第五話「休憩」

 それから数度の戦闘を経て、一行は四角く開けた大部屋に出た。

 天井もこれまでの通路より一段と高く、開放感があった。アルドがうんと伸びをするのも分からないでもないアデルだったが、もはや、それどころではなかった。

 一刻も早く、出口に辿り着かなければ。アデルの思いは、もうそれしかなかった。


「ここらで一休みしていくか」


 アルドの提案に、アリッサは諸手を挙げて賛同する。


「いいですね! ……ああ、何かおやつでも持ってこられてたらなぁ」


 嘆くアリッサに、アルドはにやりと笑って見せる。


「その点なら、ぬかりはないぜ! ドライフルーツと飲み物なら──」


「休んでなんていられないわ。早く行きましょう」


 アデルは立ち止まることなく、歩き続ける。


「待てよ、お前も疲れてるだろ? こういうの、慣れてなさそうだしな」


「そうですよ、アデルさん! お顔の色も優れませんし……」


「そんな時間ないのよ、私には!」


 アデルの剣幕に、アルドがぽんと手を打ち鳴らす。


「なんだ、う○こか」

 

「違うわよっ! お手洗いに行きたいだけっ!」


 アデルは顔を真っ赤にして吠える。


「……同じじゃねぇか。いいから、ちょっと引き返して、やってこいよ」


「できるわけないじゃないっ! 冒険者には、普通のことかもしれないけどねっ!」


「馬鹿にするなよ! 俺達はなぁ、備えをしているんだよ! 携帯トイレとか!」


「あるのっ!」


 アデルの顔が希望に輝く。だが、アルドは「あ……」と、頬を掻く。


「そういうのは、アリスが持ってるんだった。すまん」


 その場に崩れ落ちるアデル。アリッサはアデルに近づき、その肩に手を置いた。 


「……アデルさん。お気持ちは分かりますが、我慢は体に毒ですよ? この先、どこまでダンジョンが続いてるかもわかりませんし」


「じゃあ、どうしろっていうのよっ……!」


「昔のダンジョンはですね、簡易トイレもなかったですし、不衛生であるという点、また、入浴の問題もあって、女性の冒険者が一般的になるのは、もっと後期の──」


「うんちくはいいからっ!」


「あーっと、だから、……そうだ! ディーちゃん、トイレの場所は?」


 アリッサが声を上げると、光の矢印が表示された。

 アデルはそれを見るなり立ち上がると、矢印に導かれるまま、駆け出した。

 ──だが、その矢印の指し示す先には、壁しかなかった。アデルは両手をつけて押してみるが、びくともしない。横にずらしてみようとしても、びくともしない。

 ……どうして、開かないのよっ! 極限状態の中、アデルは声の限りに叫んだ。

 

「開けっ、ゴマーっ!」


 壁がすっと扉へと変わる。

 アデルは素早く手をかけ、扉を開けると、その中へと消えていった。

 ややあって、アデルは扉の奥から戻ってきた。

 トイレは驚くほど清潔だった。手洗い場まで用意されているほどに。

 アルドとアリッサは向き合って座り、何やら談笑している。

 アデルは二人に向かって歩み寄ると、その近くにぺたんと腰を下ろした。


「間に合ってよかったな!」


 アデルに睨まれながらも、アルドは包み紙を差し出した。ドライフルーツ。


「ほら、食えよ」


 アデルは干しリンゴに手を伸ばし、一つ摘まみ上げると、口に運んだ。甘みと酸味。ほうと思わず溜め息がでるほどに美味しい。糖分が、染み渡っていく。


「お茶も飲むだろ?」


 アデルは頷く。水筒のコップを受け取り、一気に飲み干す。


「美味いだろ? これもダンジョンの醍醐味だよな!」


 ──ダンジョン。アデルは空になったコップをアデルに突き返す。


「……何が楽しいっていうのよ」


「楽しくないか?」


「全然」


「……そっか。まぁ、そうだよな。無理もないさ」

 

 アデルは気が抜けたように、アルドを見た。……否定されると思ったのに。


「その服、高いんだろ?」

 

