第41話 七月二十一日、午後十時四十五分。+一周。

 ファストフード店でたらふく腹拵えを終えた後、僕は昼間を泥のように眠って過ごした。既に一週間分寝ていたってのに、まだ眠れるのだから不思議なもんだ。ちびっ子ながら丈夫な身体なもんで、あれだけ優れなかった体調も睡眠効果のおかげでだいぶ改善されている。万全、万端と言っていい。

 そうこうあり、夜、今に至る。

 影を落とす程度には明るい月灯。

 思えば一日目以来、久々の月だ。

 例の『窓破事件』、それを西大津高等学校の、それも正面玄関でどっしりと犯行を観望するわけにもいかない。だから傍にあった公園の茂みに身を屈め、機を待つこととした。ここからだと正面玄関は遠く見えないが、校舎の窓ガラスであれば弊害なく一望できる。それに、裏玄関もすぐ目の前にある場所だ。

 なるほど、なかなかによいスポットではなかろうか。

 それに、岸辺さんの私服がやたらと黒っぽいのも功を奏している。

 ……ただ、服のセンスに関しては微妙に、、、……その、うん。

「……なんか、この私服、……とっても女子高校生っぽいね!()」

 ……あ、無理だ。これを褒めるってのは僕には無理だ。だって、黒Tシャツに『LAKE IS MOTHER ーWE ARE BIWAK♡ー』って堂々と胸もとに載っているんですよ。その、気を悪くしないで聞いて欲しいのですがダセェ。なんだ、これ、ダセェよ。特に琵琶湖のOを♡にするセンスが許せねぇぐらいにダセェ!!

 ……どう、反応するのが正解だったのだろう。

 なんの気になしに『どうぞ。』って差し出されたものだから、受け取ってしまったが、、、

 ツッコムべきだったのか?あの時、あのタイミングで「いや、ダサいっすよ(笑)」って。

 いや、いやいや、相手は岸辺織葉だ。本気のセンスかもしれない。

 ヤバい。下手をすれば琵琶湖への風評被害にもなり得るダサさだ。

 ……脱ぎたい。脱ぎたいよぉ。

 琵琶湖のため、滋賀のため、脱ぎ捨てて県民の子孫のためにも焼いて捨てたい。

「……あ、あのぉー、……これ、お母様が買ってきてくれたのかなぁ?」

『いえ、私が選定したものですが。我ながら、ナイスジャッチかと。』

 わぁお、ナチュラルボーンセンスじゃねぇか、あぶねぇ!!!

 どこがナイスジャッチなのだろう。それはナイヨジャッチじゃなかろうか。本当に危ねぇよ。思ったよりガチじゃねぇか。危うく服のセンスのダサさが琵琶湖への誹謗中傷の域にある事実を彼女に突き付けてしまうところだった。そんなことをすれば彼女はもう二度と琵琶湖へ顔向けができなくなっていただろう。

 まぁ、あれだ。彼女の琵琶湖に対する並々ならぬ忠誠心は見てとれるのだ。

 ……それは、黒Tシャツのロゴだけではない。

 ……彼女のキャップには『BIWAK♡』の文字。

 馬鹿野郎ッ!!Oを♡に置き換えるんじゃねぇ、ぶっ○すぞ!!

 なんだ、この、Oを♡に置換することがちょいテクおしゃれ術みたいな風潮。違うから。お前がやるべきは『O』を消すことではなく『BIWAKO』を消すことだから。これが滋賀の血なのか。濃すぎるぞ。滋賀県民、『琵琶湖』と書いて『母』とか呼んでいるんじゃ、……いや、Tシャツにそう書いてあるのか。

 ……いや、書いてねぇな。お前がBIWAKOだったのか。

『私も現役の女子高校生ですから。ひとかどの自負があります。』

「……あ、そうですか。……あの、聞きたいんやけど、」

『なんですか?』

「……ズボンにパッチワークしてあるみたいやけど、これって、」

『馬鹿にしてはお目が高いですね。それは『飛び出し坊や』です。ちょうど手元に飛び出し坊やの生地がありましたので縫ってみたのです。裁縫ごとは得意ではないのですが、飛び出し坊やは言わずと知れた東近江市発祥の啓発看板であるために滋賀県でとても多く見られる看板ですので、少し頑張りました。』

 ……なんて、……なんて純粋な文字列なんだ。微塵も自分がダセェことに気付いてねぇ。

 何故、滋賀でのシェアが多いからと言う理由で縫っちゃうのか謎だが、まぁ、いいか。

 ……飛び出してんのはオメェのセンスだよ、馬鹿野郎。


――――――――――――


『一つ、約束していただいてもいいですか。』

 ……なんだ、藪から棒に。しかも珍しく下手だ。

「……なにを?」

『私が危ないと判断すれば、即退散してください。』

「……まぁ、そのつもりやけど。なんでわざわざ、」

『約束です。出来ないのであれば、引っ張ってでも連れて帰ります。』

 ……どうしたのだろう。言いたいことの趣旨がイマイチわからん。危ない目合わないよう隠れているんじゃないか。何故念押しするように約束なんてさせるのか。まぁ、でも、僕が傷つくなんてことがあれば、それは岸辺さんの大事な資本である身体が傷つくとまんま同義なのだから、そんなもんなのか。

「……わかった。約束する。危なくなったら帰る。」

 ……っと、時間はもうじきに午後十一時。事件の発生時刻付近に差し迫る。

 通称、最も僕が個人的に称するところであるが、『窓破事件』。思えば、校内の全ての窓ガラスを粉砕していたのだから、集団での犯行であった可能性が順当であろう。それを、あれほどの量の窓ガラスを、どういった理由で、どのように破ったとでも言うのだろう。ここからであれば、少しであれば見れそうだ。

