第42話 七月二十二日午前十時二十八分。+一周。

 真っ赤な鳥居を前に言葉もなく佇立しているってのに、実はそう理由もなかった。

 ただふと、惹かれるように、そこで見入ってしまっていたのだ。特別な情感が湧いたやら、美観に惚れたなんかじゃない。そこは草木が生い茂る至って普通の神社であった。しかし、僕がその神社の階段を猛烈に暑い時間帯に、文句も言わずに登っていたのは自分自身でも驚きだった。

 階段の段数は数えて十と数段。

 葉っぱ型の影を踏み、僕は境内を跨いだ。


――――――――――――


「……岸辺さん。僕は今日、学校をお休みしようかと思っています」

 これは今朝の七時半ごろの話である。

 昨晩のごたごたの帰り道、コンビニに立ち寄った。食糧の買い溜めのためだ。数日分は持つよう日持ちの良いものを選んでカゴに放り込んでおいたおかげで今日の朝食に関しては全く事欠かなかった。自信作である温めるだけハンバーグと、捲るだけオニギリを頬張りながら、『で?』と問う岸辺さんに返答する。

「……一応、確認のために。ほら、皆勤賞とか目指していらっしゃるなら悪いし」

『そんなもの、とっくに諦めています。文化祭の準備期間からバックれる私ですから。』

 ……何故か誇らしげだった。……本当になんでだったのだろう。

 ともかく、おおむね予想通りの反応だった。

 先日に続き、岸辺さんはどうも登校に否定的だ。

「……で、不登校はそれでいいとして、今日は一人で調査してみたいと思っててね?」

『そうですか。お馬鹿な馬鹿が一人で調査ですか。そうですか。』

「……ふっ、岸辺さん、あまり馬鹿をナメないで頂きたいものです」

『馬鹿ですね。これは馬鹿にしているわけではなく、馬鹿なのに大丈夫かな、と言う配慮です。』

 なるほど?……いや、おい、やっぱり馬鹿にしているんじゃないか。ぷんぷん。

 ……と、本場顔負けのアメリカンジョークの炸裂も束の間、紙に文字が浮かぶ。

『それで、どうして急に一人で調査をしたいと思ったのですか?』

 素直で、それでいて当然の問い掛けだった。

 だから、僕はなるべく気取られないように注意を払った。

「……ちょっとね。腑に落ちない部分がって、それが一人だと調査が捗りそうだから」

 下手くそな嘘とつく。いや、嘘というよりも隠し事だ。隠せている気がしないが。

 僕が、岸辺さんに『本当の事』を黙ったのは確かだったのだから。

 昨晩のすれ違った青年、あの人物は見紛うことなどない、ショッピングモール前で騒動を起こしていた青年そのひとだ。これが意味するところ、つまり『窓破事件』と『化け物事件』の関連性である。バラバラのように見えた二つの事件が、意外な登場人物によって引き寄せられ、緊密な関係に感じる。

 ……だが、僕は『化け物事件』について、まだ岸辺さんには伝えていない。

 ……そして、伝える気も今のところはない。

「……まー、その、危ないこととかはせーへんから。安心してまっててーや」

 ……どうだろう、と紙の文字を待った。これで根掘り葉掘り追求されるのであれば、その際はもう洗いざらい白状するつもりではあったのだ。あの『化け物事件』を 黙っていることも、好青年の関連性も、僕がボヤッとした感情で秘匿しているに過ぎない。本来は共有するべき事案なのだ。

