第三章ですっ♡
第21話 あれ、もしかして知らなかったんですか?
あれから、数日後――。
いつもと同じ空の下、今日も二人で一緒に屋上で昼食を食べていたのだけど……。
「せんぱいっ、ここが最近話題のシュークリームの専門店ですよっ」
「へ、へぇー……そうなんだー……」
今、話し合っていたのは、
「カスタードにチョコレート、たっぷりクリーム、どれも美味しそうですね~っ♪」
隣でスマホの画面を見ながら、楽しそうにしている彼女とは対照的に、俺は……
「そ、そうだね……」
ぎ……ぎこちなすぎるにもほどがあるだろ! 気まずい空気を作ってどうする……!?
はぁ……。
これも全て、トイレで凛々葉ちゃんの噂を聞いてしまったからだ。
『中学のときに、いろんな男に貢がせていたらしいぞw』
………………。
あのとき、なにか一言でも言い返していれば……こんな状態にはならなかったはずだ……。
「はぁ……」
「――せんぱい? せんぱーいっ」
「……っ!? な、なに?」
「どうしたんですか? さっきからぼーっとして」
「え? あ、ちょっと考え事をしていただけだよ……っ」
「だから、『はぁ……』ってため息をこぼしていたんですね」
「ま、まあ、そんなところ……かな……」
ぎこちない声で答えると、凛々葉ちゃんがじっとこっちを見てきた。
その瞳の前では、どんな誤魔化しも通用しない。
「せんぱい。最近、わたしとあまり目を合わせてくれませんよね?」
「え、えっ? そんなことはないよ? ほら、今だって……」
「……前髪に目は付いていませんっ」
「うっ……」
なにか言わなきゃいけないのに、口から声が出ない。
それから、口を閉じたままでいると、彼女は「はぁ」と息を吐いた。
「どうしても言えないのなら、これ以上は追及しません」
ふぅー……。
「……でも、もしそのことでせんぱいが困っているのなら……わたし……黙っていませんからっ」
「……っ!! 凛々葉ちゃん……」
彼女は、コロコロと表情を変える。
ニコッと子供のように無邪気なときもあれば、キリッとした鋭さを持っているときもあって……。
一緒にいればいるほど、俺は彼女の魅力にどんどん引き込まれていった。
恐らく、“他の人たち”も……
「……き、聞きたいことがあるんだけど……いいかな?」
「はい。教えてくださいっ」
うっ。そんな真っ直ぐな瞳で見つめられると……っ。
「ほ、本当にいいんだね……!?」
「せんぱいに聞かれたことなら、なんでもお答えしますっ!」
「なんでも……!!?」
そ、それはそれで……あ。
こんなときになんてことを考えているんだ、俺は……ッ!!
「さ、最後に聞くけど……っ。本当に……本当に、いいの?」
凛々葉ちゃんは真剣な顔でコクリと頷いた。
……。
…………。
………………。
間を空けるには長すぎたが、おかげで覚悟は決まった。
「じ、実は…――」
「――というわけなんだけど」
数日前、トイレで聞いたことを話した。
あまり言わない方がいいと思ったけど。あんなに真っ直ぐな目で見られたら……言わないわけにはいかなかった。
「なるほど、見事なまでの言われようですね。どこのクラスの子が言って回っているのやら。……誰か突き止めないと……」
「ッ!!? そ、それは、さすがに……っ」
「ふふっ。冗談ですよ」
全然、冗談に聞こえない……。
「……ほんとに大丈夫ですよっ。元々……わかっていましたから。周りに嫌われていることくらい……っ」
と言っているときの表情が、どこか悲しさに満ちていた。
こんな様子の彼女を見るのは、初めてだ。
「えっと……聞いてもいいかな? ……昔のこと、とか……」
「別に構いませんけど、ほんとに聞きたいんですか?」
「……うん」
「どうしても?」
「無理にとは言わないけど……」
「……わかりました。せんぱいの熱意に負けたので、特別に教えてあげます」
そう言って、俺の制服の袖をギュッと掴むと、一度俯かせた顔を上げた。
「わたしは……幼い頃から、一秒でも早く大人になりたいと思っていたんです」
「大人に……?」
「……せんぱいはご存じだと思いますが、わたしの母は、わたしが生まれてすぐに病気で亡くなりました」
「………………え?」
「あれ、もしかして知らなかったんですか?」
「う、うん……」
「そうでしたか……。てっきり、梨恵さんが話していると思っていたんですけど……」
「梨恵さんからは、なにも……」
わざわざ俺に話す必要はないからな……。
すると、凛々葉ちゃんは空を眺めながら、独り言のように話し始めた。
「母を亡くす前までは、超が付く甘えん坊だったらしいんです。わたしはあまり憶えていないんですけどね……っ」
顔もあまりはっきりとは憶えていないとのことだ。写真を見せられても、ピンッと
家族なのに……その実感がないのか……。
なんというか、胸の辺りがキュッと締め付けられる気分だ。
「母が亡くなった後。わたしは、父が再婚するまで二人だけで暮らしていました。父は帰りが遅かったので、家のことは全部わたしがやっていたんです」
当時の凛々葉ちゃんは、まだ五才。
まだまだ甘えたい年頃なのに、お父さんを困らせないために健気に頑張っていたのか。
「あまりお金を掛けたくなかったので、中学に上がってからは、手作りのお弁当を作ったりしていました。……最初の頃は苦労しましたけどね」
そうだったのか……。だから、あんなに美味しかったんだ。
あのお弁当は、彼女の日々の積み重ねが成した結果なのだろう。
でも、それと『早く大人になりたい』という言葉がどう繋がるんだ?
