第二章 輝く南十字星 3.極光の下に日の丸揚げて(1)

南氷洋捕鯨戦記


1.二二号電探南氷洋を行く

 こうして戦後第一次南氷洋捕鯨は成功裡に終了した。GHQは日本が自力で鯨肉の供給による食糧不足の緩和と、鯨油の輸出による外貨獲得という一挙両得の成果を上げたことに満足し、続く第二次南氷洋捕鯨に一層の期待をかけた。


 ところが、問題は意外な所から持ち上がった。当時、連合国の占領下にあった日本は、GHQの監督官を捕鯨船団1船団あたり2名乗せることが義務付けられていた。戦前、日本が国際捕鯨協定に加盟しなかった不信感は根強かったらしい。このGHQの乗船監督官が、氷山が多数存在し濃霧の発生が多い南氷洋にレーダーも装備しない船で出漁するのは非常に危険であるから、次回の捕鯨船団には乗船したくないと言い出したのだ。

 いささか言いがかりの感もあるが、GHQ監督官の心情も分からなくはない。当時の南氷洋は、濃霧の中に無数のパックアイスと大小の氷山が漂う暗黒の海であった。戦争に負けた国の人間のために、わざわざ命がけでそんな海域に行きたくはなかったのだろう。


 敗戦国日本の立場としては、GHQの監督官が乗船しないことはすなわち南氷洋捕鯨に出漁できないということであり、会社はもとより水産庁も大いに困惑した。昭和22年当時、レーダーは最新兵器の一つという位置付けであり、日本での研究開発及び製造はもちろん、輸入も禁止されていたのである。


 万策尽きて採用されたのが、当時旧工廠に眠っていた海軍の二号二型電波探信儀である。通称「二二号電探」こと周波数3ギガヘルツ、パルス幅6マイクロセカンドで波長10センチメートル、出力2キロワットの純国産レーダーは、周波数的には航海用レーダーと同様のSバンドレーダーと呼ばれるものであった。カタログ上の精度は方位3度、距離500メートル、重量は1.3トンである。

 戦後GHQが接収、保管していた二二号電探の使用許可を取得し、第二次南氷洋捕鯨出漁に際して大洋日水両船団の捕鯨母船、第一日新丸と橋立丸に装備することになった。工事を担当したのは日本無線(JRC)、昭和22年(1947)のことである。


 二二号電探はAスコープと呼ばれる指示方式で、目標物までの距離がブラウン管の直交座標上の横軸に、反射波の強度が縦軸に表示される。方位は発信用と受信用の電磁ラッパを手動で回転させて、方位指示計で読み取るというものであった。現在のレーダーが採用している指示方式はPPI(*1)と呼ばれるもので、回転するレーダーが全方位を走査し、目標物までの距離と方位をブラウン管の極座標上に表示するものである。PPI方式が目標の位置を視覚的に捉えることが出来る(*2)のに対し、Aスコープ方式は目標の把握に熟練を必要とした。


 この年の出漁で『使用結果は予想外の成果』(*3)を得た二二号電探は船団各船にも装備され(*4)、昭和25年(1950)の第五次南氷洋捕鯨まで使用されている。この間、レーダーの保守点検と部品供給を支えたのは、戦争中に電探の開発・製作に従事した人々であったという。


 もっとも、この時第一日新丸に乗り組んだGHQ監督官の英退役海軍大佐からは、『日本はこんなものを後生大事に使っているから戦争に負けたのだ。ロンドンではアンテナが回転して映像が画面に映る、もっと良いものが市販されている』旨を、さらに翌年の第三次南氷洋捕鯨出港前、第一日新丸を視察された高松宮殿下からは、『このレーダーは効果があるかね。僕も使って知ってはいるが、故障が多く小さな氷山などには効果がないのではないか』との自らの実体験に即したお言葉を頂戴している。

 事実、翌23年の第三次南氷洋捕鯨では、日本水産の橋立丸がグリーン島7海里に接岸するという事件が発生している。当時、GHQは航行中いかなる島であってもその12海里以内に近づくことを禁止していたが、深夜の視界不良に加えて潮流の流れも速く、しかも頼みのレーダーは故障のため探知することが出来なかった、というのがその理由である。


 昭和25年1月、GHQの日本政府当て覚書で船舶用レーダーの使用が条件付で許可された。その第一号は同年9月に青函連絡船が装備したスペリー社製のPPI方式レーダーであったが、次いで第五次南氷洋捕鯨出漁前の10月29日に橋立丸、11月1日に第一日新丸がレイセオン社製のレーダーを装備し、二二号電探は順次換装されていった。

 なお、第一日新丸は出漁に輸入品のレーダー到着が間に合わず、船団より遅れて出港した冷凍工船第二天洋丸にのみ装備して、第一日新丸用のものは技師同乗の上南氷洋まで輸送、洋上で換装工事を行なうという離れ業を演じている。

 こうして旧海軍の兵器として廃棄処分されるはずであった二二号電探が、図らずも戦後の南氷洋捕鯨で日の目を見ることが出来たのである。GHQが日本に船舶用レーダーの製造を許可したのは昭和26年(1951)8月で、捕鯨船に装備され始めるのは27年以降のことである。



-***-

*1…Plane Position Indicatorの略で、平面位置表示器と訳される。なお、極座標とはX軸が角度、Y軸が原点からの距離を示すものである。


*2…走査線が丸い画面を時計の針のように回転するもの。自分の位置を原点として、全方位の目標物が地図の様に表示される。


*3…電探装備に尽力した大洋の通信士の回想より。「実際には使い物にならなかった」とする乗員の手記が複数あり、むしろその意見の方が多い。『濃霧の中、千メートル先にエコー有り、とおそるおそる進んだが一向に姿が見えない。霧が晴れると水平線まで何も無い』旨の記述も見られる。


*4…第二天洋丸は昭和22年から装備していたとの記述がある。天洋丸は記述で、摂津丸は図面でその搭載が確認できるが時期は不明。その他の船舶の装備状況は不詳。

 なお、捕鯨船団以外では郵政局の電纜敷設船(ケーブル敷設船)千代田丸にも許可が下りている。

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