第三章 栄光の光と影と 6.知られざる苦闘(2)

2.南氷洋技術開発ものがたり

 南氷洋において日本の捕鯨船団は、他国の捕鯨船団との、そしてなにより同胞である日本の他社船団との捕獲競争に打ち勝つため、様々な手段が講じられた。国運、そして社運を賭けた戦いはまた、技術力の戦いでもあった。


 まず、船団各船の能力向上が図られた。捕鯨母船、冷凍工船の処理能力は、新技術と新造船の導入によって大きく増大した。捕鯨船も年を追う毎に大型化し、母船の処理能力の向上によって1船団あたりの隻数も増えていった。第一次南氷洋捕鯨(1946/47)では総トン数300~350トン、機関出力1,600馬力であったものが、5年後の第五次(1951/52)には470トン型の捕鯨船が船団に加わり、さらに5年後の第十次(1956/57)には総トン数700トン、機関出力3,500馬力の捕鯨船が登場した。わずか10年でほぼ倍の大きさになったことが分かる。


 捕鯨に関わる装備も大きく進歩した。昭和26年(1951)、東京大学教授平田森三によって旧海軍で使用されていた平頭弾(*1)をヒントに平頭銛が発明された。それまで用いられていた尖頭銛は、浅い入射角で水中に進入した際、水面で跳ね返ったり屈折したりして直進率が悪かったが、平頭銛は水中でも弾道が曲がらず、命中率が良くなった。


 意外なことであるが、尖頭銛は浅い角度で命中した場合、鯨にうまく刺さらないことがある。銛先が鋭角であると運動エネルギーが外側に逃げ、表皮で滑ってしまう。平頭銛なら先端の平坦な部分の角が表皮に引っかかり、運動エネルギーは銛先が体内に進入する形で消費されるのである。

 しかも、捕鯨銛の弾頭には致死率を上げるため火薬が装填されているのだが、尖頭銛は体内組織の弱い部分を屈曲しながら刺さっていくため不発も多い。これが平頭銛ではそのまま直進するので肉の損傷部分も少なく、確実に起爆するので以前に比べて捕獲効率が良くなった。

 平頭銛は当初、捕鯨船の砲手達には受けが悪かった。以前は暇さえあれば銛先にやすりをかけて尖らせ、少しでも欠けていれば使用しない、といった気の使いようであったから無理もない。しかし、捕獲率が2~3割向上するとあってはそんなことを言っていられない。やがて平頭銛は日本船団のみならず、外国船団でも用いられるようになっていった。


 銛に繋がる銛縄もマニラロープから絹ロープ、ラミーロープと試行錯誤を経て、ナイロンロープが用いられるようになった。銛が命中しなかった場合、銛縄をウィンチで巻き上げて銛を装填し直し、再度発射するのであるが、以前はロープが水を吸収して重くなるため、銛はなかなか狙い通りに飛ばなかった。ナイロンロープは軽く強靭で、何より水を吸わない。目立たない部分であるが、銛先の改良とあわせて命中率の向上に貢献した。


 もちろん成功例ばかりではなかった。旧海軍が潜水艦攻撃用として試作した、というふれこみ(*2)で「電気銛」なるものが持ち込まれた。銛が命中したところでスイッチを入れると、先綱のラミーロープに巻きつけた銅線に230ボルト90アンペアの高圧電流が流れ、鯨が感電死するというものだった。昭和25年(1950)の第五次南氷洋捕鯨で試験的に使われたが、先綱が重くて遠距離では当たりにくいものの、命中すれば鯨は一撃で死んでしまうことが分かった。

 ところが、ヒゲ鯨類は鯨体が水中に沈下してしまい(*3)巻き上げに時間と労力を要すること、鯨肉の鮮度が火薬銛に比べて極めて悪いということが判明し、結局20頭ばかり撃ったところでお蔵入りとなってしまった。しかし、この失敗が翌年の平頭銛の開発につながるのである。


 そして、捕鯨業にもっとも大きな影響を与えたものが鯨探知機である。捕鯨船の船底部に設置された昇降式の発信機から18キロサイクルの超短波を発射する装置で、元は潜水艦探知用のソナーであるが、最初に鯨追跡機(Whale Chaser)として捕鯨に転用したのは英国だった。日本では、極洋捕鯨が昭和31年(1956)の第十一次南氷洋捕鯨で英国ケルビン社製のものを輸入して使用したのが最初であったという。大洋漁業では同じ年試験的に運用され、翌32年の第十二次においてその効果が認められた後、本格的に導入された。

 この装置は聴音機としての機能も併せ持っており、海中に潜っている鯨はおろか、夜間でもその位置が手に取るように分かる。以前は砲手の経験と勘に頼っていた部分が、明確な情報として表されるようになったことによって操業効率は大幅に上昇し、わずか2年のうちに全捕鯨船が鯨探機を装備していることが、その威力を物語っていると言えよう。


 他にももう一つ、旧海軍の技術が南氷洋捕鯨に導入されている。船位の測定を天測に依存するしかなかったこの時代、天候の不安定な南氷洋において正確な船位を求めることは至難の業だった。濃霧や雪で天測が出来ない場合は推測位置で操業し、天測位置が決定できると修正することを繰り返していたため、常に船団の正確な位置を知ることは困難であった。

 大洋漁業では、捕鯨船と母船の位置関係を把握するため200海里程度の範囲で距離が測定できないだろうか、ということになり、開発のため技術資料として引っ張り出されてきたのが旧海軍の「赤本」、すなわち機密図書であった。その中に「パルス波を使用した距離測定方式」という研究事項があり、これを元にして昭和29年(1954)、電波距離測定器が完成した。わずか5ヶ月間の開発期間で試験もそこそこに、その年の第九次南氷洋捕鯨船団に装備されたが、良好な成績を収めることができた。これによって全船団の位置関係が把握できるようになり、操業効率を高めることが出来た。

 この装置は2年間使用された後、電波の有効利用を図るためパルス方式から持続方式を使用するよう行政指導があり、再び新しい装置の開発を強いられることになった。ここでも再び赤本が活用され、戦前にデンマーク駐在武官から送られてきた、持続波利用の電波高度計についての詳細な文献が参考にされたという。




-***-


*1…戦前から海軍は目標艦の手前に落下した砲弾が、希に水中を直進して水線下に命中する場合があることを発見していた。この水中弾発生の確率を高めるために採用されたのが、砲弾の先端部を平らにした九十一式徹甲弾である。


*2…実は戦前から実績があり、昭和9年(1934)からノルウェーが南氷洋捕鯨で用いていた。日本では日水が昭和12年から研究を始め、昭和16~18年に沿岸捕鯨で実用化しているが、それ以上の進展はなかった。


*3…ヒゲ鯨の鯨体は比重が水より重いため。マッコウ鯨などの歯鯨は水に浮く。

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