第二話「ラヴィリンス」

 こぢんまりという言葉が相応しい、ささやかな内装の店内。

 目立つ装飾は、隅に置かれた鉢植えと、壁に掛けられた古城の絵画のみ。

 五人掛けのカウンター席に、二人掛けのテーブル席が三つ。テラス席も二つ。

 先行したアリッサが電気を点け、カーテンと窓を開けて回っている。

 天井ではファンが回り始め、スピーカーからは穏やかな音楽が流れ始める。


「お好きな席にどうぞ!」


 金髪の少女は二人掛けのテーブル席に向かい、腰を下ろす。

 アリッサは銀のお盆にガラスのコップとレンジで温めたおしぼりを載せ、お客様のもとへ。丸テーブルにコップとおしぼりを置き、銀のお盆を胸に抱く。


「ご注文は──」


「コーヒー」


 金髪の少女は、メニューを手に取ることもなく応じる。「かしこまりました!」と、アリッサはカウンターの奥、厨房に向かう。

 金髪の少女は温かいおしぼりで両手を拭い、ほうと一息。次いで、コップの水を一口。微かなレモンの風味。そのまま二口、三口とコップを傾け、全てを飲み干す。

 氷だけ残ったコップをテーブルに戻し、金髪の少女はゴーグルに手を伸ばし、カチッとゴムバンドを外した。それをテーブルの脇に置き、手櫛で髪をさっと整える。

  

「か、かわいい……」


 金髪の少女が振り返ると、アリッサがキラキラと目を輝かせていた。

 ゴーグルも似合っていたけれど、外すとぐっと大人びて、白い肌に青い瞳と、まるで最高級、オーダーメイドのビスクドールのような、それでいて、天使のような──

 

「あなた、何してるの?」


 はっと我に返ったアリッサは、袖口で口元を拭う。……やば、ちょっと涎出てた。


「ご、ごめんなさい! コーヒーは今、カッフェ・マッシュ-ン三号君が淹れているところなので、少々お待ちください! ……あの、お客様はアイドルさんですか?」


 金髪の少女は黙ったまま、窓に顔を向ける。これも絵になるなぁと、アリッサは両手の人差し指と親指とで作ったファインダーを覗き、心のアルバムに保存する。

 

「デキタヨー! デキタヨー!」

 

 間延びした音声が厨房から鳴り響いた。「できました!」とアリッサは厨房に向かい、銀のお盆にあれこれ載せて、お客様のもとへと引き返す。

 コーヒーカップ、シュガーポット、ミルクポットと、アリッサは手際よくテーブルに並べていく。金髪の少女はコーヒーカップを取り上げ、ブラックで一口。


「苦い」


 金髪の少女はカップをソーサーに戻し、店内に視線を巡らせる。


「どうして、喫茶店なの?」


「それはその、お師匠様の副業というか、趣味というか……」


「でしょうね」


 立地の悪さもさることながら、このコストを度外視したであろうコーヒーの深い味わいはどうだ……と、そこで初めて、金髪の少女はメニューに手を伸ばした。この価格では、注文が入る度に大赤字だろう。大金持ちの道楽……と考え、他人事ではないなと、首を振る。


「あの~……」


 不安そうな声色のアリッサに目をやり、金髪の少女は立ち上がった。


「私はアデル。アリッサ、だったかしら? 正式に依頼を申し込むわ」


 そう言って、アデルはアリッサに右手を差し出した。アリッサはその白い手とアデルの顔を見比べながら、困ったように両手を胸元で重ねた。黒い革手袋。


「アデルさん、大変光栄なのですが、ごめんなさい、その、ちょっと……」


「何か問題でも? あなたが見習いだから? それとも、私が子供だから?」


「そうではなくて、いや、それもあるんですが、いやいや、それといっても……」


 アデルは差し出したままの自身の手を見やる。小さな手。無力な、子供の。


「……もう、いいわ」


 引き戻されるアデルの手を、アリッサの右手が掴んだ。

 ──切れた。アデルはアリッサの手を振りほどき、自身の手を見詰めた。

 ……何ともない。でも、確かに冷たさを感じたのだ。刃を握ったような──

 

「ア、アデルさんっ! ごめんなさいっ!」


 アリッサは両手を挙げたまま、何度も頭を下げた。


「あなた、その手……」


「その、色々とありまして……申し訳ないです、嫌な思いをさせてしまって」

 

 恐縮するアリッサに、アデルは首を振ってみせる。


「求めたのは私よ。ともあれ、契約成立ね」


 アデルは旅行鞄に手を伸ばし、持ち上げると、アリッサにぐいっと押しつけた。


「これが依頼よ」


「この鞄、ですか?」


 アリッサは旅行鞄を受け取り、持ち上げてみる。軽い。空っぽのようだ。


「ダンジョン、だそうよ」

 

 アリッサが顔を向けると、アデルは真顔で頷いた。


「笑ってもいいわよ?」


「いえ、そんな……ちょっと、拝見しますね」


 アリッサは旅行鞄の色々な場所に手をかけ、撫で回しながら、調べていく。

 年季の入った、革張りの旅行鞄。シンプルかつ古風なデザインはアリッサ好みで、頬擦りしたくなる気持ちを、ぐっと堪える。微かに香る、革の匂い。


「この鞄……ダンジョンは、どちらで?」


「祖父から頂いたの」


「それは素敵ですねっ! お爺ちゃんは、お元気ですか?」


「先日、亡くなったわ」


「うっ……ご、ごめんなさい」


「謝ることないわ。人はいつか必ず死ぬもの」


 アリッサは手を止め、アデルに目を向けた。俯いて、寂しげな表情。


「……お爺ちゃんは、冒険者だったんですか?」


 アリッサに問われ、アデルは顔を上げる。


「どうして?」


「こんなアイテムを個人所有しているなんて、名のある冒険者ぐらいですから」


「……ただの鞄じゃないの?」


 アリッサは眼前に旅行鞄を掲げ、じっと見詰める。


「ダンジョンかどうかまではわかりませんが……これ、開けたことは?」


「あるわ。でも、何もなかった」


「今、開けても?」

 