 ……うーむ、非行少年たちの憂さ晴らしと考えるのが一般的な解答だろうが……、

 所詮は僕の思考力だ。そんなことよりも、思い出した疑問を一つ投げかけた。

「……あのさー、窓ガラスで思い出したんやけど、なんで部屋の窓枠外してたん?」

 帰宅時、窓ガラスが開いていた、と誤認していたが、事実は窓枠ごと外れていた。

『窓、割れていましたから。馬鹿がそれで切り傷なんて作っては痛々しいですし。』

 あぁ、なるほど、だから窓枠ごと。

 しかし、割れていたっけかな、窓ガラス。

「……にしても、こうも頻繁に窓が割れるだなんて、世紀末じゃあるまいし――――――」


――――――「「「バリーン!!!」」」

  

 それはあまりに衝撃的で、突如の出来事だった。

 電灯の灯りに釣られた羽虫も一目散に、蜘蛛の子散らすように退散するほどの轟音。それはまさしく、校舎の窓ガラスが破られた音であると理解するのに刹那の時間も要しなかった。……だが、しかし、これでは破られ方が尋常ではなかったってのも、察しがついた。

 ……轟音。まさしく、轟音であった。

「……な、なんで、一回の衝撃だぞ、これ」

 窓ガラスの破られ方なんて僕は心得ちゃいない。

 しかし、本来あるべきそれは、一枚一枚の窓ガラスを人力でそれぞれ破る必要があるのだから相応の時間を要するはず。


 けれども、そのたった一度の衝撃で、ここから見える全ての窓ガラスは一掃されてしまっていた。


 破られた窓ガラスの破片は、月光に照らされ星々のように煌めいている。

 考えてみれば、中庭全域に窓ガラスの破片が散りばめられるほどなのだから、そんじょそこらの生易しい衝撃では断じてなかったはずなのだ。その事実を頭で理解した気になっていたものの、それでも、その理解がいかに甘いものだったのかが顕著にして現れる。……これは、『人』の域を超えている。

 敷地外からとはいえ、ここからでも爆発を見紛うほどの衝撃だった。

 きっと、今の衝撃でおおよそ全ての窓ガラスが破られてしまったのだろう。

『馬鹿。確認を終えました。早く帰りましょう。』

 明らかに僕の行動を急かす文面。

 いつもの精緻な文字が少しズレているように見えた。

「……でも、まだ犯人の顔も見れていないし、それに、」

『犯人の顔を確認してどうすのですか。思い上がらないでください。』

 寸鉄を込める岸辺さんの言葉は、そのまま「これほどまでの大事件を引き起こす犯人相手に、ひ弱な身体である貴方に何が出来ようか」と言う意味だろう。まさしくその通りなのだが、ここまで来て収穫を惜しむ気持ちも理解して欲しい。ここで逃す情報が仮に諸現象を打破するものであるならば、それは、、、

 ……しかし、キャップをグイッと目深に被せられる。

 辛うじて手帳のみが見える視界の中、『本当にお願いだから』と綴られる文字。

『約束したじゃないですか。お願いだから、危ないから、帰ろ?』

 ……初めて、僕は岸辺さんから懇願された。

 岸辺さんの真意はわからない。この身体は元は岸辺さんの身体なのだから、その身体を心配していただけなのかもしれない。実際は自分の身を案じていただけなのかもしれない。だが、単純にそうは思えなかったし、そうは思いたくない自分がいた。

 ……なんというか、岸辺さんが、『僕』を見てくれている気がしたのだ。

「…………わかった。ごめん。じゃあ、帰ろっか」

 この『窓破事件』、これはきっと『幽体化現象』や『時間遡行現象』に並ぶ怪現象の一つなのだろう。

 これはもはや人の手によるものではないことは明白だ。この現象が、解決の糸口になるかもしれない。

 しかし、それでも、ここではひとまず帰ろうと思った。


 タッタッタッタッタッ――――――。


 出し抜けに僕の耳朶を打ったのは何者かの足音だった。

 僕とは別の、言うまでもないが岸辺さんとも別の、第三者の足音。それが駆け足であるのはすぐに判別がついた。それは急ぐようで、必死なようで、逃げ惑っているようで。とても不思議なことだが、足音、なんてもんにデジャブのような感覚が脳裏によぎった。


 カンッ、カンッ、カンッ、――――――。


 その足音に追従するように、無愛想な金属音が夜の静謐の戸を叩く。

 やがて僕は目深に被ったキャップのまま、その足音の主と、学校校舎と公園を挟む横道ですれ違った。すれ違ったと言っても距離はあった。僕が視線だけで探っていたろところ、視認できた足音の主がちょうど対角線上で僕の立ち位置的に交差しただけだった。しかし、その交差した瞬間、確かに容貌が見えた。

 霞がかった街灯に照らされたほんの一瞬、襲い掛かったのは既視感だった。

 腹立たしいほどの記憶との合致に、僕は辛抱ならず足音の主を注視してしまう。

「……あ、……あの時の人や」


 そこには、狂ったように誰かから逃げている青年がいた。

 外見だけを見れば、好青年である。

 片手に握る金属バットを地面に擦りながら逃げている。


 どうして、ここに君なのだ。君が、何故、ここにいるのだ。

 どうして、君が『窓破事件』の現場にいることがあるのだ。

 僕は再会したのだ。デパート前で暴れていた好青年と、こんなところで。

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