一つ。


「……こんなところに、鏡があったかしら?」


「あなたが、アリス?」


「ええ。あなたがアデル? ……美人じゃないの」


「あなたもね」


「なんて会話してるんだよ」


「あ、アデルっ! どうしたのっ!」


 アリスが悲鳴を上げる。アデルは自分の体が光り輝いていることを知った。アリッサに顔を向けると、アリッサもまた、同様に光を放っていた。

 ……そっか、帰るんだと、アデルは思う。


「私、帰らないと」


「ああ、そうか。……クリアしたもんな」


 アリスは見つめ合うアデルとアルドを見比べ、頬を膨らませる。


「もうっ! 帰るって何よっ!」


「後で話すって……その、ありがとな」


 差し出された手を、アデルは握り返す。記憶に残っている、痩せて、乾き、節くれ立った手ではない、熱く、肉厚で、力強いその手を。


「さようなら、おじ──」


 アデルの体は光の粒子となって消えた。


「お師匠様、お先に失礼しまーす! たまには早く帰ってきてくださいよ-!」


 続いて、アリッサの体も光の粒子となって消えた。「え、何? どうしたの!」と慌てるアリスを、「落ち着けって!」とアルドが宥める。アシュラはアリッサが消えた宙空を、深紅の瞳でじっと見詰めていた。


「……お師匠様、か」

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