 アデルは自分の服に目をやった。黒いドレス。用意されたものなので値段は分からなかったが、高価であることは、その装飾の細かさ、肌触りだけでも明らかだった。


「俺は服に詳しいわけじゃないけどよ、それが上等な品だってことはわかる。つまりさ、アデルはダンジョンに行かなくてもいい生活を送っているわけだ」


「……あなたは、そうじゃないの?」


「俺の生まれはな、ド田舎の百姓なんだよ。だから、死ぬまで百姓やって死んでいくんだろうなって思ってたけれど、すげぇ凶作が続いてさ。父ちゃんも、母ちゃんも、兄ちゃんも、妹も死んじまってさ、俺も死ぬところだったけど、たまたま、近くのダンジョンに行ってた冒険者に救われたんだ。それで、孤児院に入れられたんだけど、そこも酷いのなんのって……出て行こうにも、ろくに読み書きもできねぇガキが、まっとうに働けるわけがねぇ。ただ、体だけは頑丈だったからさ。鍛えればダンジョン探索はできるだろうってことになったわけよ」


「仕方なく、冒険者になったってこと?」


「そういうこと。ただ、俺は運が良かったよ。ダンジョンと冒険者がいる時代に生まれてさ。冒険者は危険だからさ、命を落とすことだってざらだ。でも、うまくやれば金は貰える。ギルドに所属すれば、多少なりとも保証とか、保険とかもあるし……そういう冒険者のことなら、アリッサの方が詳しいんじゃねぇか?」


「……そうですね。冒険者と言うと、大冒険に次ぐ大冒険……まだ見ぬお宝のために命をかける、そんなロマンの響きもありますが、実際は命がけ……ハイリスクローリターンの、割の合わない仕事でもあります。ただ、ダンジョンがもたらす恩恵は莫大ですから、その踏破に必要な冒険者の需要があり、その需要が、貧しい人達によって支えられているという時代も確かにありました。ただ、近年では協会やギルドの管理体制がしっかりしてきましたし、管理下にあるダンジョンを、安心、安全に攻略する、娯楽としての冒険者、あるいは、競技者としての冒険者というのも出てきました。ロマンからはかけ離れてしまったかもしれませんが」


「へぇ、最近はそんな感じなのか。でも、冒険者の待遇が良くなってるって話は聞くな。冒険者の地位というか、知名度も上がってきたというか。感謝されちゃったりさ。ダンジョンでしか手に入らない薬草を持って帰ってきた時は、お陰で助かりましたって……おい、どうしたアデル、黙っちまってさ? 腹でも痛いのか? ドライフルーツ、傷んでたかな……」


「……知らなかった」


「え?」


「考えたこともなかった。冒険者が、それしか選ぶことができない道だったなんて。道楽、馬鹿げた夢物語、お遊びだって、ずっと」


 アルドとアリッサは顔を見合わせる。アルドはアデルの肩に伸ばしかけた手を止め、握り締めると、天井を見上げた。拳を高々と上げ、ぱっと開く。


「でもさ、楽しいことだってあるんだぜ? それに、俺がダンジョン王を目指してるってのは嘘じゃない。神の時代から存在するのに、今もなお踏破者のいない神のダンジョン……それを踏破するなんて、ロマンがあるだろ! ……って、アデルには馬鹿にされそうだけどさ」


「馬鹿になんてしないっ!」


 アデルは声を上げ、驚くアルドの黒い瞳を、青い瞳でまっすぐに見据えた。


「あなたなら、ダンジョン王になれる。だって、あなたは──」


 アルドは目をぱちくりし、にかっと笑う。


「……ありがとよ! なんかさ、本当にやれそうって気がしてきたぜ!」


 アルドは立ち上がると、背中を反らした。


「……と、そろそろ行くか! またアデルがトイレを探さなくていいようにな!」


「黙りなさい!」


「よかったぜ、あの開けゴマ!」


「黙れ!」


 笑って歩き出すアルドの背中を、アデルは睨み付ける。

 まったく……アデルは立ち上がり、スカートを手で払う。

 ──コツン。足先に、白い球体が当たった。思わず拾い上げる。

 温かくも、冷たくもない、手の平に収まるような、小さな球体。

 周囲を見渡しても、同じような球体は見つからない。一体、どこから──


「アデルさ~ん! いきますよ~!」

 

 手を振るアリッサ。アデルは白い球体をポケットにしまい、歩き出した。

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