 しかし、意外にも岸辺さんからの返答はイエスでもノーでもなかった。


 曰く、『戻って来るやんな?』とのこと。


 何を言っているのだろうか。ここ以外、僕に寝床なんてありゃしないのに。

「……そりゃあ、まぁ、帰ってくるで?……野宿する気なんてさらさら無いし」

 なんて言ってから、あぁ、これ、『居候の分際で図々しい奴め』的な罵倒を引き出してしまったかな、と恐る恐る紙を覗いたのだが、返事はたった一言、

『そっか。遅くならないようにしてくださいね。』

 ……とのこと。言葉になりようもない感情が渦巻いたが、言葉にならないのだから胸中で出所を探るに留まった。

 ……いいや。たぶん、きっと、彼女も僕と似たような所感だったのだろう。

 彼女の恥とする関西弁を消し忘れるくらいには、何か思う所があったのだろう。


――――――――――――


 階段の段数こそたかが知れていたが、急な勾配にやたらデカい段差も相まり、ジッとりと粘着質な汗をかいてしまった。

 息は整わない、肩は上がる、心臓が痛いと碌でもない体力のない身体に呪詛を念じる。

「……ゼェ、……ゼェ、……なんだこれ、なんだこれ。くっそしんどいぞ」

 現代の若者は軟弱だ、なんてご老人のご高説を賜る機会があるが、これには同意せざるを得ないだろう。

 階段を登りつめた頃合いには、膝に手をつき、空を仰いでいた。

 ……何やってんだろ。まだ夕方のショッピングモールまで時間があるとはいえ、この炎天下の空の下で暇を潰そうだなんて正気の沙汰じゃない。閻魔様が滞在されている地獄だってもうちょっと快適空間を心がけているに違いない。僕が欲しいのはバリバリ環境に悪そうな空調のある空間であって、ここじゃない。

「……帰ろう。帰って、お小遣い五百円以内で落ち着ける場所を探そう」

 ……ビバ、オアシス。

 ……ビバ、冷え冷え空間。

 そう、僕が踵を返そうとした、その時だった。

「あ、え、帰っちゃうの??待ってたのに??せっかくおいでくださったのに??」

 鈴の音のような声音に、僕は思わず立ち止まってしまう。

 振り返れば、一人の女の子が佇んでいた。岸辺さんと同じぐらいの歳だろう。しかし、女の子、というイメージよりも先に出た感想として、より鮮烈にインパクトを与えた彼女の服装の方が彼女を象徴しているように思う。……というよりも、僕は彼女を知っている。彼女の奇抜な服装を知っている。

 彼女は巫女服であった。そして、朱色の筆の入った『狐のお面』。

 既視感なんてもんじゃなかった。それには、見覚えしかなかった。

「……文化祭に来てくれていた巫女さん?」

「あれれー、おっかしいなー。君の高校の文化祭は明日のはずだけど??」

 ……ハーッと、魂が溢れんばかりのため息を吐く。八割方、自分の馬鹿さ加減への失意だ。残り二割は知らん。

 ……どうして岸辺さんの在籍高校がわかったのか、そして岸辺さんの高校の文化祭の日程を知っているのか、今はセーラー服ではなくお馴染みクソださ黒Tシャツ『ALL FOR BIWAKO』なのだから趣味の悪さ以外の個人情報などわかるはずがない。だが、そんな野暮ったい質問をしないくらいには納得している。

「……なーんで僕、君のことド忘れしてたんやろ」

「……え、ひどい。私のことド忘れしてたの!?」

 仮面の裏でも表情を隠せていないとは面妖なこと。

 やはり、十中八九そうだろうとは思っていたが、この反応を見るに、万が一にも思い違いではなさそうだ。

 彼女は昨周の文化祭の日、『僕』のことを言い当てた仮面の少女であろう。『僕』を知っている、がミソ。

 正直、現段階にて最重要人物筆頭なのだろうが、諸々事件が被さり過ぎて完全に失念していた。

「ごほん、ごほん、けほん。あれれ、学校はおサボりさんなのかな??イケナイ子なんだー!」

「……あの、そのクソみたいな茶番に付き合わないとお話って伺えない感じ?」

「……あ、いえ。そんなことはないです。はい」

 よかった。なら、僕の人類において比類なき名演技を披露せずに済む。

 二日前、と言っていいものやら、文化祭の日にて彼女は『何かを知っている』口振りだった。いや、『全てを知っている』口振りだったかもしれない。しかしそれは今段階の僕には些細なことで、何も知らない僕からすれば全てが往々にして新事実である。あの時はほとんど教えてなど貰えなかったが、、、

