第5話 ――あれは……

 午後のホームルームが終わると、素早く帰り支度を済ませた宏也ひろやが言った。


「やっと終わった~!! 未希人みきと〜っ、これからカラオケ行かねぇー?」

「ああ……今日はパス」

「ん? つれねぇなぁ〜。俺を一人ぼっちにするつもりか? ここで泣いちゃうぞ?」

「……彼女がいるだろ。これから会いに行けばいいじゃないか」

「向こうは今日、部活だから会う時間がねぇんだよー」

「確か、茶道部さどうぶだっけ?」

「そそっ。ところで、俺の誘いを断るんだから、余程大事な用なんだろうな〜?」

「ふふっ。それはもぉ〜〜〜大事な用だっ!」

「ほほぉ~、幸せそうでなによりだ。しょうがねぇ、今日はおとなしく帰るとしますか。あっ、その代わり、今度誘ったらちゃんと付き合えよ~?」

「わかってるって。じゃあまた明日ーっ」

「おぉー。じゃなぁー」


 親友に見送られて、俺は教室を出た。


 向こうから来てもらうのも悪いし、迎えに行こう。


 そう思い、ポケットからスマホを出すと、


『今から迎えに行くよ』


 とメッセージを送った。


(これでよしっ)


 ブゥウウウーッ。


「ん?」


 画面を見てみると、凛々葉ちゃんから返信がきていた。


『門の前で待っています。私と一緒にいると、先輩に迷惑をかけてしまいますから……』


 迷惑? 別にそんなことはないけど。……まあ、向こうがそう言うのなら。


『わかった。すぐに行くよ』


 と返信して、俺は足早に昇降口へと向かった。




 それから靴を履き替えて向かうと、門を出たところに彼女が立っていた。


 遠くから見ても、ほんと可愛いなぁ……。


『………………』


 んん? なんというか、いつもと雰囲気が違う?


「あっ、せんぱ~いっ」


 こっちに気づいて手を振るその表情は、さっきとは違いパァッと明るいものだった。


「……あ。お、お待たせ」

「すみません。勝手にこっちが決めちゃって」

「え? ああ、別にいいよ、それくらい……」

「? せんぱい? わたしの顔になにか付いてますか?」

「!? いや、なにも……っ!」


 今日の昼休みは屋上に人がいたため、別々でご飯を食べた。


 それもあってか、急な至近距離に思わずドッキとしてしまった。


「じゃ、じゃあ、行こっか!」

「はいっ♪」


 俺たちは、目的地である喫茶店に向かって歩き出した。


 もちろん、歩くスピードを合わせて。


「これから行くお店って、よく行かれるんですか?」

「たまに、気分転換したいときに行くかな……」

「気分転換?」

「まあ、家族と喧嘩したときとか、むしゃくしゃしたときとか……」

「へぇー。いいですね、そういう場所があるって。ちょっと羨ましいです」

「凛々葉……ちゃん?」

「あ」


 自分が言ったことに気づいた凛々葉ちゃんは、


「えっと……そ、そういえば、美味しいオムライスが食べられるって言ってましたよねっ!!」

「う、うん」


 今、完全に誤魔化されたような……。


 あまり詮索しない方がいいな。


 すると、凛々葉ちゃんが小さな声で言った。


「せんぱい。手……繋ぎませんか?」

「へっ?」


 手を……繋ぐ……? ということはつまり、手を繋ぐってことだよな?


 なにを言ってるんだ、俺は……。


「………………」


 ……ん?


 俯かせた顔を覗くと、彼女の頬がほのかに赤く染まっていた。


(…………っ!?)


 その事実が、胸の鼓動を加速させた。


 ドキドキドキドキ……ッ。


 恋人同士なら、手を繋ぐくらい普通のことだ……っ!


 プルプルと震えている手のひらの汗をズボンで拭い、俺はゆっくりと彼女の手を…――


 ……。


 …………。


 ………………。


「このお店ですか?」

「そう……だよ……」


 俺たちの目の前には一軒の喫茶店があった。


 名前は、『喫茶ヒマワリ』。


 レンガ風の外観が、落ち着いた雰囲気を醸し出しているこのお店こそ、彼女に紹介したかった喫茶店だ。


 初老のマスターが一人で切り盛りしている。


 ここのコーヒーが、これまた最高で……


(はぁ……)


 と、なぜ心の中でため息をこぼしているのかというと、


(どうして手を繋がなかったんだ、俺は……ッ!!)




 くそぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおーっ!!!!!




