第二章 輝く南十字星 3.極光の下に日の丸揚げて(3)

3.戦標船危機一髪

 お世辞にも耐航性に富むとはいえない戦時標準船で、この魔の海域を突破するのは大きな危険を伴なった。何しろ、第二次南氷洋捕鯨でも母船のボイラー故障で24時間停船休漁、捕鯨船の機関故障で洋上修理などが発生しているのだ。

 しかし、この年の南氷洋捕鯨では信じられないような大事件が発生した。南氷洋で新年を迎えて昭和23年(1948)2月下旬、切り揚げを1ヶ月後に控えて最後の追い込みに忙しい、大洋漁業の第一日新丸船団付属塩蔵工船天洋丸での出来事である。


 塩蔵工船である本船は、その日も母船から大発艇(*6)で運ばれてきた大きな鯨肉の塊をさらに小さく裁割し、キャンバスシュートを通して塩蔵タンクに送り込み、丁寧に敷き詰めてシャベルで塩を振りかけるという一連の作業を行なっていた。

 そのうち、船体中央部の塩蔵タンク内で作業中の1人が、上からぽたりぽたりと落ちてくる水滴に気づいた。タンク上部に細く黒い線が走っており、そこから水滴が落ちているのが見える。なめてみると塩辛く、どうも海水らしい。調べてみると、甲板に長さ1メートルにも及ぶ亀裂が入っていた。


 すぐさま母船から修理班が送り込まれ、上甲板を隅々まで調査したところ、船体中央部両舷、船橋部右舷の甲板に同様の亀裂が、船尾居住区付近で小さな亀裂が発見された。それぞれの亀裂を観察すると、船のピッチングに合わせてわずかに開いたり閉じたりしている。かくして船内は上を下への大騒ぎになった。


 原因は、上甲板に補強のため溶接された鉄板である。戦時標準船の悲しさ、外板が薄く強度が十分でないためにピッチングによる船体の歪みが大きかった。そこで、船首から船尾居住区前までの上甲板両舷に鉄板を一列に敷き詰めて補強としていたのである。鉄板同士の継ぎ目はつき合わせ溶接としてあったが、この継ぎ目に船体の歪みによる応力が集中し、溶接箇所が破断、さらにその下の本来の甲板にも亀裂が入ってしまったのである。

 塩蔵工船は鯨肉を塩蔵する際、一旦「野漬け」と呼ばれる前処理を行なった上で、本格的な塩蔵処理である「本漬け」を行なう。このため製品を別のタンクに何度も移し変える必要があり、積荷の釣り合いを取ることが困難であったのも一因であろう。


 応急処置として亀裂に鉄板を当てて溶接したものの、効果は気休め程度だという。船団長は24時間以内の漁場切り揚げ指令を下し、2月20日午後、天洋丸は帰国の途に就いた。


 結果的に、この決断が彼女を救ったとも言える。天洋丸は比較的海況に恵まれ、追い風、追い波で船体にさほど負担をかけることなく暴風圏を越えることができた。タスマニア海峡付近で初めて強い向かい風を受けたが、これも半日ほどで切り抜け、3月21日無事日本に帰港することができた。

 それでも暴風圏では船首が波に突っ込み、アンカーのチェーン箱が満水になるほどの時化に遭遇している。甲板に亀裂が入っているため今度は舷側に負担がかかり、鋲が緩んで浸水が発生、塩蔵鯨肉が貯蔵されている船倉に海水が侵入した。ポンプを稼動させても塩で詰まってなかなか排水できず、あわやの事態が発生している。


 しかし、およそ半月後の3月10日に切り揚げた日新丸船団は、天洋丸ほどの幸運に恵まれなかった。暴風圏の荒海を数日間かけてくぐり抜けた船団は、さらにオーストラリア沖で発達したサイクロンに遭遇したのである。逃げようにも15ノットで迫るサイクロンに対して、すでに前兆の激浪に揉まれる船団は2ノットしか出せず、各船は呻吟しながらさらに3日間を耐え、ようやく時化から開放された。


 母船乗員の手記によれば、母船は船橋付近まで怒濤に突っ込むので、波の直撃を受ける船橋の各室は水浸しとなり、船橋の下にある士官食堂の窓からは青い海水しか見えなかったという。怒濤はまた船尾からスリップウェイを駆け登り、解剖甲板を突っ走ってこれも船橋の背面に打ちつけ、船橋よりも高く舞い上がっては退いていく光景も見られたそうで、船内の状況は推して知るべしである。この間母船からはまったく捕鯨船の姿が見えず、豪胆で知られたある捕鯨船の船長が神棚のお札を海中に投じて無事を祈った、冷凍工船の船長と一等航海士が額を寄せて金毘羅様を流す相談をしていた、というような話もある。

 さらに、この難航で母船の第一日新丸が受けた被害も壮絶なものであった。鯨油槽の障壁鉄板がすべて破断し、全タンクが素通しになってしまったのである。


 一方、日新丸船団より切り上げが早かった日本水産の橋立丸船団は、先行して同じサイクロンに突入していた。

 母船橋立丸は捕鯨母船への改装工事で船尾にスリップウェイを開口する際、舵機を移設して工事量が増加することを嫌ってこれを避けたため、スリップウェイ自体を後方に突出させて先端の喫水を確保した。操業時にこの部分が水中になければ、スリップウェイに鯨体を引き揚げることが出来ないからである。

 ところが、この大時化でこの張出し部分が波に叩かれ、船橋楼や中央楼が縦方向に激しい首振り振動を起こし、古傷の4番油槽縦隔壁では鋲が緩んで油の漏洩が発生した。上部構造物の切抜き穴で角が直角になっていた部分はすべて亀裂が入っていたといい、その振動の激しさが分かる(*7)。


 自然の猛威もさることながら、船体構造の欠陥が招いた損傷が多く、いずれも一歩間違えれば大事故を引き起こしていたところであり、戦標船での南氷洋出漁がまさに命がけであったことが分かる。




-***-


*6…冷凍工船に搭載される小型艇で、荒天で洋上接舷が不可能な場合など、母船から塩蔵・冷凍工船、工船から中積船へ鯨肉や製品の運搬に用いられる。大洋では大発艇、日水では川崎船(かわさきぶね)と呼ばれた。

 なお、少なくとも大洋で用いられた初期のそれは、旧陸海軍が使用した大発そのものであった。揚陸時の安定と波乗りを良くするため船首船底がW型になっており、波がこの間に入って猛烈に縦揺れしたそうである。陸軍船舶部隊からの払い下げ品という主機は例によって故障が多発し、工船の搭載大発4艇に対して予備エンジン2台を用意し、頻繁に交換したという。


*7…第二次南鯨から帰還した昭和23年(1946)、波浪衝撃を緩和するためスリップウェイ張出部の底面をU型に整形する工事を行っている。

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