第三章 栄光の光と影と 6.知られざる苦闘(1)

1.波濤を越えて

 捕鯨船団の花形である捕鯨船や、船団のフラグシップである捕鯨母船に比べて、比較的日のあたらない存在であるのが船団随伴の塩蔵/冷凍工船や中積油槽船である。彼女らはどのようにして捕鯨事業に関わっていたのだろうか。


 捕鯨船団に付属する塩蔵/冷凍工船は、日本独特の船種でもある。有史以来、鯨肉を食用として利用していたのは、消費地が近い沿岸捕鯨によるものであり、遠洋捕鯨で鯨肉を生産して持ち帰り、食肉とした例はこれまでになかった。これは大量の鯨肉を長期間保存・運搬する技術が存在しなかったこともあるが、鯨を捕獲する目的が主として鯨油の生産にあった為である。

 日本も戦前は鯨油の生産が主目的であった上、沿岸捕鯨との競合を避ける為、捕鯨船団は一定の量を越えて鯨肉を持ち帰ることが禁じられていた。この為、採油効率の悪い赤肉は、戦後の欧米捕鯨船団同様に海中投棄されていたのである。日本が鯨肉を食肉として利用を始めるのは、未曾有の食料難に陥った戦後になってからのことであった。


 母国の食糧事情を解決する為、先にも登場した塩蔵工船天洋丸には、一つ1,200トンもある巨大な塩蔵庫が設けられた。当時、大量の肉を冷凍/冷蔵する設備を開発・搭載する技術も資金もなく、唯一長期保存の見通しが立つ貯蔵方法が塩蔵だったのである。

 しかし、戦前にも鯨肉を塩蔵処理して日本に持ち帰ったことはあったが、ごく小規模なものでこれほどまで大きなものは前例がなく、本当に塩漬けが可能なのか誰も分からない、というような状況で第一次南氷洋捕鯨に出漁することになった。


 さて、漁場に到着して初めての鯨肉が母船から運ばれてくると、肉を規格の大きさに切って塩をすり込むという工程で塩漬けを始めた。ところが、48名の作業員が1日がかりで処理できたのはやっと60トンという有様で、これでは母船から1日に送られてくる400~500トンにとても間に合わない。取れたばかりの鯨肉は36~37℃という体温が保たれたまま、デッキの上で山となって湯気を立てている。

 仕方がないので、濃い塩水を作って肉と一緒にタンクに流し込むという方法を取ってみた。これで肉を2,000~3,000トン程処理すると、船は満載喫水線まで沈下してデッキが間断なく波に洗われだした。重心が下がって動揺が激しくなったため、デッキの肉は傾斜にあわせて転がり、塩蔵庫の肉はもみ合ってボロ雑巾のようになってしまった。


 天洋丸は沈没寸前というのに、肉はあとからあとからやってくる。船団にはGHQの監督官が同行しており、捕鯨船が捕って浮かばせておいた鯨を見失うとすべての操業を中止して捜索させたり、「あらゆるものを利用すべし」と製品の歩留まりの向上に熱心な手前、鯨肉を捨てようにも捨てられない。やむなくタンクの塩水を捨てて、喫水を調節した。

 これで船も安定して肉も積み込めるようになったが、今度は肝心の塩漬けがまともに出来ない。ついに塩漬けの工程は、肉にざっと塩水をかけ、塩を入れたタンクに放り込んでいくというものにまで簡略化されてしまった。この半製品を満載して赤道直下を10日も走ってくるのだから、その品質も想像がつこうというものである。


 日水、大洋共に冷凍工船が付属してくるのは、昭和24年(1949)の第四次南氷洋捕鯨からである。戦前の冷凍船が搭載していた冷凍装置は、零下八度の塩水に漬け一晩かけて冷凍するというものであったが、戦後アンモニアを触媒とした急速冷凍装置が開発され、天洋丸もこの急速冷凍装置を含む冷凍設備を搭載する改装工事を受けて、この年から新たに冷凍工船として参加している。


 中積油槽船第二天洋丸は、12月の日本を出港するとまずペルシャ湾に向かう。サウジアラビアで燃料用のA重油とボイラー用のC重油を積み込み、インド洋からオーストラリアの西岸を通って南氷洋の捕鯨船団に向かう。ここで捕鯨母船や冷凍工船に燃料を渡し、空になった油槽を洗浄して鯨油を積み込む。

 鯨油を満載すると、輸出先のヨーロッパに向かう。太平洋を横断してパナマ運河を通過し、ヨーロッパ各国で積荷の原油を降ろす。すべて降ろすと地中海からスエズ運河を通り、再びペルシャ湾に向かう。ここで日本向けの原油を積み込み、ようやく日本へ向けて進路をとる。ひたすら原油と鯨油の輸送に従事する、一回り6ヶ月の航海である。