「……確か神社がどうの、って言ってたんやっけ?」

「あー、うん。ここ、ここ。よく見つけられたねー!」

 にへらと笑う様が謎に見え見えな仮面の少女。

 清々しいほどに偶然なのだが、こんな秘境さながらのスポットに情報の委細も伝えず消える貴方も悪いと思うのですよ。

 

――――――右も左も、全てが杉の大木。

――――――それは身の丈尺で数えるのも烏滸がましく感じる巨木であった。

――――――それらが取り囲むは、境内と本殿が添えられている神社の風景。

――――――神秘的、言い得て妙だ。神もここを知れば秘密にもしたくなるだろう。


「……それで、今日こそはお話を伺えるの?」

「……んー、それがね、どうしよっかなって」

 青々しい若葉と肥沃な土壌が香る夏景色にて、仮面の少女はされども、僕から事実を遠ざけようと仮面をカランっと傾かせた。

 万緑よりも、彼女の姿は濃く映えた。

「……君はさ、私の話を聞いて、それでどうしたいの?」

 素朴な質問のはずだった。だが、喉元に切っ先鋭いナイフでも押し付けられているような、そんな嘘や誤魔化し、その場限りのまやかしなんてもんが許されない圧迫感をヒリヒリと肌に感じる。もし、彼女の思う返答でなければ喉元ごと奪ってしまうかのような、そんな詰問のように思えてしまった。

 ……いいや。ナイフを持っているのは彼女か、それとも、僕なのか。

「……僕は、僕のやるべきことをやりたいだけ、それだけや」

「……ふふ。君は偉いね。優等生だ。そりゃ、彼女も君を好きになるわけだ」

 遠い目をして、仮面の少女は呟く。それは無気力で、寂しげなようにも見えた。

「……私はね、うん、全部、全部、全部、知っているよ。君がやるべきこと。君が覚悟していること。そして、それら行為の末の正解を。……君のやりたいことは『自己犠牲』にて完結する。『自分』を賭けて、『世界』を守る。その『世界』ってのは、君の思い浮かべる女の子の『世界』かな。そんなところ」

 境内の石畳を袴姿で歩く少女は、僕に背を向け、されども聴こえるように言う。

「そうだよ。正解。君の『自己犠牲』で、君の責務は成就される」

 つまり、と彼女はこうも続けた。


「……つまり、君の献身で、『世界』の安寧は保たれる」


「……抽象的な話すぎてわからん。つまり、僕が、この異常現象から世界を救える、と?」

「そうだよ、そう。そして、君は何も残さずに死ぬ。身体も、記憶も、残骸さえ無く死ぬ」

「……それが、いつか言っていた『辛いこと』の正体なん?」

「……本当に、君は優等生だね。そうだよ。それが、辛いこと」

 でもね、優等生くん、と仮面の少女は言葉を続ける。

「……それでもね、君がとっくに決心がついているって言ったってね、私達は今日を生きてしまった人間なんだよ??……自我もあるし、痛みもある。誰かの代替なんかじゃなくって、私達のために私達がいる。……君はそれがちゃんとわかってないだけなんだ。そのうち、君も優等生じゃいられなくなる」

 手のひらをヒラヒラと仰ぎ、僕を手招きする仮面の少女。


「ねぇ、馬鹿くん。お話ししようよ。そのための今日なんだよ?」


 それはまるで、今日、この時、僕が神社に寄り道することがわかっていたかの言い回しだった。

 たぶん、この人は僕なんかよりも、本当にずっと全てを知っている人なんだろうと思う。

「……もっと、もっと、楽しくて、愉快な話をしようよ」

 ……だって、『時間』だけは、腐るほどあるからさ、と彼女は言った。

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