 アデルが頷く。アリッサは開いているテーブルの上に旅行樺を載せ、留め金を外してパカッと開けた。空っぽ。アリッサは内側に手を伸ばし、撫でるように滑らせる。


「……やっぱり、感じる。この鞄は、まだ鍵がかかっているんですよ」


「思いっきり、開いてるじゃない」


「アデルさん、お爺ちゃんから合い言葉を頂いていませんか?」


「合い言葉?」


「言葉には限らないですが、この鞄を本当に開く何か……それがあれば、きっと」


 アデルはこめかみに指を当て、祖父との思い出をさらう。だが、思い起こされるのは冒険の話ばかりで、合い言葉なんて……と、一つ、アデルは心当たりがあった。


 ──いいかい、アデル。ダンジョンにはな、開かない扉というのがよく出てくるんだ。そんな時、冒険者がまず試す魔法の言葉があるんだ。それはな──


 アデルはその言葉を口にしようとして、躊躇う。

 それはただ口にすればいいというものではなく、威風堂々、大声で叫ぶことが必要であるとされていた。それをベッドの上で、もうろくに体も動かせないというのに、祖父は何度も実演してくれたものだった。苦しそうに、でも、楽しそうに。

 

「……あなた、ちょっと表に出てもらえる?」


 アデルの申し出に、アリッサは小首を傾げた。ポニーテールが軽く揺れる。


「どうしてですか?」


「いいから」


「もしかして、合い言葉がわかったんですか!」


「ええ。だから、早く──」


「ダメですよっ!」


 アリッサは胸の前で両手を交差し、バツ印を示してみせる。


「な、なんでよ!」


「もしそれが正解だったら、何が起こるかわからないんですからっ!!」


「何がって、何が起こるの?」


「それは……何がですよ! ただ、そんな時にお客様を一人にしていたとあっては、鑑定師の名が廃りますっ!」


「……見習いなのに?」


「見習いでもですっ!」


 そう言われてしまっては、アデルはぐうの音も出なかった。

 ……アデルは大口を開けている旅行鞄の前に立つと、深く息を吸った。

 両手を胸の前に上げ、両肘を曲げて、「開け~……」とためを作る。そして──


「ゴマっ!」


 一気に両手を上に伸ばし、天井を見上げる。

 ややあって、アデルが顔を下に向けると、何も変わらない旅行鞄がそこにあった。

 顔を真っ赤にして、開いたままの旅行鞄を引きずり、店を出て行こうとするアデルを、アリッサは慌てて背中から抱き留める。


「ちょ、ちょっと待ってくださいっ!」


「離してっ! もういいわっ! 祖父にからかわれたのよっ!」


「お、落ち着いてくださいっ! 他の方法を試してみましょうっ!」


 アデルは足を止めると、乱れた呼吸を深呼吸で整え、口を開く。


「……馬鹿にしないの?」


「開け~ゴマっ! ですか? いや~可愛かったなぁ~」


「……帰るっ!」


「ごめんなさいっ! 馬鹿になんかしませんっ! ダンジョンの基礎ですからっ!」


「……本当に?」


「ダンジョンマニュアル初級編にも載ってますし! 合い言葉を使った仕掛けはポピュラーなんですけど、だからこそ、その合い言葉が漏洩したり、忘れたりすると大変なことになるって、クリエイターの教本にも必ず載ってる、大事な教訓ですよ!」


「……そう、わかったわ。だから、離れてもらえるかしら?」


「ああっ、ごめんなさいっ!」


 アリッサはアデルから離れる。その握られたままの両手をみて、手の平で触らないようにしてくれていたのだと、アデルは気づいた。黒い革手袋。その中身は──


「あなた……」


「はい?」


「……なんでもないわ」


 アデルはドレスを整えると、旅行鞄をテーブルの上に戻し、留め金をかけた。


「無様な姿を見せたわね」


「いえ、可愛かったのでオッケーです!」


「忘れなさい」


「でも……」


「忘れろ!」


 とんだ茶番を演じてしまったと、アデルは反省。だが、そのお陰もあってか、アデルは祖父のことを強く思い出していた。──この鞄を手渡された、最後の時も。


 いいかい、アデル。これはお前がダンジョンに行きたいと思った時、その願いを叶えてくれるものだ。ダンジョン嫌いのお前には、一生、くたびれた鞄になるかもしれんがね。ただな、私は一度だけでも、共に冒険に行きたかったよ、お前と。


 ──祖父は思い違いをしていたと、アデルは思う。

 私は別にダンジョンが嫌いだったわけじゃない。何も思っていないだけだ。

 それが自分の生活を支えているものだとしても、それは自分で望んだものではなく、与えられたもので、好きとか、嫌いとか、そういうものではなかった。

 ただ、私も……祖父と一緒なら、ダンジョンに行っても良かったかもしれない。

 アデルは鞄に触れる。すると、ひとりでに鞄の留め金が外れ、開け放たれた。

 目映い光。目を閉じる。声を上げる間もなく、アデルは光に飲み込まれ──

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