第31話 揉んどきますか?

 次の日の昼休み。


 いつも通りどんよりとした空の下。


 二人で昼食を食べ始めて、もうすぐ二十分が経とうとしているのだけど。


「………………」


 隣のせんぱいが手を止めたまま、じーっとお弁当を見つめていた。


 手作りのミートボール、ほうれん草とチーズの玉子焼き、ブロッコリー。


(今、せんぱいが見ているのは………………玉子焼き?)


 苦手なおかずがあるんじゃないかと思ったけど。


 もしかして、ほうれん草がダメとか? それともチーズの方?


「きょっ、今日の玉子焼き……ほうれん草とチーズを入れてみたんですけど……」

「うんっ、とても美味しそうだね……」


 よ、よかったー……。でも、それならどうして……


「………………」


 尋ねてもいいのかな……。


「せんぱい、今日はどうしたんですか?」

「ん? んんー……」


 ……明らかに反応が薄い。いつものなら、


『キミが美しすぎるから、目を合わせられなかったんだ!』

『も、もう……っ。そんなこと言っても、なにも出ませんよ……っ?』

『隣にいてくれるだけいい!』

『せんぱい……っ』

凛々葉りりは……!』


 そして、ふたりは…………ということは起きないんだけど。


 今日のせんぱいは、どこかおかしい。


 ………………。


「せんぱいっ」

「……ん?」


 わたしは徐に自分の胸を下から持ち上げると、




「揉んどきますか?」




「え? ……ええぇ!?」


 ……ふふっ。せんぱい……顔が真っ赤ですよ……?♡


「さあ、思いっ切りどうぞっ♪」


 この誘惑には、さすがのせんぱいも……っ♡


 当の本人であるせんぱいはというと、顔を真っ赤にしながら、


「だ、大丈夫だからっ!」

「え」


 魅力的な提案のはずなのに、なぜか断った。


「今なら、ワシッと、モギュッとできるのにですか!?」

「あははは……」


 うーん……。やっぱり怪しい……けど。


「恥ずかしがることはないんですよ?」

「り、凛々葉ちゃんって、たまに驚くことを言うときあるよね……?」

「そうですか?」

「う、うん……っ」


 せんぱいが頷くのだから、そういうことなのだろう。


 考えて喋っているときはいいけど。咄嗟とっさに出た言葉は、意外と自分では気づかないものだ。


「どうしたの、凛々葉ちゃん? なんだか今日は変だよ?」

「……それはせんぱいの方です」

「え? あぁ……あははは……」


 そして始まった、無言の時間……。


「………………」

「………………」


 しーーーーーーーーーーんっ。


 やっぱり、今日のせんぱいは、どこかおかしい――――…ハッ! ま、まさか、わたしがいないところであの女と……ッ!?


『くしゅんっ。……ん?』


 ぐぬぬぬぬ……ッ。


 握りこぶしからギシギシと音が聞こえるのは、きっと気のせいだ。


「えっと……凛々葉ちゃん」

「はい、なんですか? あっ。もしかして、『空いている日はあるか?』とかですか~?♪」

「…………ご」

「ご?」

「…………ごめん!!!」


 そう言って、せんぱいはこっちに向かってバァッと頭を下げた。


「……って、どうしてせんぱいが謝ってくるんですか!?」

「…………っ」


 まさか、本当にあの女と……ッ!?


『くしゅんっ。……風邪?』


 うぅぅぅ……っ!!


「……と、とりあえず、顔を上げてくださいっ。話は、それから聞きますからっ!」

「うん……」


 せんぱいは顔を上げると、こっちをチラチラと見ながら尋ねてきた。


「昨日の昼休みのとき……凛々葉ちゃん、つぐみのことが心配かって聞いてきたでしょ?」

「……っ! そう、ですね……」




『そういうことを聞きたいんじゃないんですっ!』




 ………………。


 咄嗟に出た言葉とはいえ、あんな強い言い方をする必要はなかったはずだ。


 反省ですね……。


「昨日、家に帰ってからいろいろと考えて思ったんだ。あんな、あやふやな言い方はよくなかったなって……」

「っ!! せんぱい……っ」

「つぐみのことは……心配だったよ。凛々葉ちゃんの家族だからとか、そんなんじゃなく……」


 それは選んだ言葉などではなく、本心から出る言葉だった。


 なら、こっちも本心で……


「正直、ちょっぴり嫉妬しました……。彼女がいるのに、元カノの方を大事にするんだなって……」

「あぁ……ごめんなさい」

「ふふっ。そういうところですよ、せんぱい」

「え、なにが?」

「そういう誰にでも優しすぎるところですーっ」

「? そうかな?」

「せんぱい……無自覚だったんですか? なら、それはそれでびっくりですね」

「困っているところを見ると、放っておけないというか……っ」


 お人好ひとよしというか、なんというか。


「まぁ、付き合ったからこそ気づけたとも言えますし、わたしは気づけてよかったと思いますっ」

「凛々葉ちゃん……っ」

「えへへっ♡ あ、せんぱい、お弁当冷めちゃいますから、早く食べましょう♪ と言っても、もうとっくに冷めてるんですけどね」

「あははは……あ」

「? どうしたんですか?」

「い……いや、なんでもない……っ」


 おっと、これは?


「えぇ~、気になるじゃないですか~?」


 すると、せんぱいは手に持ったお箸で、玉子焼きを一つ口に運んだ。


「こ、この玉子焼き、美味しいぃぃ~っ!」

「……せんぱい。誤魔化すのが下手すぎです」

「うっ……」


 ほんと、せんぱいはわかりやすいんですからっ。


 そういうところが、母性をくすぐってくるんですけどね。


「……はぁ。じゃあ、こうしましょう」

「?」

「わたしが……せんぱいにヒミツにしていることを教えるので、せんぱいは、今言おうとしたことを教えてください」

「……ヒミツ?」


 やっぱり、気になりますよね~。


「はいっ。とびっきりの……っ」


 ……本当は、あまり教えたくないんですけどね。


「ヒミツ、か……」


 どうやら、わたしのヒミツが気になるみたいですね。


 これは、話をしてくれそうな予感っ♪


「うーん……。やっぱり、止めておこうかな」

「――――…え……ええぇ!? そこは気になるから話す流れじゃないですか……っ!!」

「ヒミツにしていることを無理に話させるのは、ちょっと……」

「そこでいつもの優しさを出す必要はないんですーっ!」

「じゃ、じゃあ、本当にいいの?」

「はいっ! ドンッと来いですっ」


 と言って、エッヘンと張った胸を手でぽんっと叩いた。


「えっと……凛々葉ちゃんは……」

「はいっ」




「……どうして俺の告白、OKしてくれたの?」




 ――――――――――――――――――。


「……はい? えっと、それはどういうことですか?」

「ほ、ほらっ、俺、見た通りあまりパッとしないからさ……」


 その声からは、『不安』の二文字が窺えた。


 この人は本当に優しい人だ。


 自分のことが迷惑かもしれないと、考えてしまうのだから……。


「……ふふっ。単純な話ですよ、せんぱい」




 わたしはお弁当に目を落すと、独り言のように話し始めた……。

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