第30話 好き……なのかもしれない

 その日の夜。


 ペラッ……ペラッ……。


『――彼女に、訂正と謝罪を』


 ペラッ……ペラッ……。


『彼女は私にとって大切な…――家族です』


 ペラッ……ペラッ……。


 本のページを捲る音。それだけが耳に入ってくる。   


 わたしがベッドに寝転がって読んでいるのは、巷で話題の学園モノのバトル漫画。


 どちらかというと、あまり手を出さないジャンルではあるのだけど。女の子は話題に敏感だ。


 時代の流行に乗り遅れないために、日々の情報収集をおこたらない。


 興味があろうが無かろうが、一度手は出している。


 興味なんてものは、見てから湧けばいい。


 ペラッ……ペラッ……。


「…………はぁ」


 でも、ダメだ……。


 全然、話が頭に入ってこない……。


 あの子にあんな熱いところがあったなんて。


「人って、ほんと見た目に寄らないな……」


 ……それは、せんぱいも同じか。


 人のことになると、周りが見えなくなるところとか。


 あとは……


「………………」


 手に持っていた漫画を枕元に置くと、徐にベッドから起き上がった。


 そして、その足が向かった先は…――




「あ、あのさ……ちょっといい?」




 浴室の前だった。


 すると、中から抑揚のない声が返ってきた。


「……私に何の用?」


 その声の主は、湯船に浸かっているつぐみだった。


「えっと……その……」

「……一緒に入りたいと言っても、入れて――」

「だ、誰が、あんたと一緒にお風呂になんて入るもんですか!!」

「……なら、何の用?」

「!! そ、それは……」


 なかなか言い出せず、モジモジしていると、


「……トイレはここじゃない」

「は、はぁ!? それくらいわかるわっ!」


 どうやら、すりガラス越しからだと、トイレを我慢しているように見えたようだ。


「すぅー……すぅー……」


 すると、微かに浴室から寝息の音が……


「すぅー……すぅー……」


「!? いやいやっ、お風呂で寝ちゃダメでしょ!!」


 あれ? いつからわたし……ツッコミキャラみたいになってるの?


 そもそも、いつの間に、こんな普通に喋れるように…――


「――放課後のことですか?」

「ッ!!? さ、さぁ〜? なっ、なんのことだろ~……?」


 ぎこちなさ百二十パーセントの口調になっているところを、つぐみは逃さない。


「……すりガラス越しでも、あなたが今どんな顔をしているのかはわかる」

「…………っ。もしかして、気づいていたの……?」

「最初から」

「えっ……!? そう、だったんだ……」


 バレてたんだ……あれ? じゃあ、あのとき…――


『彼女は私にとって大切な…――家族です』


 って、わたしがこっそり聞いていたことに気づいた上で言ったってこと?


 ………………。


 け、計算高い女だあぁぁぁ……。


「今、心の中で『あなたに言われたくない』って思ったのは、気のせい?」


 しかも、人の心を読める……!?