 ここで最も問題となるのが、原油が入っていた油槽に鯨油を積み込まなくてはならないことである。当時、鯨油の輸出は日本の重要な外貨獲得手段の一つで、主に食用油脂としての利用が多い鯨油に重油が混入しては一大事である。油槽間の油密隔壁はドック入りの際厳重にチェックされ、南氷洋で鯨油を入れる前にも油槽は念入りに洗浄される。

 鯨油を受け取る際には南氷洋で捕鯨母船と洋上接舷を行ない、直径20インチ(約50センチメートル)のホースを渡す。当初はフェンダー代わりにシロナガス鯨が3頭用いられたが、鯨体の有効利用のため後にゴム製の防舷材に取って代わられた。

 波が静かな時であればよいが、ひとたび海が荒れ出すと1万トンクラス同士の洋上接舷は困難を極める。特に先に登場したさんぢゑご丸などは要領が分からず、接舷の際にぶつけ離舷の際にこすり、南氷洋から帰る頃にはボートデッキのあたりがめちゃめちゃになっていたそうである。


 時は敗戦から10年を経ようとしている昭和20年代末、2TM型戦時標準船第三共同丸。冷凍運搬船への改装工事こそ受けたものの、「船体3年、エンジン1年」の予定で作られた戦標船としては、とうの昔に船としての寿命が尽きている代物である。それを証明するかのように日々故障が頻発するが、どこもかしこも悪いところだらけで手のつけようがない。

 その最もたるものが主機関であった。この船は建造以来の蒸気レシプロで、最大速力が9ノット前後しか出ない。しかも、船が時化で横揺れすると、エンジンベッドに固定されているはずの背の高いエンジンが、揺れに合わせて左右に首を振るのである。


 これではさすがに申し訳ないと思ったのか、しばらくして主機を換装する事になった。当時は南氷洋における熾烈な捕鯨競争の真っ最中で、急速に捕鯨船の大型化、高馬力化が進んでいた。これにならって既存の捕鯨船も新しい機関に換装したため、発生した中古ディーゼル機関を搭載することになったのである。

 機関換装工事は旧海軍工廠である佐世保重工業で行なわれた。戦艦武蔵の主砲を搭載した250トンクレーンで旧機関が撤去され、新中古機関が据え付けられた。この改装で、速力は一気に12ノットにアップした。


 時は冬、捕鯨船団はすでに南氷洋に向かっている。第三共同丸は全速力で遠州灘の時化を突っ切って横須賀に向かい、船団への補給物資を積み込むと慌しく南氷洋に向けて出港、船団の後を追った。

 ところが、2日ほど走ったところで、機関室から燃料に水が混じっているという報告があった。それもかなりの量にのぼる海水が混入しているという。内部を調べようにも燃料を搭載したばかりの油槽は一杯で、今さら横須賀に引き返すことも出来ない。とりあえず南下を続け、赤道近くで船首二重底の燃料油槽が空になったところで中を開けて点検することになった。

 いざマンホールを開けると、油槽を海水が滝のように流れていた。船底の鋲(リベット)が緩んで、30ヵ所近くから海水が噴出していたのである。鋲と鋲の間に亀裂がある場所もあった。おそらく遠州灘で時化られた時に、波で叩かれて緩んだのであろう。新機関に換装し、速力が上昇したことが災いしたのである。


 仕方がないのでとりあえず水漏れを止め、片っ端から木枠で囲ってコンクリートを流し込み、セメントボックスを作って補強した。そのうち砂利が足りなくなったので、乗員は積んであったバラストの玉石をハンマーで砕き、手作業で砂利を作った。

 漏水個所は冷蔵倉である二番船倉にもあった。第三共同丸は戦後、一部が二重底に改造されて燃料油槽になっていたものの、この部分は戦時標準船の原設計通り、すなわち単底である。肋材の上に床板を張って防熱工事がなされており、二重底のように人が入れるスペースはない。あちこち防熱材のコルクを剥がしてはセメントボックスを当て、どうにか船底からの浸水がすべて止まったのは、まもなく南氷洋に到着するという段になってのことであった。


 しかし、今度は燃料油槽に母船からもらう燃料を入れなくてはならない。油でコンクリートが剥がれるかどうかなど誰も知らないが、船底に亀裂を抱えたまま氷の海を走り回る羽目になる。なんとか無事のうちに冷凍倉も鯨肉で満載となり、3月初めには船団より一足先に単独で南氷洋を離れた。

 日本への帰途で第三共同丸を待ち受けていたのは、冬を控えて活発化の兆しを見せ始めた暴風圏の大時化であった。先にも述べたように、この時期は南緯40度付近で発達する寒冷前線が猛烈な時化を引き起こす。舳先から船体の半ばまでを没する激浪に揉まれること一週間、燃料油槽のセメントボックスはこの大暴風に耐え、第三共同丸は無事日本の灯を見ることが出来た。


 後に永洋丸と名を変えるこのオンボロ船は、以後10年近くに渡って、時には南氷洋捕鯨に、あるいは冷凍製品の輸出入に従事して、太平洋を縦横無尽に駆け巡ることになる。

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