第29話 彼女は私にとって大切な…――

「――彼女に、訂正と謝罪を」




「どう……して……」


 と呟く凛々葉りりはちゃんは、まるで信じられないものを見ているかのように、目を見開いていた。


 つぐみの行動に驚きを隠せないようだが、それは……俺も同じだ。


 あんなに怒っているつぐみを見るのは、初めてだったのだから……。


「はぁ~? 悪口? あたしが? なんのことだか、さっぱりなんですけど~w」

「……中学の頃。同じクラスだった彼女に好きな人を奪われたあなたが、ありもしない噂を学校中に流した」

「なッ……!?」


 ありもしない噂を流した……?


 まさか、トイレで聞いた会話に出てきた『中学が同じだったっていう子』って、あの子のことなんじゃ……でも、待てよ? さっき凛々葉ちゃんは、ショッピングモールで見かけたときのことは話しても、中学のときのことはなにも言っていなかったぞ?


 それはつまり、直接の接点はないということなのか?


「…………っ」


 隣の凛々葉ちゃんは、じっとその様子を見つめていた。


「ど、どうしてあんたが、そのことを……」


 口を大きく開けて驚いている彼女に、つぐみは続けて言った。


「あなたの連れを問い詰めたら、全てを話した」

「ハァ……ッ!?  ……だから、今日は用事があるって帰ったのか……ッ!!」

「……ふふっ」

「なにがおかしいんだよ……ッ!?」

「信じていた人にあっさり裏切られるあなたを見ていたら……ふふっ。――――哀れね」

「ッ!? もう一回言ってみろやアアアアアアアーーーッ!!」


 と叫び声を上げながらつぐみに一気に詰め寄ると、襟元をグッと掴んだ。


 その光景を見た瞬間……


「止めろぉぉおおおおおおおおおおーーーーーっ!!」


 咄嗟に体が反応した。


「せ、せんぱい!? 待っ――」




「――やめてください」




 扉を開けようとしたところで、つぐみは彼女の手首を掴んだ。


「私は、そんなことをするためにあなたをここに呼んだわけじゃない」


 と言うと、彼女はその圧に負けて襟から手を離した。


「「はぁ……」」


 よかった……殴り合いに発展しなくて……。


「もし行っていたら、こっそり見ていたことがバレていましたよ……っ」

「体が勝手に反応しちゃって……っ」

「体が、勝手に……そうですか……」

「凛々葉ちゃん?」

「……あ。ほ、ほらっ、なにか喋るみたいですよ……っ!」

「う、うん。……?」


 引っかかる点はありつつも、再び扉の小窓から中を覗いた。


「なぜ、彼女を傷つけるようなことを?」

「………………」


 彼女が目を逸らしてなにも答えないでいると、つぐみは「はぁ……」と息を吐いた。


「答えたくないのなら、別にそれでも構わない。…………あなたには、小さい頃から幼なじみがいた」

「……っ!? どうして、あんたが……」

「その幼なじみは、同じ中学の野球部に所属していて、キャプテンだった」


 幼なじみ……?


