第二章 輝く南十字星 3.極光の下に日の丸揚げて(2)

2.Roaring forties, Furious fifties, Shricking sixties

 日本の捕鯨船団は10月末から11月の初旬にかけて母港を出港、一路南下しておよそ2週間後に赤道に到達し、この付近で捕鯨船は母船から「赤道給油」と呼ばれる給油を受ける。その後、太平洋戦争の激戦地ソロモン諸島、珊瑚海を通過、オーストラリア沖をさらに南下し、シドニーを過ぎてアホウドリの出迎えを受ける頃、空がどんよりと曇りだし、南西の不気味なうねりが始まる。まもなく暴風圏である。


 高度1万メートル以下の対流圏には大気大循環と呼ばれる空気の流れが存在し、緯度によってそれぞれ赤道低圧帯、亜熱帯高圧帯、亜寒帯低圧帯、極高圧帯が形成される。このうち、亜熱帯高圧帯から亜寒帯低圧帯に向かって吹く風は、コリオリの力によって右に曲げられて偏西風となる。この時、下降気流となって上空から降りてくる暖かい空気の下に冷たい空気が位置することになり、緯度45度から55度付近にかけては常に寒冷前線が形成されて絶えず嵐が吹き荒れる。これが有名な『吠える40度線、狂える50度線』である。


 南氷洋に向かう捕鯨船団は、必ずこの暴風圏の洗礼を受ける。晴れ渡っているにもかかわらず、西北の風が吹き荒び、見渡す限りの海面は白く沸き立つ怒涛に埋め尽くされる。上甲板両舷には命綱が張られるが、行き来するものはほとんどおらず、場合によっては上甲板を歩くことを禁じられる。風は容赦なく吹きつけ、マストやリギンにあたって不気味な唸りを上げる。

 より小さな捕鯨船は、マストの頂上まで波間にすっぽり隠れたかと思うと、波頭に押し上げられてはスクリューを空転させている。300t程度の小型船ながら、激浪に揉まれつつも暴風圏を航行できるのは、大馬力の機関を備えているため重心が低く、高い船首楼を備えて堪航性の高い捕鯨船ならではの芸当である。


 自然の猛威に数日間を耐えて暴風圏を突破、南緯55度を越えるとやがて波は静まり、今度は濃霧が船団を包む。低緯度から流れ込む暖かい空気が極地からの冷たい空気に接して濃い霧が発生し、濃霧圏を形成するのである。


 まさに一寸先も見えない濃霧の中で、母船は間断なく霧笛を吹鳴し、乗組員は総出で見張りにつく。そして、船長は船橋、一等航海士は乗組員と共に船首楼甲板、二等航海士は上甲板、三等航海士はテレグラフ操作と、それぞれの配置部署で目を皿のようにして周囲を見張る。そのような海域を三、四日をかけて濃霧圏を通過すると、ある日突然空が晴れ渡り、初夏の南氷洋が船団を出迎える。氷山とアイス・パックが点在する鯨達の楽園へと到着するのである。


 操業中でも一たび濃霧になると視界は極端に制限され、レーダーのない時代には航行に大きな危険が伴ったが、そのような盲目状態でも新しい漁場が見つかると、より多くの生産量を確保するため船団は移動を強行した。

 母船を中心に捕鯨船を周囲に配した警戒隊形をとって航行することもあったが、基本的に漁場間の移動は船団が一列縦隊になって行なうことが多かった(*5)。先頭には氷山や流氷の見張りとして身軽な捕鯨船を配し、次いで母船、工船が約2kmの距離で等間隔に並ぶ。捕鯨船が母船の前で一列横隊に並ぶこともあったようだ。視界の良好なうちは全速力で移動するが、霧が濃くなってくるとだんだん速力を落とす。昼間でも前の船の船尾が見え辛くなってくると、後方に向けて投光器をつけてもらうことになる。

 それも見えなくなると、前の船が木片を十字に組んだ板切れを流す。これが発見できれば間違いなく前方に船がいることになり、到着時間から距離を計ることが出来るという仕掛けであるが、現実にはそう上手くいかない。特に船団が変針した場合、後続の船は前の船との間隔だけ走ってから舵を取らなければ船団の一列縦隊から外れてしまい、氷山に衝突する可能性が出てくる。霧の中での行動はすべて推測に基づいて行なわれるため、航海担当士官の責任は重大で、数日に渡って霧が続くと船長は立って寝るようなこともあったようだ。



-***-


*5…先に記述した通り、昭和25年(1950)の第五次に母船に新レーダーが装備されると、霧中や暗夜の視界不良時も母船単独で行動することが可能になった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る