「仕事が忙しくても、まだ幼かったわたしを一生懸命に育ててくれている父の姿を見ていたときに、ふと思ったんです……」
「『早く大人になりたい』って……?」
「……はい。子供なりに考えて出した、わたしの結論です。でも、お金を稼ごうにもバイトは高校からでないとできません」
「そ、そうだね……」
「中学生だったわたしは、どうすればいいのかわからないでいました。そんなあるとき…………告白されたんです」
――これが、他の女子たちに嫌われ始めるきっかけになった。
「最初に付き合ったのは、当時サッカー部のキャプテンでエースだった人です。女の子たちの間では、常に話題が上がるほどでした」
サッカー部で、キャプテンで、エース……?
インドアで、帰宅部で、運動音痴……。
今のところ、勝ち目ゼロなんですけど……。
「はぁ…………」
勝手に比較して、勝手に落ち込んでいると、
「あっ。元カレの話なんて、聞きたくなかったですよね……?」
「い、いや、聞いたのはこっちだから……」
「わかりやすく傷ついているじゃないですかっ」
はい……思いっ切り傷ついています……。
やっぱり、そういう人の方が…――
「でも。わたし同様に、向こうも初めてだったみたいなんですけど。――――すれば、――――が、―――――とでも思っていたみたいですっ」
「へ、へぇー……」
「女の子の体をなんだと思っているんでしょうね?」
「お、俺に聞かれても……」
今、ノイズみたい音が聴こえたような気が……。
というか、容赦ないな……。
もし、“あのとき”、素直に『初めてです』って伝えていなかったら、こういう風に言われていたんだと思うと、
ブルブル……っ。
「まあ。そんなこんなで付き合っている内に、大人の階段を上ることが一番の近道だと思うようになっていったんです」
「だから……いろんな人と付き合っていたの……?」
「……いいえ」
「え?」
「わたしが付き合っていた人は、片手で数えるほどしかいません」
「そ、そうなんだ……」
……んん? じゃあ、あのとき……。
「俺がトイレで聞いた話は、実は噓だったってこと?」
「そういうことに……なります」
「……ッ!!? じゃあ、凛々葉ちゃんのことを恨んでいる誰かが、あんな噂を広めたってことだよね……ッ!?」
そして、根も葉もない噂が周りに回って、気づいたときには、周りには誰もいなかった……っと。
それにしても、
「誰がそんなことを言ったんだ……?」
「日常茶飯事ですからね……」
「日常茶飯事って……」
「『男子の前では良い子ちゃんぶってウザい』って言われたり、休み時間にトイレに呼び出されたりとか」
それが日常茶飯事なのか……。女の子の世界は恐ろしい……。
今も、凛々葉ちゃんは至って平気な顔で話しているけど。
――でも。ちょっとだけ、声が震えている……?
「裏垢にたくさん悪口書いてそうとか……誰とでも付き合うから股が緩そうとか……」
凛々葉ちゃん……。
「モテるって……意外と大変なんですよ……? 嫌でも恨みを買いますし……」
こんなにも優しい子が、そんな経験をしていたなんて……。
時々、声を詰まらせながら話している彼女に、俺はなぜか無性に……
「せっ、せんぱい……っ?」
よしよし……っ。
俺が頭を優しく撫でると、彼女はなにがなんだかわからず、手をアタフタさせていた。
大人びていても、本当はまだ誰かに甘えていたいはずだ。
話が聞けてよかった……。
(……今なら、“あのこと”を伝えられそうだ……っ)
俺が手を離すと、ちょっぴり寂し気な表情で手を見つめていた。
また撫でよう。必ず……っ。
「凛々葉ちゃん」
「……っ! は、はい……っ」
俺が呼ぶと、凛々葉は反射的にピンッと背筋を伸ばした。
ドキッ……ドキッ……。
なにを言われるのかわからずにいる彼女に、俺は言った。
「……今度の休みの日、一緒に出かけない?」
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