「中学の野球部で……キャプテン……あっ」

「? もしかして、なにか思い出したの?」

「いえ。思い出したのは、あの人のことじゃなくて、野球部のキャプテンだった人の方です」

「え?」


 凛々葉ちゃん曰く、その人とは中二のときに一瞬だけ付き合っていたらしい。


「あの人……顔はいいけど。十秒に一回はわたしの体を見てくるので、正直、怖かったんですよね……」

「あぁ……」


 それはすぐに別れてもしょうがない。だって、体しか見ていないのだから。


「あなたは、その幼なじみのことが好きだった」

「……ああぁ、そーだよッ!! 幼稚園のときから……っ」


 さっきまでとは明らかに違う表情で、彼女は呟いた。


「ずっと告白したかった……っ。でも、なかなか勇気が出なくて……そのまま時間だけが過ぎていって……」


 彼女の目には、過去の光景が映っているのだろう。


「それで……中二に上がってちょっと経った頃、彼が告白したの……あの女にッ!」


 その瞳は、一瞬にして怒りの色に染まった。


「最初は受け入れられなかった……。でも、あんなに幸せそうな顔を見せられたら……受け入れるしかなかったの……っ!」


 俺たちにはわからない、彼女なりの葛藤があったのだろう。


 好きだった人が幸せなら、それを飲み込むしかない。


 ……けれど。


「けど……そんな彼を、あの女は振った。いとも簡単にッ! まるで、付き合っていたことがなかったみたいに……ッ!!」


 今までの鬱憤うっぷんを晴らすかのように、思いの丈をぶつけた。


「…………」


 つぐみはそれを、黙ったまま聞いていた。


 第三者目線で聞く限り、今回の話はちょっとしたすれ違いで発展してしまったことだということがわかる。


 恐怖を感じて別れた凛々葉ちゃん。

 単純に振られたと思い込んだ幼なじみ。

 幼なじみが傷つけられたことで恨みを募らせた彼女。


 このいびつな三角形が、嫌がらせをするきっかけを生んでしまった……。


 女の恨み……恐ろしい……。


 それから話を聞いていると、どうやらきっかけになる出来事はまだあったらしい。


 彼女が、振られて落ち込む幼なじみを励まそうとしたのだが、それが逆効果だった。


 同情されたことに彼が怒り、その日から会ってくれなくなったことが、決め手になってしまったようだ。


 さらに、一緒の高校に行くはずが、別々の高校になってしまったという。


「事情はわかった。でも、あなたのしたことは間違っている」

「――――…間違っていた? あの女が、あたしたちの関係をメチャクチャにしておいて……?」


 彼女の静かな問いに、つぐみはコクリと頷いた。


「告白をするチャンスはいくらでもあった。でも、それをしなかった」

「そ、それは……ッ」

「あなたが、この状況を生んだ」

「…………っ!!」

「勇気を持って告白していれば、どちららにせよ答えが出ていた。あなたが告白していれば…………彼女が傷つけられることはなかった」


 冷たい言い方だが、間違ったことは言っていない。


 小さい頃から一緒にいたのなら、幼なじみが凛々葉ちゃんに告白する前に伝えられたはずだ。自分の想いを……。


「自分を責めず、他人のせいだと決めつけたあなた自身が、関係を滅茶苦茶にした」

「そんな……ことは……」


 つぐみの真っ直ぐな瞳に見つめられて、彼女は言葉に詰まった。


 なにを言っても、『正論』で返ってくると察したからだ。


 そして、つぐみはトドメと言わんばかりに言い放った。




「たとえ、“義理”の姉妹だとしても、彼女は私にとって大切な…――家族です。あなたのように、影からしかモノが言えないような人たちに……これ以上、彼女を傷つけるような真似はさせない。――――…絶対に」




 ………………………………………………………………………………。


 沈黙の時間だけが流れていく。


 ……ゴクっ。


 唾を飲み込む音さえ立てられないほどの緊張感が漂っていた。


 すると、その沈黙を打ち破るようにつぐみが口を開けた。


「…………好きだった人を誰かに取られる気持ち、少しだけわかる」

「え……?」


 なにかを呟いてから扉の方に体を向けると、


「……強制はしない。あなたの口から直接伝えて。許されるかどうかはわからないけど……」


 と言い残して、つぐみはこっちに向かって歩き出し……って、これヤバくない?


「せんぱい、こっちです……っ!」

「え、わぁっ…――」


 つぐみは扉を開けると、スタスタと廊下を進んで行った。


「………………」


 教室に残った彼女は、最初は俯いたまま動こうとはしなかったが、少し経って教室を後にした。


 ドキッ……ドキッ……。


「二人とも、行ったみたいですね……」

「そうみたいだね……」


 ふぅ……危なかった……。


 凛々葉ちゃんに引っ張られる形で、向かいの教室になんとか隠れることができた。


 それにしても、最後、なにを言ったんだ? 表情も、背中越しでわからなかったし。


「せ、せんぱい……っ」

「ん? なに?」

「……いえ、なんでもありません……つ」

「……?」


 凛々葉ちゃんは扉から顔を出して廊下を確認すると、


「じゃあ、帰りましょうか」

「う、うん……」


 俺はまた彼女に手を引かれて、教室を出たのだった。

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