 言い訳になってしまうが、あと一歩だったんだ! それなのに……


(はぁ……)


 さっきからこの繰り返しで、何度もため息をこぼしていた。


 まあ……気を取り直していこう。チャンスは……まだあるっ!


 それから、カランカランと心地のいい音色と共に扉を開けて中に入ると、一瞬にしてコーヒーの香りに包まれた。


「いらっしゃいませ」

「マスター、こんにちは」

「おやっ、未希人みきと君、よく来たね。そちらのお嬢さんは……ふふっ、やるじゃないか」


 と言って、マスターはニヤリと笑みを浮かべた。


「あはは……おかげさまで……」


 告白のアドバイスをもらったのは、宏也ひろやだけじゃない。


 実は、マスターにも聞いていた。


 お店に来た俺くらいのとしの女の子たちの恋愛相談を受けることもある、恋愛マスターの異名は伊達ではないのだ。


「ふふっ。じゃあ今日は特別に、代金はいいよ」

「え?」

「一人の青年が前に進んだのだから、それを祝福するのは当然のことだからね」

「マスター……。ありがとうございます」


 マスターには、『あのこと』でいろいろ迷惑をかけちゃったからなぁ……。


「……せんぱい?」

「あっ。せ、席はどこでもいいですよね?」

「もちろん。好きなところに座ってくれ」

「だって! い、行こっか!!」

「は、はいっ。……?」


 どうやら、俺は隠し事が苦手なようだ。すぐに顔に出てしまう。


 気をつけないと……。


 そんなことを考えながら、お気に入りの窓際の席に移動すると、テーブルを挟んで座った。


「これ、メニュー表」

「ありがとうございますっ。うわぁ~!」


 ページを捲ると広がる、美味しそうなメニューの数々。


 昔ながらのナポリタンや、クリームソーダ。


 毎回、『これでいいんだよ、これで……』と、つい心の中で呟いてしまう。


「迷いますけど……決まりましたっ。特製パフェにしますっ」

「? オムライスじゃなくていいの?」

「今回はパフェを食べて、オムライスはまた今度ということでっ♪」


 そう言って、凛々葉ちゃんは徐に顔を近づけてくると、そっと呟いた。


「オムライスは、デートのときに食べに来ましょうね♡ せんぱいっ♡」

「……ッ!?」


 デート……っ!!


「ふふっ」


 ほ、ほんとに年下なのか、この子……?


「……あの、すみません!」


 俺が呼ぶと、近くにいた店員のお姉さんが注文を取りにきた。


「ホットコーヒーと特製パフェを一つずつお願いします」

「ホットコーヒーと特製パフェをお一つずつですね。かしこまりました。では、ごゆっくりどうぞ」


 注目を取り終えて、店員のお姉さんはカウンターへと戻って行った。


「ふぅ……」


 背もたれにもたれ掛かって一段落していると、彼女がじーっとこっちを見ていた。


「な、なに?」

「せんぱいのスムーズな注文に見惚れていたんです♪」

「!!  …………っ」


 ほっ、褒めてもなにも出ないからねぇ~~~っ!


 と言いつつも、内心、とても嬉しかったのだった。


「それにしても、楽しみですね~」


 凛々葉ちゃんはニコニコしながら、頭を揺らしていた。


 その様子があまりに可愛くて、ついこっちまで笑みがこぼれた。




 それからゆっくりしている間に、すっかり夕暮れ時を迎えていた。


 カランカランッ。


 扉を開けて外に出ると、


「んん~っ!! 今日はいっぱい話しましたねっ」

「う、うんっ。………………よかったぁ」


 会話を途切れさせないために、話題の人や物をネットでかき集めておいてよかった……っ。


「でも本当によかったんですか? お金出してもらっちゃって」

「いいんだよ。連れてきたのは、俺の方だし」

「そうですか……。あ、じゃあ、今度はわたしがご馳走しますっ」

「っ! うんっ、楽しみにしてるよ。あっ、家まで送って行こうか?」

「大丈夫です。ここから近いですから」

「え、そうなの?」

「はい。高校に入学すると同時に、こっちに引っ越してきたので」

「へぇー」


 これまたいい情報を手に入れたぞっ。


 ……ということは、ゆくゆくはお家にお邪魔する日も……


「せんぱい、ぼーっとした顔でどうしたんですか?」

「!! なっ、なんでもないよ……あははは……」


 バレバレの誤魔化し笑いを浮かべながら、並んで帰り道を進んだのだった。




「――あれは……」


 少女の視界に入った、二人の男女。


 一人は、栗色ボブヘアーの女の子。楽しい話をしているのか、満面の笑みを浮かべている。


 そして、


「………………」


 少女が見つめる先は…――

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