「……ガラス越しでないと話せないことがある。違う?」


 見透かされている……。


「っ……お、お礼を言いたくて……」

「お礼?」

「えっと……あ、ありがと……っ」

「あなたにお礼を言われるようなことは、なにもしていない」

「したでしょ! ……とても嬉しかった……。その……家族として見てくれていたこと、とか……っ」


 話していると、たまに鼻に付くときがあったりするけど。


「……私は、“家族”として当たり前のことをしただけ」

「それが嬉しかったって言ってるのっ!」


 家族、か……。ふふっ。


「彼女……警告はしたけれど。また同じようなことをする可能性がないとは言えない」

「そ、それくらいわかってる……っ。というか、もう慣れっ子だからいちいち気にしてないっ」

「……そうですか。では、話が終わったのなら――」

「あ、あと、一つだけで気になることがあるんだけど」

「……気になること?」

「どうしても知りたいこと、というか……」

「…………はぁ。私が答えられる範囲のことなら、構わない」

「っ!! じゃ、じゃあ…………じゃあ…………」

「? 寝るのなら、横になった方が――」




「せんぱいのこと、まだ好きなの?」




 ………………………………………………………………………………。


 いくら待っても、中からの返事はなかった。


「……い、今言ったことは忘れ…――」


 そのとき、突然、扉が開けられ……中から、


「え……ッ!?」


 つぐみが、一糸纏わぬ姿で出てきた。


「………………」


 真っすぐな瞳でこっちを見つめていることよりも、わたしは、火照った身体の方に目が向いてしまった。


 暴力的な大きさのバスト、羨ましいほどにくびれたウエスト、形のいいヒップ。


 扇情的なそのプロポーションに、同性の自分ですら目を見張った。


 出るところは出ていて、締まるところは締まっている。


 制服越しではわからなかったことから、恐らく着痩せするタイプなのだろう。


 家では、いつも部屋着か制服を着ているときしか見ないから。


(というか……なんなの……ッ!? この女……!?)


「私は……先輩のこと……」


 艶のあるその声に、鼓膜が蕩けてしまいそうになる。


 自分のほっぺが、ちょっとだけ熱い……。


 浴室から漏れた湯気で火照ってしまったのかもしれない。


 絶対にそうだっ。……いや、多分、息を吞むほどの美貌がそこにあるからだ……。


「…………っ」


 目で見てもはっきりとわかるほど、格の差を見せつけられてしまった。


 もし……せんぱいが、こんなポテンシャルの塊を見てしまったら……




「好き……なのかもしれない」




「――――――…え」


 聞き間違いでないのなら、わたしは、確かに聞いた。


 この子の、今の気持ちを……。


「……そ、そっか」


 はっきりしない返事だったけど。これで一つだけわかった。


 それは…………栗ノ沢つぐみは、高谷たかや未希人みきとのことを、まだ“好き”だということだ。


「………………」


 彼女の顔が火照っているのは、単純にお風呂に浸かっていたからなのか、それとも自分で言ったことを思い出して恥ずかしくなったのか。


 その答えは、恐らく前者だろう。この子が、恥ずかしいなんて思うわけがない。


 今も真顔でこっちを……


「……なに?」

「!? ……じゃ、じゃあ、話は終わったから……ご、ごゆっくり……っ」


 そう言い残して、凛々葉は逃げ込むように自室に戻ると、後ろ手で扉を閉めた。


「…………はぁ」


 ため息を漏らしながらベッドに飛び込むと、枕に顔を埋めた。


 この短時間でどっと疲れてしまった。


「………………」


 せんぱいの隣に彼女わたしがいるというのに、あの子は――…まだ心の中でせんぱいを諦めていない。


 こうなってくると、どういう経緯で別れたのかが気になる。


 さっき聞けば……教えてくれたのかな……。


『あなたに教える必要はない』


 と言って却下される姿が目に浮かぶ。


「……せんぱいに聞けば……」


 ……って、なに考えているんだろう。


 わたしが聞けば教えてくれるかもしれないけど。せんぱいに対してデリカシーに欠けるようなことは、あまりしたくない。


「せんぱい……」


 と呟くと、つぐみを助けに行く未希人の後ろ姿と、さっきのつぐみの顔が頭に浮かんだ。


「……ッ!! どうして……」


 首を横に振っても、その光景を振り払うことはできなかった。




 凛々葉りりはが部屋に戻った後、つぐみは体を温めるために湯船に浸かり直した。


「………………」


 湯船に顔を埋めながら頭に浮かんだのは、さっきの言葉――。


『せんぱいのこと、まだ好きなの?』


 引き金となる言葉としては、十分すぎるほどだった。


『好き……なのかもしれない』


 自分で言ったはずなのに、その自覚がまるでない。気づいたら口から出ていた。


「どうして……あんなこと……」


 ……もしかすると……自分自身に言い聞かせていたのかもしれない。


 と心の中で呟きながら、毛先から落ちた水滴が揺らす水面をぼーっと見つめていた。


「先輩……」


 おのずと彼を呼んだ。


 もちろん、呼んだからと言って先輩が飛んでくるわけじゃない。


(でも……)


 自分がピンチなときには、あの人は必ず駆け付けてくれる。そんな根拠のない自信があるから――…諦め切れないのかもしれない。


「………………」


 空き教室で言ったあの言葉……。


『…………好きだった人を誰かに取られる気持ち、少しだけわかる』


 嫌がらせという部分を除けば、彼女と私はなにも変わらない。




あわれなのは…………私も、か」




 浴室に響き渡らない小さな声で、つぐみはそっと呟いたのだった――。

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